ひよこの休日:Part.-n
────初めて会った、両親の友人たる芸術家夫妻。
優しい顔立ちと優しい声音で、大人の男性特有の圧を全く感じなかった穏やかな旦那さん。幅広く世界で活躍するアートディレクターこと七咲有一さん。
そして、その奥さん。スラリと高い身長に北国特有の透き通るような美貌。金細工のようなブロンドヘアに負けない活き活きとした瞳の輝きが強く印象に残る、当時から既に現代の画伯として名を馳せていた画家エレナ・ヴルーベリさん。
一年前から憧れていた〝将来の夢〟および、彼女の伴侶。
そんな人たちと実際に会うことができて……天狗になっていた生意気な子供も流石に年相応、無邪気にはしゃいでいた記憶がある。
そう、顔を合わせて、ほんの数秒だけ。無邪気に、はしゃいだ記憶がある。
二人の後ろに隠れていた、小さな妖精に気付くまでは。
まず、幼い頭がフリーズした。北国の冷気に当てられて、ではなく理解不能な未知に遭遇したゆえのこと。それが『妖精』ではなく『人間』であると……。
つまるところ自分と同じ存在であると理解するまで、要した時間は十数秒。
然して、理解に至ったのならば────当時から既に大人の輪に混じっていた枠外の十歳として、思考の回転速度は平均的な同年代のソレに非ず。
けれども、たかだか十歳。
ただ年を重ねた人間が大人になれるわけではなく、年を重ねることで得た成長の機会を上手に掴み続けることで賢明な人間になれるように。
他人より幾らか賢かろうが、そんな『機会』を経験したのは数えられる程度。即ち過去の日和は少し賢いだけの〝子供〟に過ぎず、理性に関しては並だった。
────なに、あの子。
だから、そう。
────私より、可愛い。
未知なる出会いの驚嘆が、途方もない反感に姿を変えるまで、一秒足らず。
出会ったことが、なかったのだ。経験したことが、なかったのだ。────十歳の日和は、まだ知らなかったのだ。世界に自分よりも特別な子がいることを。
ともすれば、それは〝知らない恐怖〟に対する防衛機構。身を守るために、心を守るために、目前の妖精を瞬時〝敵〟と判断した日和は……。
────Здравствуйте。
大人も子供も、十年の歳月で分け隔てなく無数を虜にしてきた、完璧な笑顔で。
敵意も反感も一切を誰にも気付かせないと……未来でも『気付かれていない』と確信しているような、そこは明確に子供ならざると自重できる完全な演技で。
練習してきた異国の言葉を挨拶として、妖精に投げ付けた。
それから一週間。控え目に言って、悪夢のような日々。
一つ年下の妖精ならざる人間の少女……リリアニア・ヴルーベリは日和の思惑通り、優しい顔で近付いてきた同年代の〝友達〟に鬱陶しいほど懐き倒した。
純粋無垢。無邪気で潔白。穢れを知らないとは、まさにこのこと。そんな多くの美辞麗句を尽くしてもなお足りない、どこまでも透き通った存在感の少女。
そんな〝敵〟を相手に、日和は『良い子のお姉ちゃん』を演じ続けた。
なんのためか────そんなもの、憧れの人に好いてもらうため。あわよくば気に入られて、絵の指導などしてもらえたらと我欲を抱いていただけのこと。
だから、仲良くした。
仲良くするほど、反感は明確な嫌悪へと変わっていった。
容姿だけならば、そこまで拗らせることはなかったと思う。けれども当時の、幼き日和のメンタルにとっては致命的────〝将来の夢〟でさえ、
完膚なきまで、上回られては。どうしようもなかった。
お絵描きをしようと、日和から誘ったのだ。
……過去の自分を最低限フォローするのであれば、別に『いてこまそう』なんて意図は誘い自体に含めていなかった。ただ単に、興味と願い。
いくら自分より遥かに可愛い顔を持っていようが、流石に。
天は二物を与えない────あらゆる分野で持て囃されていた日和の、反語として聞かされ知っていた言葉。それが正しく適用されるのであれば……そう。
如何に画家の娘といえど、絵では自分が上なのではないかと。
そうであるならば、痛快だと。傷付けるためではなく、ただ自分の心を慰めるために────つまるところ、結局は醜い感情を理由に。
挑んで、容姿以上に、いてこまされた。
あまり気乗りがしない顔でリリアニアが描いた〝らくがき〟は、子供の書く『絵』ではなかった。それは、大人が描けるものですらなかった。
天性の才能がなければ描くこと許されない、それを単なる『絵』として認識するのを脳が拒むような感覚……日和は、そこでようやく言葉として自覚した。
────あぁ、私、あなたのことが大嫌い。
そして、追撃。リリアニアが可愛らしい声で、ぽつりと呟いたのだ。
────お絵描き、あんまり好きじゃないの。
幼く、輝かしく……けれども実は酷く脆いものだった、日和のプライドを。
粉々に砕いて、磨り潰す戯言を。
天才の悲哀。




