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第2章:奴隷の少女と、引き金となる一球

俺が六歳になってすぐの、ある晴れた日のことだった。


「はぐれないように、しっかり手を繋いでおけよ、ルグ」

「うん、わかってるよ父さん!」


その日、俺は父のガルドに連れられて、村から歩いて半日ほどの距離にある辺境の交易街『ロスト』に来ていた。

ガルドが仕留めた魔獣の毛皮や、母のエルナが育てた希少な薬草を換金するためだ。俺にとっては、生まれ変わってから初めて見る「外の世界」だった。


石畳の通りには馬車が行き交い、様々な匂いと怒号が入り混じっている。

ガルドが馴染みの商館で毛皮の値段交渉をしている間、俺は入り口の木箱に座って待っていた。


「……ん?」


ふと、通りの向こう側から奇妙な音が聞こえた。

重い鉄の鎖が引きずられる音と、乾いた鞭の音。

視線を向けると、薄汚れた馬車と共に、みすぼらしい服を着た何人かの子供たちが歩かされていた。奴隷商人だ。辺境では珍しくない光景らしいが、前世の記憶を持つ俺にとっては胸糞の悪い光景だった。


その中に、一人の少女がいた。

年齢は俺より少し上、八歳くらいだろうか。

銀色に近い不思議な色の髪は泥にまみれ、手足は枯れ枝のように細い。何より異常だったのは、彼女がひどく苦しそうに胸を押さえ、今にも倒れそうなほど息を切らしていることだった。


「おい、さっさと歩け! 欠陥品の分際で手間をかけさせやがって!」


肥え太った奴隷商人が、容赦なく少女の背中を蹴り飛ばした。

少女は石畳に倒れ込み、激しく咳き込む。口から微かに血がこぼれていた。


(……おいおい、あれはヤバいんじゃないのか?)


周囲の大人たちは見て見ぬふりをしている。前世の、あの深夜の大阪の路地裏と同じだ。

助けたい。でも、六歳の子供の俺に何ができる? ガルドとの約束もある。目立ってはいけないんだ。

俺が葛藤していた、その時だった。


「グルルルルゥッ……!!」


奴隷商人の馬車の荷台から、突然、鼓膜をつんざくような獣の咆哮が響いた。

商人が荷台に繋いでいた「護衛用の魔獣(双頭の黒犬)」が、血の匂いに興奮して鎖を引きちぎったのだ。


「ひぃっ!? ば、馬鹿野郎、待て……っ!」

商人が腰を抜かして逃げ出す。

周囲の大人たちも悲鳴を上げて散り散りになる中、狂乱した魔獣は、倒れ込んでいる八歳の少女へと真っ直ぐに飛びかかった。


距離は十五メートル。

ガルドを呼んでいる暇はない。街の衛兵も間に合わない。


(……っ、クソッ!!)


あの時と同じだ。

前世で、目の前の命から逃げて犬死にしたあの夜と。


俺は木箱から飛び降り、無意識に足元の石畳の隙間に落ちていた「手のひら大の尖った石」を拾い上げていた。


(見極めろ……!!)


カッ、と目を見開く。

視界が琥珀色から、『黄金色アウレウス』に染まり上がった。

世界がスローモーションになる。俺の瞳には、魔獣の筋肉の動き、風の抵抗、そして大気中のマナの揺らぎが、光の線となって明確に見えていた。


ただの六歳の子供の腕力じゃ、魔獣の分厚い毛皮は貫けない。

なら、狙うのは一点のみ。


大きく左足を上げ、全身のバネと体重を指先に集める。

前世の三十四年間と、この世界の六年間。すべての魂を乗せた、全力のストレート。


「いっけえぇぇぇっ!!」


ヒュガァァァンッ!!

空気を切り裂く爆音。六歳の子供が投げたとは到底思えない速度で放たれた石は、真っ直ぐに魔獣の右目から脳天へと突き刺さった。


「ギャンッ!?」


魔獣は少女の数十センチ手前で不自然に体をのけぞらせ、そのまま白目を剥いて石畳に崩れ落ちた。即死だった。

静まり返る通り。

俺は息を切らしながら、へたり込んでいる少女の元へ駆け寄った。


「大丈夫……!?」

俺が手を伸ばすと、少女は怯えたように身をすくませたが、俺の顔を見てハッと目を見開いた。その瞳は、絶望の底にいるとは思えないほど、強く透き通っていた。


「おいおい……嘘だろ」

「あの子、今、石を投げただけで魔獣を……?」


周囲の大人たちがざわめき始める。

しまった。完全に目立ってしまった。

慌てて商館から飛び出してきたガルドが、俺の姿と死んだ魔獣を見て、血の気を引かせた。


だが、最悪の事態はそれだけではなかった。


「……素晴らしい」


パチ、パチ、パチ、と。

静寂の中、場違いなほど優雅な拍手が響いた。

群衆が割れ、そこから現れたのは、辺境の泥臭い街には絶対にいるはずのない存在。

純白の鎧に身を包み、胸に「王家の紋章」を刻んだ、冷酷な目つきの男だった。


「王都の『特務騎士』……!? なぜ、こんな辺境に……!」

ガルドが絶望したような声を漏らす。


特務騎士の男は、俺の前にゆっくりと歩み寄ると、薄く笑った。


「詠唱もなしに、ただの石にこれほどの威力を乗せるとは。……おまけに、その目はまだ微かに『黄金色』の魔力残滓を帯びている」


男は俺を見下ろし、まるで極上の獲物を見つけたかのように目を細めた。


「見つけたぞ。王が探し求めていた『特異指定』の神童を」


俺をかばうように前に出たガルドの背中が、小刻みに震えていた。

少女を助けた俺の『一球』は、最悪の形で、俺から温かい家族と日常を奪い去る運命の引き金となってしまったのだ。

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