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檻の中の鳥と、空間を裂く少年

分厚く切られたオーク肉が、鉄板の上で暴力的な音を立てて脂を跳ねさせている。

ニンニクと香草の強烈な香りが、地下礼拝堂の薬臭さを完全に上書きしていた。


「ほら、お前ら。肉ばかりじゃなくて野菜も食え。特にルグ、お前はまだ成長期どころか幼児体型なんだからな」


シオンが呆れたように言いながら、俺とアイシャの木の皿に、茹でた青菜をドサリと放り込んだ。

十九歳の不良神官は、最近すっかり俺たちの『オカン』のような立ち位置に収まりつつある。


「……シオン。俺は野菜の青臭い匂いが、タスクの処理効率を下げるから嫌いだと言っている」

「うるさい。オクラの魔術的な栄養素を舐めるな。残したら明日のスープは泥水にするぞ」

「ルグ、あーん。私が食べさせてあげる」


アイシャが自分のフォークに刺した肉と野菜を、俺の口元へと運んでくる。俺はため息をつきながら、それをごくりと飲み込んだ。

血と泥に塗れた裏社会での殺戮(仕事)と、この地下礼拝堂でのひどく温かい食卓。この絶対的な温度差が、今の俺たちの日常だった。


食後の煙草に火を点けながら、シオンがふと、声を一段階低くした。

仕事の合図だ。


「……で。満腹になったところで、次の『獲物』の話だ」


シオンはテーブルに、王都の紋章が蝋で封印された一枚の極秘書状を広げた。


「明日の深夜、カルマの最下層にある闇競売オークションに、王都の貴族が『特別な商品』を横流しにくる。表向きは珍しい魔獣の取引だが、裏の目玉は……王都の魔導研究所から廃棄された『実験体』だ」


その言葉に、アイシャがピクリと肩を震わせた。

サファイアブルーの瞳に、かつて自分が繋がれていた地下牢の暗い記憶がフラッシュバックしたのがわかる。俺はテーブルの下で、アイシャの小さな手をしっかりと握りしめた。


「実験体だと?」俺は目を細めた。

「ああ。なんでも、『空間の理を無視して移動する』奇跡の魔法を使えるガキらしい。ただ、魔力制御が不安定で使い物にならず、廃棄処分としてこの無法都市の奴隷商に売り払われるんだとさ」


――空間の理を無視して移動する魔法。

俺の脳髄に、強烈な電撃が走った。


転移テレポート』。

それは、どれほどの距離や防壁があろうとも、術者の魔力が続く限り瞬時に移動できる神話級の魔法だ。

もしその力を手に入れれば、王都の堅牢な防衛網を無視して潜入することも、絶対絶命の窮地から仲間を逃がすことも可能になる。王都を根底から破壊するための、これ以上ない『最強の移動手段ピース』だ。


「……シオン。その競売、俺たちが潰す。商品はすべて強奪だ」

「だろうな。……言っておくが、護衛はこれまでのゴロツキとは訳が違う。王都の正規軍から金で雇われた『退役騎士』が五人、それに高位の魔導師もついている。殺し合いのプロだぞ」


シオンの警告に、俺は冷酷に口角を上げた。


「俺の計算式プロジェクトに、失敗という文字はない。……アイシャ、準備をしろ」

「うん。ルグが欲しいものは、私が全部奪ってくる」


アイシャの瞳にはすでに、絶対零度の殺意が宿っていた。


翌日の深夜。

カルマ最下層、巨大な地下闘技場跡地。

松明の炎が揺らめく中、黒いローブを被った悪趣味な富裕層や奴隷商たちが、鉄の檻を取り囲んでいた。


俺とアイシャは、闘技場を見下ろすドーム状の天井の梁に潜んでいた。

『黄金のアウレウス』を発動させる。

視界が琥珀色に染まり、会場内のすべての人間のマナと熱源、骨格の動きが可視化される。


護衛の退役騎士たちは確かに強い。筋肉の密度も、マナの練度も、その辺のゴロツキの比ではない。

だが、俺の視線は彼らを通り越し、舞台の中央に置かれた「厳重な魔法陣の描かれた鉄の檻」へと釘付けになっていた。


(……見えた。あれが、『転移』のマナか)


檻の中にうずくまっているのは、十歳くらいの痩せこけた少年だった。

ボロボロの貫頭衣を着せられ、首には魔力を封じる重い鉄の首輪がはめられている。全身は無数の鞭の痕と、魔法実験による火傷の痕でドス黒く変色していた。

だが、俺の瞳は、少年の体から微かに漏れ出す『エメラルドグリーンと紫色が混ざったような、奇妙に歪んだマナ』をはっきりと捉えていた。

そのマナが空気に触れるたび、少年の周囲の空間が陽炎のように歪み、悲鳴を上げているのがわかる。


「さあさあ皆様! 今宵の目玉、王都の研究所からの『特別払い下げ品』でございます!」


オークショニアが下劣な声で叫び、少年の檻を蹴り上げた。

少年はビクッと怯え、両手で頭を抱えてガタガタと震えている。


「このガキは、未完成ながら『転移魔法』の適性を持っています! どこへでも一瞬で移動できる、まさに夢の移動手段(乗り物)! さあ、開始価格は金貨百枚から!」


人間を「乗り物」と呼ぶその醜悪な声に、俺の隣でアイシャから、ギリッ……と空気を凍らせるような冷気が漏れ出した。

彼女の脳裏には、自分が『神を降ろす器』として扱われ、廃棄された地獄の日々が重なっているのだ。


「ルグ。……殺して、いい?」

アイシャの声は、これまでに聞いたことがないほど低く、そして悲痛な怒りに満ちていた。


「ああ。護衛の騎士五人と魔導師は俺の罠で動きを止める。お前はオークショニアの首を落とし、あの檻を叩き斬れ」


俺はポーチから、特製の『閃光魔石』と『音響手榴弾』を同時に真下へ投下した。


カッ……!! ドグゥンッ!!!


