月締め
至りて、二月末。
他より短い日数も相まって、二つ目の月日は至極あっという間に過ぎ去った。
俺はと言えば、直前に見据えた攻略部隊から外れたこともあり平和が継続。あれこれ考えるべきことが尽きたりはしないまでも、これまでと比べたら天と地の差。
忙しない毎日に慣れ切っていることもあり、いっそ戸惑うほど穏やかな日々。ならば良い機会と遅れまくっている勉強をガチったりしつつ、現実世界でも仮想世界でも最近では極々貴重な『暇人』を満喫させていただいた……──無論、
並行して、至りて来たる〝本日〟に向けた、心の準備は怠らず。
「────それでは、乾杯。……そうだな、君たちの次なる攻略に」
「次の攻略、俺は留守番ですけれどもね…………乾杯、です」
重ねて、二月末。その夕刻より暫し。
俺は招待された料亭の座敷にて、クライアントこと四谷代表……もとい、ソラの御父上様こと四谷徹吾氏と一対一で卓を挟み向かい合っていた。
軽く掲げ合った互いの手には、グラスが一つずつ。
輝く黄金色の甘露に白雲の天蓋。パッと見れば同じ中身だが、勿論のこと俺の方はノンアルコール────裏を返せば、徹吾氏の方は本物のビール。
雰囲気のために付き合ってくれと言われるがまま頷いたが……正直、初っ端から飲まれるものと思っていなかったので面食らった。これもポーズあるいは意思伝達として受け取るのであれば、ガチと見て戦々恐々とした方が良いのだろうか。
本気で腹を割って話そうと、退路を断たれたものとして────と、
「……。まだ飲めないのが残念だが、なんとなく春日君は強そうだな」
「いやぁ、どうでしょう。父は強いんですが、母が下戸なもので……」
ぶはぁ────とか、くはぁ────とか、居酒屋バイト時代に見た多種多様なオッサンの作法は、天下の四谷代表の口から零れることはなく。
グラスの三分の一ほどを気持ちよく呷ったものの、品良く息をついた徹吾氏は無邪気な……そう、無邪気としか言いようのない笑みを浮かべて俺を見る。
「ノンアルコールも初めてと言っていたね。どうだい?」
「……ガムシロップとか入れたら、美味しく飲めますかね?」
「はっは、相変わらず正直者だな」
見て、泡の口髭を付けている俺が『苦いです』と白状すれば、更に愉快そうに笑った。今のところ機嫌は上々といった具合。なによりではあるが……。
「さて……────いつまでも緊張させておくのは申し訳ないからね。折角の料理を心置きなく楽しむためにも、するべき〝会話〟を終えておこうか」
「…………よろしく、お願いします」
言うまでもなく、気を抜けるはずがない。
怖気付いてはいないつもりだが、それはイコールで恐れや怖れや畏れが無いということにはならない。この場に於いて、俺は間違いなく説かれる側だから。
居住まいは、正すまでもなく。口元を拭い、真っ直ぐに彼の……『父親』としての視線を受け止める。なにを言われる覚悟もできていると示すように────
さすれば、
「………………、」
徹吾氏は、やはりまず一つ、穏やかに笑んでみせた。
「改めて、先日の発表は大層……本当に不意打ちで、心の底から驚かされた。ともあれ、もう君と私も浅い仲じゃない。面と向かって言うべきことは言っておこう」
笑んで、彼は再び持ち上げたグラスを軽く傾けた後。
「おめでとう。彼女を大事になさい」
「────……はい」
痛みはない。けれども、真っ直ぐな祝辞が深々と心に突き刺さる。
痛くはなくとも、忘れることなく刻み付けておくべき言葉だ。これまでに幾つも、そしてこれからも無数に俺が貰い受けるであろう、抱えて進むべきモノ。
────俺はまだ、三人それぞれへ想いを告げた事実を彼に伝えていない。
それは、今これから言う。
「…………俺、アイリスだけではなく」
だけど、
「ソラ……────そらさんにも、好きだと伝えました」
「………………」
きっと、
「ニア……リリア、ええと…………ヴルーベリの、お嬢さんにもです」
「………………あぁ」
おそらく、彼は────
「そうだろうと、思っていたよ」
「………………でしょうと、思ってました」
また笑う、と。そんな俺の予想は正しかったようだ。
そして、
「君が答えを出した未来だからこそ、好き勝手に知った顔をさせてもらうがね。正直どちらかになるだろうと、君が進む道は二択になるだろうと、確信していた」
「どちらか、二択……?」
「あぁ、そうとも。────リリアニア君だけを選ぶか、全てを攫おうとするか」
「…………」
「しかしながら、前者の確率が極めて高いと思っていた。だから、まあ……予想はしていたものの、驚かされたことに変わりはない。流石だね君は」
