Re:仮想脳
────富成幸明。若くから国内外を問わず活躍していたという元脳神経外科医にして、他ならぬアリシア・ホワイトの叔父にあたる人間だ。
アーシェの父君が長兄となる三兄妹の内、次男の後に生まれた末の長女ことドロシー・ホワイトさんの旦那様という位置。アーシェとは子供の頃に顔を合わせてから、もう十年来の付き合いとのこと。親しげなのも当然な歴史持ちというわけだ。
他にも、姪っ子から『あれでライトノベルの主人公みたいな人』だとか『ホワイト生まれじゃないけどホワイト生まれみたいな気質の人』だとかアレコレ特筆点を聞かされている御仁だが……この場に在って、最も重要なプロフィールは一つ。
元……まあ、簡単に辞職が通るような世界でもないのだろう。
完全に職を退いたわけではなく自称〝元〟脳神経外科医であると嘯く彼が、医療に携わり続けながらも現在の専門として掲げている肩書き。
それこそは『外部機脳』研究者、である。
「────っと、まあね。こんな堅っ苦しい小道具は置いとこう」
「えぇ……」
然して、飄々が絶えない声音と振る舞い。
世界でも名立たる『先生』とのことだが……持参した重要書類らしきファイルをポイっと扉脇の棚へ放り投げる様子は、クタクタで帰宅したサラリーマンがソファへ鞄を適当に放り投げるような雰囲気のソレ。威厳もへったくれも感じられない。
覇気もない。オーラもない。著名な男性という枠で比べるのであれば、ソラの父君こと四谷徹吾氏とは対極に位置するようなタイプの人……。
と、重ね重ね失礼なことを考えてしまいながら、口に出さなけりゃセーフと思いつつ顔に出るのは仕方ないよねと諦めている俺の傍へ、
「んどっ……こいしょっとぉ」
歩み寄り、近場の椅子をヒョイと動かしドカリと着席。細身ではあるものの上背があるため、近くで見上げると存在感は中々に大きい。
そして、その目も。
目を合わせて、よくよく見れば、確かに言い知れぬ『迫力』が在るものだ。
「ほら、アイリス君も座って。仲良く一緒に聞きなさい」
「ん」
そこはアーシェ呼びではないんすね、という件は三日前に消化済み。入口側のベッド脇に陣取った幸明氏に促され、アーシェが元居た窓側の椅子に腰を下ろす。
自認絶好調とはいえ、一応は入院着姿でベッドに大人しく収まっている俺。それを挟む見舞い人と医師。シチュエーション的には緊張感が在って然りの場面。
しかしながら、幸明氏が引っ提げてきた変わらぬ緩い表情が、そんなもん不要だ不要と言外に告げていた。ので、割かしリラックスして待ち構えた俺たちに、
「結論から言おう。────全員、これっぽっちも異常ナシ。一人残らず五人とも、私から見れば羨ましいくらいの健康体だ。何も心配は要らんだろうね」
甚だ医者らしい振る舞いをしない彼は、あっけらかんと笑って言った。
然らば、そ
「あぁ待て待て、さりとて心配なのは理解してるよ」
「まだなんも言ってねっす」
……それは何よりです、と返しつつ。結論は結論として詳細を問おうとしたところを、食い気味というかマイペース極まる進行で遮られてしまった。
こちらもツッコミめいて反射の文句は返してしまったが、この三日を通して彼のペースにも慣れたもの。話が続くのであれば黙っとくのがヨシだ。
あるいは、
「……完全に、異常ナシ? 何十万倍もの時間加速を、経験して?」
「あぁ、ナシだとも。何らかの負担やダメージを負ったと思われる個所は、君たちの頭の何処にも見当たらなかった。医者としての私が保証しよう」
いつもの如く、いつも以上に。アーシェに任せとくのが安定だ。
「そして次に、外部機脳研究者としての見解を述べさせてもらおうか」
「ん……よろしく」
斯くして、スムーズに繋がった説明の端に幸明氏は首肯一つ。
「まず前置きとして、既存知識のおさらいから始めよう。────仮想現実導入筐体【Arcadia】が、君たちプレイヤーのログインに際して一人一人に創り出し充てがう臨時脳、それこそが『外部機脳』という君たちに代わって考える頭だ」
メチャクチャ早口。しかし、英語のリスニングと比べりゃ聞き取りは容易。
「勘違いから怖い想像をする者もいるが、思考を肩代わりしているからといって『じゃあ実際に仮想世界で見て聞いて動いてるのはプレイヤーのコピーってこと?』なんて話じゃない。仮想世界に居るのは間違いなくプレイヤー本人であり、外部機脳が模倣した臨時人格のフィードバックを受けて自分自身が遊んでいたとログアウトの後に錯覚しているだけ、なんてことはないから安心するといい」
よ、容易……。
