第4章:冷たい檻の中の子守唄
ガタゴトと、無骨な車輪が石畳を転がる嫌な音が響き続けている。
窓一つない、冷たい鉄格子の馬車の中。
完全な暗闇の中で、俺は膝を抱えていた。
父さんの泣き顔が脳裏に焼き付いて離れない。あんなに温かかった日常が、たった数時間で完全に崩れ去ってしまった。三十四歳の魂を持っていようが、力のない六歳の子供には、どうしようもない現実だった。
「……っ、かはっ……!」
不意に、暗闇の隅から苦しげな咳き込みが聞こえた。
一緒に放り込まれた、あの銀髪の少女だ。
「おい、大丈夫か……!?」
俺は手探りで彼女の元へ這い寄った。
触れた彼女の体は、氷のように冷たかった。ガタガタと激しく震え、呼吸は浅く、狂ったように乱れている。
『世界そのものが、この少女という異物を排除しようとしている拒絶反応だ』
先ほどの特務騎士の言葉が蘇る。
このままじゃ、王都に着く前に死んでしまう。
でも、魔法も使えない、薬もない俺に何ができる?
また、前世の時のように、目の前の命が消えていくのをただ見ているしかできないのか?
(……ふざけるな。もう逃げないって、ばあちゃんに誓ったんだ)
俺は躊躇なく、少女の細く冷たい体を強く抱きしめた。
「ひっ……! 離して……っ」
奴隷として扱われてきた恐怖からか、彼女は微かな力で俺を突き飛ばそうとする。
「大丈夫だ。俺は絶対にお前を傷つけない。……俺の体温、全部あげるから」
俺は彼女の背中を、ゆっくりと、一定のリズムでさすり始めた。
そして、彼女の乱れた呼吸を少しでも落ち着かせるために、記憶の底から『あの歌』を引っ張り出した。
前世で、プレッシャーに押し潰されそうになっていた俺を、ばあちゃんがいつも落ち着かせてくれた歌だ。
「――ねんねん、おころりよ、明日はええ天気じゃけえ――」
少し調子外れな、俺の鼻歌。
この世界の言語じゃない。前世の日本の、広島の田舎の古い子守唄。
その旋律が馬車の中に響いた瞬間だった。
ビクンッ!! と。
少女の体が、弾かれたように大きく跳ねた。
暗闇の中でもわかるほど、彼女は目を見開き、俺の腕の中で硬直していた。
「……え?」
少女の震える唇から、掠れた声が漏れた。
それは、この世界の言葉ではなかった。
「……どうして、その歌、知ってるの……?」
ドクン、と俺の心臓が大きく鳴った。
彼女が今口にしたのは、紛れもなく『日本語』だった。
この世界の人間が、知るはずのない言葉。
「お前……まさか」
「その歌……お母さんが、いつも歌ってくれてた。……私、ずっと、ずっと帰りたかった……っ!」
少女の大きな瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
奴隷として虐げられ、完全に感情を殺していた彼女が、初めて見せた子供らしい涙だった。
不思議なことだが、日本語の子守唄を聞いて泣きじゃくる彼女の体から、先ほどまでの異常な熱と『拒絶反応』が嘘のように引いていくのを感じた。
世界から異物として弾き出されそうになっていた彼女の魂が、同じ世界から来た俺の歌によって、強引に『居場所』を繋ぎ止められたかのようだった。
「……そうか。お前も、一人ぼっちだったんだな」
俺は泣きじゃくる彼女の頭を、ばあちゃんが俺にしてくれたように、何度も優しく撫でた。
「泣いていいよ。もう、大丈夫だから」
「う、あぁぁぁ……っ、うわぁぁぁぁんっ!!」
暗く冷たい馬車の中で、彼女は俺の胸に顔を押し付け、声を上げて泣き続けた。
どれくらいそうしていただろうか。
涙を枯らし、少し落ち着きを取り戻した彼女は、俺の服の裾を小さな手でギュッと握りしめて、ポツリと呟いた。
「……アイシャ」
「え?」
「私の名前……アイシャって、いうの」
初めて、彼女が自らの意志で口にした言葉。
俺は彼女の小さな手を、しっかりと握り返した。
「アイシャ。俺はルグだ」
暗闇の中で、俺の琥珀色の瞳は静かに、だが確かな熱を持って発光し始めていた。
「俺が絶対にお前を守る。王都の連中から逃げ出して、いつかお前の心臓も治す。……約束するよ」
アイシャはコクリと頷き、俺の腕の中で安心したように目を閉じた。
六歳の子供の小さな誓い。
だがこれは、後に世界中を震撼させる『アウトサイダー』たちの、反逆の始まりだった。




