ひよこの休日:Part.5
「……────とまあ、あらましは大体そんな感じで」
流石の語り上手というか、なんというか。
おそらく今に限って別段『演技』は入れていないのだろうが、声を本職の一つとしているだけのことはある。情感たっぷりに、臨場感も山盛りに、三枝さんが過去を語り始めて……おおよそ十数分ほどが経ったはずだが、体感は一瞬だった。
然して、一区切り。ひとまずの節目に入ったのだろう。
彼女は回想の海から顔を上げて息継ぎをするように、もう冷めてしまった紅茶の残りをカップからグイと一息に……しかし絶妙に上品な所作で飲み干して────
「……ふふ。穏やかな顔してますねぇ」
対面で静かに彼女の『思い出』に聞き入っていた俺を見て、小さく笑んだ。
はて、実際どんな顔をしていたのか自分では知り得ないが……。
「や、まあ、うん。堂々の『大っ嫌い』は正直ちょっと驚いたけど……」
果たして、三枝さんにとって予想通りの顔だったのか否か。それもまた俺にはわからないが、流石に感想を言葉に形容するくらいのことは難しくない。
「意外に思う部分は、そんなに無かったかな」
ゆえに素直な気持ちを返してみれば、三枝さんは「そですか」とポツリ。
軽く俯けられている顔は……しかし当然のこと、今更に沈んだ色など見当たらない。だから、そう。現在まで含めて彼女の親しい界隈流に言えば────
「ちびニアのことは置いといて、三枝さんに関しては割と解釈一致だよ」
「あらぁ……わかったようなことを言ってくれちゃいますねぇ」
「別に、お調子乗り十歳が『らしい』って言ってるわけじゃないからね?」
良いのか悪いのか、微妙な反応。
ギリ苦笑いの範疇であろう顔をしつつ……空けたカップにティーポットから紅茶を注ぐ仕草が、どことなく照れ隠しの挙動に見えたのは気のせいか否か。
気のせいだろうな。間違いない────と、
「…………なんか、ちょっと、忌々しいですね」
「今日二度目だよ忌々しい。中々現実で言われないよ忌々しい」
穏やかという言葉が相応しいのかは鏡を見なけりゃわからないが、まあ彼女の反応からして類する顔になっているのだろう。それなりに重たい話を聞かされているという認識はあるが、同時に軽い気持ちで聞いているという自覚もある。
……だって、なぁ? 宣った通り、解釈一致だ。
────それゆえ、なんとなく先の展開も読めてしまったのだから仕方ない。
「じゃあ、答え合わせでもしましょうか?」
「心読むの止めてください」
なんて、まだ親しくなる途上であるのに思考をすっぱ抜かれるのは三枝日和に限って……いや別に彼女に限った話ではないが、いつものこと。
そういう部分は先日デートに臨んだメイドと並ぶ巧者。どちらからも散々に弄られ苛められてきたせいで、参りはするが困りはしない。文句も言うが意味はない。
どうかと思うが、慣れっこだ。
「でっ、ですよ。そんなこんな日和ちゃん史上で類を見ない致命傷を心に貰っちゃったわけですが……まあサックリ言っちゃうと、ノックアウトされまして」
「え、ノックアウト?」
然して、半眼を俺に向けながら昔話を再開する三枝さん。俺も俺で読めたとはいえ『なんとなく』であるため、思わぬ流れが語られたなら首を傾げもする。
さすれば、続いた物語は……。
「旅行疲れ、慣れない環境、プライド粉々の連鎖コンボで倒れちゃいました」
「あぁー……」
語られたなら、さもありなんと納得するしかないもので。
「異国の地で病気……どころの話じゃなくて、私その時に生まれて初めて体調不良を患ったらしいんですよね。自分じゃ病歴なんて覚えてないんですけど」
「おぅ……頑丈な、お子さんだったんですね…………」
「らしいです。だからもう、両親が慌てたこと慌てたこと」
「そりゃそうだろ」
本人は軽い感じだが、そりゃ状況的に慌てるだろうてと当時の三枝夫妻に同意する他ない。初めての海外旅行に連れ出したら生まれて初めて我が子が体調を崩して倒れたとか、ご両親にとっては普通にトラウマものなんじゃなかろうかと。
と、顔も知らぬ彼女の両親に同情を抱いた俺を他所に。
「ともかく、そんな感じで寝込んじゃいまして。帰国予定日の前日だったんですけど、まあ普通に滞在延長ですよね────私は『帰りたい』ってゴネましたが」
「…………」
「もう一秒たりとも、妖精さんの傍にいたくなかったので」
「………………」
「幸い、本心は誰にもバレませんでしたけどね。体調を崩して気が弱くなっているんだろうって。家が恋しくなっちゃったんだろうって。まさかまさか……」
「……………………」
「誰かさんへの嫌悪感から言っているなんて、思わないでしょうし」
チクチクと、刺してくる。
わかってやってるなコイツと思いつつ、俺も自分のティーカップを空にした。それから数秒ほどツッコミを入れるか入れまいかと悩んだ末に────
「で?」
「……で、とは?」
真顔で仕返しすることを決めた俺は、
「で────そろそろ、落とされる頃合いでしょ?」
「………………」
甚だ、珍しい状況。
あの三枝日和から、おそらく本心である不満気な表情を引き出した。
……過去のニアに倣って、追撃もいっとくか?