闘技場全体が、太陽が爆発したかのような目眩しの閃光と、鼓膜を破るほどの爆音に包まれる。


「なっ!? なんだ!!」

「敵襲だ! 護衛、陣形を組め!!」


歴戦の退役騎士たちは、視覚と聴覚を奪われながらも即座に円陣を組み、大盾を構えた。さすがの練度だ。

だが、俺の『黄金の瞳』の前では、それすらもただの「的」に過ぎない。


「アイシャ、円陣の真上。落下と同時にマナを解放しろ」

「シッ!」


暗闇の天井から、巨大な白銀の流星が墜落した。

アイシャの華奢な体は、重力と遠心力を乗せた一撃を、退役騎士たちの大盾のど真ん中に叩き込んだ。


ガァァァァンッ!!!


「なっ……!? 子供が、空から……ッ!」

「重装騎士の盾を、力で……!?」


驚愕する騎士たち。

アイシャの手にある氷の剣が、限界まで圧縮されたマナを放ちながら、男たちの大盾ごと、その体を一瞬にして「氷像」へと変えていく。


「ア……ガ……」

「ば、バケモノ……」


パキンッ。

五人の歴戦の騎士たちが、反撃の暇すらなく、文字通り砕け散った。


「ヒッ!? な、なんなんだお前はァッ!」

腰を抜かしたオークショニアが後ずさる。

アイシャは感情の消えた瞳で彼を見下ろし、氷の刃を横薙ぎに一閃した。


ポロッ、と。

醜く太った男の首が、呆気なく地面を転がった。

圧倒的な蹂躙劇を前に、客として来ていた悪党たちは悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


俺は静かに梁から飛び降り、血と氷の散乱する舞台の中央へと歩み寄った。


「ひっ……あ、あぁ……」


檻の中の少年は、目の前で繰り広げられた凄惨な光景に、完全に正気を失いかけていた。

恐怖で瞳孔が開き、失禁し、ただひたすらにガタガタと震えている。

大人たちに虐げられ、実験動物として切り刻まれ、最後はゴミのように売られる。彼にとって、この世界は絶望しか存在しない地獄なのだ。


俺は檻の前に立ち、腰のポーチから分厚い鉄の錠前を『黄金の瞳』で見つめた。

マナの弱点、構造の脆い部分が光の点となって浮かび上がる。

そこに、鋭く尖ったきりをピンポイントで突き立て、柄を石で叩いた。


カァンッ! ガシャン!

魔法で封じられていたはずの重厚な錠前が、呆気なく砕け散った。


「あ……」

少年が、信じられないというように目を見開く。


俺は鉄の扉を開け放ち、震える少年に向かって、ゆっくりと手を差し伸べた。


「……立て。お前はもう、誰の『乗り物』でもない」


少年はビクッと体を縮ませ、俺の手と、背後に立つ血塗られたアイシャを交互に見比べた。


「な、なんで……。僕を、どうするの……? また、痛いこと、するの……?」


掠れた、蚊の鳴くような声。

その痛々しい声を聞いた瞬間。

アイシャが俺の横を通り抜け、少年の前で膝をついた。


そして、血と氷にまみれたその小さな腕で、汚臭にまみれた少年を、力いっぱい抱きしめたのだ。


「え……?」

「痛くないよ。もう、誰もあなたを傷つけない。……私たちが、あなたを縛るものを、全部斬ってあげる」


アイシャの白銀の髪が、少年の涙に濡れた頬を優しく撫でる。

彼女もまた、かつて俺にこうして手を引かれ、暗闇から救い出されたのだ。だからこそ、この少年の絶望が、痛いほど理解できた。


「あ……ああ……ッ」


アイシャの温もりに触れた瞬間、少年の張り詰めていた糸が完全に切れた。

彼はアイシャの胸に顔を押し付け、子供のように、いや、本来の十歳の子供に戻って、声にならない大声で泣きじゃくった。


俺は静かに、その頭に手を置いた。


「俺はルグ。こっちの泣き虫なお姫様がアイシャだ。……お前の名前は?」

「テ、テオ……。僕の名前は、テオ……ッ!」


「そうか。テオ、俺たちとおいで。温かいスープと、クソ不味い野菜が待ってるぞ」


こうして、王都を滅ぼすための最強の移動手段ピースであり、後に俺たちの「絶対に代えのきかない弟」となる転移魔法使いの少年・テオが、俺たちの家族に加わった。


逃げ場のない狂った世界で、傷だらけの子供たちが身を寄せ合い、最強のバケモノへと羽化していく。

シオンの待つ地下礼拝堂へ向かう俺たちの足取りは、不思議なほどに軽かった。

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