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泥濘の食卓と、四人目の家族

「……おいおい。お前ら、お遣いに行かせたら、今度は野良猫じゃなくて『王都の極秘廃棄物』を拾ってきたのか?」


暖炉の前で本を読んでいたシオンが、呆れ果てたように分厚い魔導書をテーブルに放り投げた。

その翡翠の瞳は、俺の背中に隠れるようにしてガタガタと震えている十歳の少年――テオの姿と、彼にはめられた忌まわしい『魔力封じの首輪』を正確に捉えていた。


「事後報告で悪いな、シオン。だが、俺の『計画プロジェクト』にはこいつの力が必要だ。……それに、アイシャが気に入ったらしい」

「ルグの言う通り。この子は、私たちが守る」


アイシャは、テオの手をしっかりと握ったまま、シオンに向かって一歩も引かない構えを見せた。その白銀の髪には、まだ先ほどの闘技場で散らした騎士たちの凍った血が微かにこびりついている。


シオンは深いため息を吐き、咥えていた煙草を灰皿に揉み消した。


「……たく。六歳と八歳のガキが、十歳のガキを保護するなんて、どの童話にも載ってない胸糞悪い喜劇だな」


悪態をつきながらも、シオンの足取りは迷いなくテオへと向かった。

テオは長身のシオンが近づいてくるのを見て「ヒッ……」と喉を鳴らし、両腕で顔を覆ってうずくまった。大人に近づかれる=殴られる、あるいは肉を切り裂かれるという条件反射が、彼の骨の髄まで染み込んでいるのだ。


「大丈夫だよ、テオ。シオンは……口とスープの味は悪いけど、絶対にお前を傷つけない」

俺が静かに声をかけると、テオは恐る恐る腕の隙間からシオンを見上げた。


シオンはテオの目線に合わせてしゃがみ込み、その凄惨な拷問の痕と、首に食い込んだ重厚な鉄の首輪を観察した。医者としての、氷のように冷たく、そして海のように深い慈愛の目がそこにあった。


「ひどい火傷と打撲だ。それにこの首輪、呪いで肉と同化しかけてる。……王都の白豚どもめ、本当に人間の心がないらしい」


シオンは自らの手を、テオの首輪にそっと添えた。


「――『聖句・第四節リザレクション――変異』」


俺は静かに『黄金の瞳』を開いた。

シオンの両手から、あの時アイシャを治したのと同じ、深く静謐な『エメラルドグリーンのマナ』が溢れ出すのが視えた。

大気中のマナではない。シオン自身の、削り取られた『生命力そのもの』だ。


(……シオン。あんたはまた、俺たちのために命を……)


三十四歳の精神を持つ俺の胸の奥が、ギリッと音を立てて軋む。

シオンの緑色のマナが極細の糸となって首輪の呪いと物理的なロックに侵入し、内部から構造を完全に分解していく。

ガチャンッ、と鈍い音を立てて、テオを地獄に繋ぎ止めていた鉄の首輪が、真っ二つに割れて床に落ちた。


「あ……」

テオが、信じられないというように自分の首元に触れる。


「痛みも、もうないだろ? 酷い傷跡は残っちまうかもしれないが……まあ、男の勲章ってやつさ」

シオンは額に滲んだ脂汗を乱暴に拭いながら、いつもの不敵な笑みを浮かべた。


「さあ、立てよテオ。我がスラムの歓迎会だ。極上のクズ肉シチューを食わせてやる」


不格好な木のテーブルに、四つの器が並んだ。

湯気を立てるシチューからは、獣肉の脂と、胡椒の強烈な匂いが漂っている。


テオは自分の前に置かれた木のスプーンと器を、ただ茫然と見つめていた。

奴隷商の檻の中で、泥水と腐った残飯しか与えられてこなかった彼にとって、「椅子に座って、温かい食事を待つ」という行為自体が、理解の範疇を超えていたのだ。


「……食べないの? テオ」

アイシャが不思議そうに小首を傾げる。


「……これ、僕が……食べて、いいの……?」

「当たり前だ。食わないと、俺みたいに背が伸びないぞ」

俺が少しだけ自虐を交えて言うと、シオンが鼻で笑った。


テオは震える手でスプーンを握り、恐る恐るシチューをすくい、口に運んだ。

その瞬間。

テオの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。


「あ、あう……っ、うっ……ぁあぁぁッ……!」


声にならない嗚咽。

熱い。美味しい。

それはただの塩辛いシチューのはずなのに、テオの冷え切った魂の奥底まで染み渡るような、致死量の「優しさ」だった。

彼はスプーンを投げ出し、両手で器を抱え込むようにして、獣のように泣き叫びながらシチューを啜った。火傷しそうなほどの熱さすら、彼にとっては自分が「生きている」ことを実感できる温もりだった。


アイシャは何も言わず、自分の皿に入っていた一番大きな肉の塊を、テオの器の中にコロンと移してやった。

八歳の少女が、十歳の少年の頭を、お姉さんのように優しく撫でている。

その歪で、どうしようもなく美しい光景を、俺とシオンは黙って見守っていた。


食事が終わり、テオが泥のように眠りに落ちた後。

暖炉の前で、俺とシオンは声を潜めて「これから」の話をした。


「……テオの転移魔法。あれは凄まじい力だが、現状は『呪い』と同じだ」

俺は『黄金の瞳』で視た情報をシオンに共有した。


「あいつの魔力回路は未熟すぎる。魔法を使うたびに、空間の歪みが術者自身の細胞を削り取っている。……多用すれば、あいつは長くは生きられない」

「だろうな。治癒した時に嫌でもわかったよ。……ルグ、君の『盤面』では、あの子をどう使うつもりだい?」

シオンの翡翠の瞳が、俺の真意を探るように細められる。


俺は躊躇いなく、明確に答えた。


「使わない。少なくとも、あいつ自身の体が成長し、魔力制御が完璧になるまでは、テオの力は絶対に封印する」


「……ほう? どんな窮地でも、転移で逃げるという最強のカードを切らないと?」


「あいつは『移動手段(乗り物)』じゃない。……俺たちの家族だ。俺のプロジェクトにおいて、仲間の命を削るという選択肢は、最初から存在しない」


三十四歳の社畜時代、俺は部下を使い潰すクソみたいな上司たちを死ぬほど憎んでいた。

だからこそ、俺は絶対に、身内を切り捨てるような真似はしない。すべてを支配し、全員を生かしたまま、王都の喉首を掻き切る。


俺の言葉を聞いたシオンは、ふっと憑き物が落ちたように笑い、俺の頭を乱暴に撫で回した。


「……合格だ、ルグ。もし君があの子を『便利な道具』として扱うような冷血漢なら、僕が君をこの地下室から叩き出していたところだ」


パチパチと燃える暖炉の火。

一つのベッドで身を寄せ合って眠る、アイシャとテオ。

そして、煙草をふかす不良神官。


「……なぁ、ルグ」

シオンがふと、ぽつりとこぼした。

「なんだ」

「……この掃き溜め(カルマ)も、お前たちには少し、手狭になってきたな。王都の嗅覚は鋭い。いずれ、俺たちの存在は完全に補足される」


その言葉に、俺は無言で頷いた。

そうだ。いつまでもこの無法都市で小銭を稼いでいる場合ではない。

王都を滅ぼすための圧倒的な『力』と『古代の遺物』を手に入れるため、俺たちは外の世界――死と謎に満ちた『古代ダンジョン』へと踏み出さなければならない。


少年期編・無法都市カルマでの生活は、終わりを告げようとしていた。

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