「や、落とされたとは違うよね。俺が思うに三枝さんなら────」
「────あーっ! あーっ! やだやだそういうのいいです結構です女の子は共感されるのが嬉しい生き物ですが見透かされるのは嫌いな生き物なんですーっ!」
本当に、甚だ珍しい。
心の底から『らしくない』……────けれども、ほんの少しでも過去を聞かされ輪郭を深めた今ならば、彼女『らしい』とも言えるグダグダな振る舞い。
もう完全に素の表情で、三枝日和は俺を睨みつつ……渋々と、いった様子で。
「…………そこから、延長戦」
「うん」
語り始めたのは、おそらく俺が見透かしてしまった物語の続き。
「まあ当然、純粋無垢な妖精さんは私のことを心配してくれ……しやがりまして」
「うん」
「ずーっと、ベッドの脇に引っ付いて離れないんですね」
「うん」
情景が、目に浮かぶ。
いろんな意味で限界に近づいていく、幼い三枝さんの心情も併せて。
「……で、遂に言っちゃったんです」
「うん」
「…………もう、どっか行ってよ。って」
頷かない。相槌も打たない。その時に彼女が感じた想いは彼女だけのモノであり、きっと今は大切な何かになっているのだろうと予感したから。
「で……どっか行きましたよ。あの子。泣きそうな顔で」
「………………」
「それから、延長戦の最終日まで、私の傍には戻って来ませんでした」
「……それで?」
結末は、わかっている。俺は今を知っている。だからこそ心の底は穏やかを保てるが……だからといって、進んで聞きたいわけじゃない。
今のニアと三枝さん……────親友を越えて家族のように、姉妹のように心を預け合っている二人の、過去の擦れ違いに。心を針で突かれているかのよう。
ゆえに、急かした。先を。
さっさと今へ至るハッピーエンドを聞かせてくれと、未来から。
「あの子が来なくなった代わりに、ずーっと、エレナさんが傍にいてくれました」
相変わらず、明快で上手な語り口。
「『ママ、ひよちゃんを助けて』って、泣きつかれたそうです」
彼女にとっては既に歩んだ過去で、大切な思い出。
今更に振り返って、人前で……それこそ、俺という〝敵〟の前で思い出し泣きをしたりはしない。つまり、彼女の方こそ『穏やかな顔』をしていたから────
「…………三枝さんは」
彼女の期待に沿おうとしたわけではないが……答え合わせ。
「昔から、なんでもできちゃう子だったんだもんな」
「………………」
それこそ、彼女が語り始めに置いていた〝正解〟を手繰る。
斯くして────返ってきたのは無言と、やはり心の底から不満気な睨み顔。
「そうですよ」
そして、振り切って堂々とした首肯一つ。
「顧みることも、反省することも、しっかり自分で、できちゃう子だったんです」
三枝日和は、自信に満ちて微笑んだ。
「あの子、なんにも悪いことしてないじゃんって」
さらり。
「一方的に、自分勝手に嫌いになって、私って凄く嫌な子供じゃんって」
さらり。
「演技までして、騙して、嫌々仲良くして。メッチャ嫌な奴じゃんって」
さらり、さらりと。
「恥ずかしかったです」
過去の自分を、嗤わずに笑う。
「ごめんなさい、しなきゃって思いました」
無かったことにはせず、大切に。
「……三枝さん?」
「なんでしょう」
そんな様子を見て、俺もまた────空気を読んでの、ドヤ顔一つ。
「解釈一致だよ」
「やめてくださいってばソレ。お兄ちゃんって叫びますよ、住宅街で」
これ以上、もうチクチクは感じなくて済みそうだ。
十歳だよ。とんでもなく賢い子だよ。




