空事は在らず
「頼めるかな」
「ぁ、はい……」
卓上。いつの間にやら空になっていたグラスを徹吾氏に示され、ウェイターの血が騒いだわけではないが俺は反射的にビール瓶を手に取った。
然して、酌をする間にも。
「大層、困っているね。無理もないだろうが」
「…………」
まさしく困っている……というか、予想もとい願望の遥か斜め上を行く反応および戯れを向けられたものだから、真実どうしていいやら分からない。
「ありがとう。流石、様になっている」
「……恐縮です」
とはいえ、染み付いたスキルが裏切らないのは現実世界も仮想世界も同じこと。無様な粗相は避けるまま注ぎ終われば、徹吾氏は礼と世辞を言い……再び一口。
俺のバイト来歴は全て知っているのだろう。今更のことである────
「私が娘の〝伴侶〟に求めることは、ただ一つだけ」
どうやら、俺が息つく暇はないらしい。静かにグラスを置くと共に、徹吾氏は既に幾つか料理が並んでいる卓を眺め……つまり、此方へは視線を向けずに。
独り言ちるように、しかし確かに俺へ向けて言葉を紡ぐ。
「なにがあろうとも、必ず添い遂げてくれること。その『ただ一つ』を違えず契り、あの子が消えてしまいそうな時には必ず手を差し伸べてくれること」
まるで、願い事を連ねるように。
「本当に、それだけで、いいんだ。あの子に必要なのは……────あの子に、なくてはならないモノは、それだけなのだよ。……あぁ、春日君」
彼は、何処かを見据えながら、
「その点に関して、私は君を疑っていない」
「…………」
適当に言葉を返すことなど憚られる『信頼』を、言葉として俺にくれた。
「君で良かったと、思っているよ」
「……、…………」
黒い瞳が、再び俺の方を見る。
いろんな意味で、返す言葉が喉の奥から出てこない。
「……少々、どころではなく込み入った関係性には違いないだろうが、君たち四人が想い合っている現状も、どちらかと言えば好ましい。これも冗談ではない」
「………………それは」
「あの子と共に未来を歩んでくれる〝家族〟が増えることは、私としては素直に好ましいんだよ。心強い、と言い換えてもいい。……アリシア君などは、特にね」
勿論リリアニア君も、親しく近しい心の支えとして得難い存在だ────と、それもニアへのフォローというか本心なのだろう言葉を付け足しつつ。
「あの子が……そらが君に頷くのであれば、元より私は口を出すつもりなど更々なかったのだよ。最初から……────君に偽装婚約を持ち掛けた、その時から」
「…………こうなることは、わかっていたと」
「あぁ。こうなることを、願っていたとも」
甚だ『普通の父親』からは懸け離れた父であろう彼は、その通り。普通の父親ならば決して宣うことはないであろう本音を躊躇うことなく告げた。
「春日君」
「……はい」
そして、徹吾氏は一拍の息を入れた後に俺を呼び、
「────だとしても、だからこそ、半端は許さない。わかっているね」
眼光鋭く、常の俺ならば震え上がって然りであろう瞳圧と共に断じる。
目は逸らさない。恐ろしさとは別の意味合いで、恥ずかしながら目が湿っていることは気付いているが……ここで視線を受け止めなければ、それこそ一生の恥。
だから、至近。
「はい」
真っ直ぐに、断じて返す。
「三分の一などと、舐めた真似はしてくれるなよ」
「二言ありません。俺は俺の一生を、一人ずつに捧げます」
怯むべき場面ではないと、決死の覚悟を示すように────
然して、
「……────はは、言うに事欠いて、人生三回分の愛を捻り出すつもりかね」
やはり、彼は穏やかな笑みで全てを塗り潰し、
「私の識る君だからこそ、しでかしてくれると信じよう」
漸く、堪らず……頷き、顔を俯けて逃した俺の肩を、親しげに叩いた。
◇◆◇◆◇
「────いや、すまなかったな。つい口が止まらずに」
「いえいえ……! そんな、全然……!」
斯くして、数時間後。
成すべき〝会話〟を終えた後は、端から『祝いの席』として用意してくれたらしい贅沢三昧の食事会へ。見たことないほど上機嫌というか、若干キャラ崩壊が起きるレベルで口軽く楽しげに喋る徹吾氏に付き合う内、諸々あっという間。
席を立つと共に随分と砕けた表情で謝罪する彼に、俺は慌てて首を横へ振る。
「楽しかったです、俺も。……あの、本当に」
お愛想ではなく、良い時間を過ごさせてもらったから。
ぶっちゃけ料理の味などは微妙に記憶が曖昧だが、子煩悩お父上様との『愛娘』あるいは『想い人』の他視点惚気合戦は俺も心の底から楽しんでしまったものだ。
勿論、流石というか天下の四谷代表様の度量あってのことだろう。以前にも思ったことだが、やはりウチの【総大将】と近しい雰囲気を感じざるを得ない。
安心して話をさせる器。まさしくのカリスマというやつだろう。
「はっは────義理の息子と上手く付き合えそうなのは、喜ばしい限りだな」
「…………あの、まだですからね。まだ、あの、返事もらってないんで」
とはいえ、パパになると地味に威厳が行方不明になるところまで似通わないでいただきたい。ゴッサン相手なら遠慮ナシ容赦ナシにツッコミを入れられるが……流石に徹吾氏相手には、まだそこまでは思い切れないゆえに────
「では、希君。行くとしようか」
「はい」
せめて俺の心が追い付くまで今暫くは、想い人の威厳ある御父上様として。
どうぞ睨みを、利かせておいてくれますように。
といったところで六章第二節、これにて了といたします。




