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地下の聖域と、命を編む魔法

シオンに案内されたのは、カルマの最下層からさらに地下へと潜った先にある、打ち捨てられた巨大な地下礼拝堂だった。


かつては王都の神を祀っていたのだろう。だが、今はステンドグラスも女神像も砕け散り、代わりに無数の古書、怪しげな薬瓶、そして血の染み込んだ手術台が並ぶ「闇医者の工房」へと変貌していた。

カビと埃の匂いに、鼻を突くような消毒用のアルコールと乳香フランキンセンスの香りが混ざり合っている。


「さあ、着いたよ。歓迎しよう、僕のささやかな城へ」


鉄の重い扉を閉めた瞬間、俺の中で張り詰めていた「何か」が、ふつりと音を立てて切れた。

三十四歳の精神力で無理やり動かしていた六歳の肉体が、ついに完全なシャットダウンを引き起こしたのだ。


「ルグ……ッ!?」

「おっと」


前のめりに倒れ込んだ俺から、シオンが片手で軽々とアイシャの体を受け取る。

俺は床の冷たい石畳に顔を押し付けたまま、指一本動かすことができなくなった。視界が急速に暗んでいく。だが、気絶する直前、俺は泥だらけの顔を僅かに上げ、『黄金の瞳』を開いた。


この男が、本当に信頼に足る本物の治癒術師なのか。それを見極めるまでは、眠るわけにはいかなかった。


「……君、本当に頑固だね。そんな目をしてちゃ、痛みに耐えられないよ」


シオンは苦笑しながら、アイシャを手術台に寝かせた。

そして、その長い銀灰色の前髪をかき上げ、胸元で十字を切る――のではなく、ただ静かにアイシャの心臓の上に両手を翳した。


「『聖句・第四節リザレクション――変異』」


その瞬間、俺の黄金の瞳は、信じられない光景を捉えた。


通常の治癒魔法は、大気中のマナを取り込み、患者の自己治癒力を爆発的に高めるものだ。

だが、シオンの魔法は『次元』が違っていた。

シオンの両手から溢れ出したのは、純白の光ではない。深く、どこまでも静謐な『エメラルドグリーンのマナ』。それが極細の縫い糸のように無数に枝分かれし、アイシャの体内に直接侵入していく。


(……なんだ、これは。マナを……『編んで』いるのか!?)


アイシャの体内でズタズタに断裂していた魔力回路。そこにシオンの緑色のマナが絡みつき、物理的に欠損した回路を「シオン自身のマナ」で代用して繋ぎ合わせていく。

それは治癒というより、命の『移植』に近い。

世界の理から完全に逸脱した、術者の命を削るような恐るべき禁術。教会の白豚どもが、彼を『異端』として追放した理由が一瞬で理解できた。


「……あぁっ……」


十分ほどの静寂の後、アイシャの口から苦痛の呻きが消え、穏やかな寝息へと変わった。

致死量を超えていたはずのマナ枯渇が、完璧に塞がれている。


「ふぅ……。こっちのお姫様はこれでよし、と」


シオンは額に滲んだ汗を乱暴に拭い、ひょうひょうとした足取りで、今度は床に倒れ伏している俺の隣にしゃがみ込んだ。


「さあ、次は君の番だ。麻酔なんて気の利いたものはないから、奥歯でも噛み締めてなよ」

「……あ、あぁ……」


シオンの手が、俺の折れた肋骨に触れる。

次の瞬間、全身の骨が内側から爆ぜるような激痛が走り、俺は声にならない絶叫を上げて意識を失った。


「……ん……」


どれくらいの時間が経ったのだろうか。

ふと目を覚ますと、俺は清潔なシーツの敷かれたベッドの上に寝かされていた。

息を吸い込んでも、肺に鋭い痛みは走らない。全身の打撲も、嘘のように消え去っていた。


「目が覚めた?」


部屋の奥から、パチパチと薪の爆ぜる音と、胃袋を鷲掴みにされるような「肉を煮込む暴力的な匂い」が漂ってきた。

古びた鉄鍋を木べらでかき混ぜながら、シオンがこちらを振り返る。


「起きられるなら、そこのテーブルに座りなよ。もうすぐ出来る」


俺がゆっくりと身を起こすと、隣のベッドで先に目を覚ましていたアイシャが、俺の服の裾をギュッと握りしめていた。そのサファイアブルーの瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。


「ルグ……よかった……っ」

「……心配かけたな、アイシャ。体は、もう痛くないか?」

「うん。すごく、あたたかい」


俺たちは並んで、不格好な木のテーブルに座った。

コトッ、とシオンが俺たちの前に置いたのは、ひび割れた木の器に並々と注がれた熱いスープと、少し硬そうな黒パンだった。


「スラムのクズ肉と、屑野菜のスープだ。王都の貴族が食べるような上等なもんじゃないけど、栄養だけは保証するよ」


湯気と共に立ち上る、塩と脂、そして命の匂い。

六歳の肉体が、理性を吹き飛ばすほどの飢餓感を訴えかけてくる。


「……いただきます」


俺は木のスプーンを握り、震える手でスープを口に運んだ。

――脳髄が痺れるほど、美味かった。

泥水を啜り、獣の生肉を齧って生き延びてきた俺たちにとって、それはこれまでの人生で口にしたどんなものよりも、温かく、そして優しさに満ちた味だった。


隣を見ると、アイシャはスプーンを使うことすら忘れ、両手で器を抱え込むようにして、ボロボロと涙をこぼしながらスープを飲んでいた。


「……おいしい。おいしい……っ」


奴隷として「餌」しか与えられてこなかった彼女にとって、それは生まれて初めての、誰かが自分のために作ってくれた「料理」だったのだ。


「ゆっくり食べな。鍋にはまだ腐るほどある」


シオンは煙草に火を点け、紫色の煙を吐き出しながら、どこか眩しいものを見るような、それでいてひどく悲しそうな目で俺たちを見つめていた。


「君たちみたいな小さな子供が、こんな地獄みたいな場所に流れ着くなんてね。……世界は本当に、どうしようもなく狂ってる」


俺は器を置き、シオンを真っ直ぐに見据えた。

あの治癒魔法。ただの「親切な医者」が使う代物じゃない。こいつは、自分の命を削って他人の命を繋いでいる。


「……シオン。あんた、俺たちを治すために、自分のマナを……」


「ストップ」


シオンは人差し指を唇に当て、少しだけ冷たい、大人としての威圧感を持って俺の言葉を遮った。


「その『目』で、僕の秘密を見ちゃったみたいだけど。……今はただ、温かい飯を食って、泥のように眠りな。難しい話をするのは、君たちが『子供らしい顔』を取り戻してからだ」


シオンは立ち上がり、俺とアイシャの頭を、乱暴に、だがひどく優しく撫でた。


「ここは安全だ。王都の犬も、スラムのゴミ共も、僕の結界は越えられない。……だから、今日だけは、何も恐れずに眠りなさい」


その声には、不思議な魔力があった。

張り詰めていた警戒心が嘘のように解け、俺とアイシャは食後の強烈な睡魔に抗うことができなかった。

見ず知らずの他人の隠れ家。それなのに、あの温かい大きな手に頭を撫でられた瞬間、俺たちは生まれて初めて、絶対的な「安心」に包まれていた。


パチパチと燃える暖炉の音と、仄かな煙草の匂い。

無法都市の深い深い地下の底で、俺とアイシャは、泥のような、そしてひどく温かい眠りへと落ちていった。

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