「…………………………」
俺程度では読み切れないだろうと、そんな予測までも当たっていた。
然して、思わず言葉を失った俺に、
「当たっているだろう?」
徹吾氏は何度でも、穏やかに笑む。となれば、俺は────
「……………………………………はい」
完全敗北を認めて、頷く他になく。……けれども、流石に内訳までをも彼に言われてしまうのは、情けないどころではないと諦めて口を開いた。
「俺が、どの道を選んでも、誰も諦めないって、わかってたんですよ」
「…………うん」
「ソラを選んでも、ニアを選んでも、アーシェを選んでも。……ソラは、きっとパートナーとして俺の隣に居続けてくれる。いつまでだろうと、絶対に」
「そうだろうな」
「ニアは、……アイツ、もう本当、一生引き摺るどころの話じゃないというか」
「話を聞くに、そうなんだろうな」
「アーシェは、なんかもうアリシア・ホワイトですし」
「それは何よりも、その通りだろう」
わざと茶化すような合いの手が、救われるようなトドメのような。
「……………………だから」
「あぁ」
「……………………もし、誰か一人を選ぶなら」
「うん」
「……………………他のなんでもない、ただただ〝恋〟だけをしてくれる人を、」
乾いた喉に飲み慣れない液体を流し込めば、余計に乾いた気がして参った。
「選ぶべきだろうと思って……────選び、ませんでした」
「…………うむ」
参ったが、白状すべきこと……いや、違うな。
誰か一人くらいには、白状しておきたかったことを、つらつらと。情けないなりに開き直って全部ぶちまけてみせれば、徹吾氏は一つ頷いた。
今度は、笑っていない。
「……春日君は」
笑わずに、俺を真顔で真っ直ぐに見据えて、彼は言う。
「この世界が、実に似合わないな」
言葉の意味は、わからなかった。
わからなかったけれど……なぜだか不思議と、理解できた気がして。
「…………最後に、最終的に、選ぶのはソラ……そらさんです。煮るなり焼くなり好きにしろって、俺の生殺与奪権は既に三人共へ譲渡してしまったので」
立ち上がって、数歩を踏んで、再び床へ。
位置を対面から隣へ移して、もう間に卓は挟まっていない。択も無い。
斯くして────ただ、頭を下げる。
「余分は残してません。だからもう、止められても俺の意思じゃ止まれない」
静かな息遣いが頭の上。表情も内心も窺えない。
「俺はもう、俺のことを俺のモノだと思ってない。だから────」
関係ない。
言いたいことは、決めてきた。
「娘さんをください、ではありません」
「………………」
「俺が、俺の人生を、そらさんに捧げることを赦してください」
「…………………………」
なに言ってんだか、わかんないだろうな。
だって俺も、俺が一体なに言ってんだか正しく理解できてなさそうだから。
然して、どれくらいの時間が経ったか。
数分のようにも思えたが、もしかすれば数十秒と経っていないやも────
「…………顔を上げなさい」
思考の隙間なく、言われるがまま頭を持ち上げた。
さすれば視界に映ったのは、言い表せぬ表情をした『御父上』……ではなく。
「……へ?」
渋い手帳型ケースに納まって、更に徹吾氏の手中に納められている、スマートフォンが一台。更に詳しく言えば、ディスプレイには録音中を示す表示。
「………………へ?」
硬直。フリーズ。当然の反応だろ舐めてんのかと状況が状況ならツッコミを入れていたろうが、そんな訳にもいかず間抜けな声を零す俺へ、
「常々、ここぞという場面で君が〝役者〟になるのは心得ていたからね」
緩く頬をヒクつかせた『パパ上様』が、ほんの僅かながらも声音を揺らし……────トンと録音終了のボタンをタップすると共に、空いた片手を俺の肩へ。
ポンと、親しげに置いて。
「言質は取ったぞ。そこまで言うなら、捧げてもらおうじゃないか」
実に嬉しそうに、今日一番の笑みを見せるものだから。
「……………………ぇ?」
俺も俺とて、今日一番の間抜け顔を晒して然りというものだろう。
そりゃあ、娘が幸せそうに笑っているのを知ってるんだもの。
もう一話だけ続いて〆。
※ちなみに以前に本編で仄めかしたことですが、徹吾氏や千歳さんが観測できる場面は誰かさんに『観測が赦された場面』に限られるのでアレとかコレとか全部を丸っと知っているわけではありません。勘違いしてる人多そうなので補足。
例を挙げれば主人公の告白シーンなど極まってプライベートかつセンシティブな場面は基本ダメ。なので徹吾氏が『知っていた』のは彼の言う通り彼自身の予測推測によるものです。天下の四谷代表を舐めてはいけない。