「あくまでも、君たちの脳に代わって情報を処理する頭が用意される、というだけのことだ。仮想世界で如何なる行動を起こすにしても端を発するシナプス自体は君たち自身のモノであり、ゆえに君たちは君たち自身しかいない。だがここからが面白いところで、外部機脳は驚くべきことに情報に可逆性を与えて捻り特異なループ構造を生み出すことで情報伝達エネルギーの過剰暴走を散らすという理解し難い奇跡を実現している。これを私たちは仮に『メビウスの輪』と呼称してマジありえねー空想の産物と声を高らかに日々笑い転げているわけだが、まあつまるところそのマジありえねー奇跡の技術によって、君たち本来の脳は時間加速だの思考加速だのという実際に生身で実現しようとすれば脳神経が無限に在っても足りないであろう負荷をゼロとして、夢の世界で真実やりたい放題のヒーロー活劇を楽しんでいるということに他ならない。これは全く信じがたい魔法のような────」
「叔父さん」
「────ぇ、うん。あ、ごめんね?」
良かった。アーシェが止めてくれなきゃ、そっと耳を塞いでいたかもしれない。
「『外部機脳』がどんなものかは、私もハルも……」
チラリ、ガーネットが俺を一瞥。ぶっちゃけ言ってしまえば専門的なアレコレは知ったこっちゃないが、とりあえず進めてくれと頷いて見せれば了解の瞬き。
「私もハルも、理解してる。前提知識は、そのくらいで十分」
「あははは……そうか、失礼した」
然して、研究者ってより早口オタクみたいだったなと再三失礼思考を働く俺を他所に。自覚しているのだろう幸明氏も己に向けた苦笑いを零しつつ。
「つまりは、そう────『メビウスの輪』だ。あの不可能機能は理論上……理論証明が成されていない技術に向けて『理論上』どうこうと宣うのは無様の極みだがね。生憎、他に上手い言い方も浮かばないので言わせてもらう」
先と同じく、あっけらかんとした表情で。
「アレが在る以上、仮想世界で起こる事象を原因に君たちの現実脳に負荷が生じることは有り得ない。外部機脳研究者としての私が……私の、まあ、推論だ」
恥ずかしながら、こっちに関しては『保証』なんて不可能だがね────と、しかし一定以上の自信や根拠は在るのであろう語り口で言い切った。
「記憶の混濁、休眠の強要、そして……春日君だけに起きた唐突な意識の途絶症状。一応だが、全て等しく『外部機脳』絡みで推測が可能だよ。聞くかい?」
そして、やはり自信あり気な推論は続くらしい。
俺とアーシェは顔を見合わせた後、当然の如く二人揃って頷いた。
「よろしい。ではまず記憶の混濁から……────これは、最も単純にして簡単だ。外部機脳から君たちの現実脳へ情報が移る前に、記憶が削除されたんだろう」
……勿論のこと。
頷いた次の瞬間、いきなり至極とんでもなく恐ろしい推理を聞かされるとは思わなんだが。俺とアーシェは一瞬の拍を置いて、再び顔を見合わせてしまった。
そんな様を見て、あろうことか幸明氏は「はは」と笑い、
「外部機脳と君たちの現実脳。そのやり取り間には、当然だがラグが生じる」
「……それは」
「そう、でしょうね……?」
「しかしながら、その情報転写の時間差は【Arcadia】にとって自在なものだ。なんせ時間加速機能という究極のズルが存在する訳だからね。データの処理に費やす時間など、無に等しい極小を無限に拡大して好きに割り当てられてしまう」
「……そ、………………」
「……? ……、……………………?」
「そして、逆も、また然り。いや、言葉遊びのようになってしまうが、逆と並列する表と言おうか。重ねて言うが、仮想世界に於いて【Arcadia】は時間を如何様にも手玉に取る。即ち、無に等しい極小を無限に等しい極大へ膨らませた後に、再び縮小することも可能ということだ────わかるかい? 怖ろしいことだよ」
「…………ハル?」
「………………………………すまん、俺は置いてけ」
「ん…………その、わからなくてもいい。本当に、怖いことを言っているから」
斯くして、無事ギブアップした俺の頭へアーシェは慰めの手を降らせつつ。
「……今回、私たちが『攻略』で体験した時間は数十時間。けれど、その間に現実の時間は一秒たりとも進んでいなかった。これが極小から極大」
「そうだね」
「でも、拡大された時間を観測しているのは【Arcadia】が創り出した仮想脳であって私たちの脳じゃない。だから、たとえ何十万倍もの時間加速による莫大な情報処理が生じても……私たちの脳へ負荷が行く前に、魔法がエネルギーを散らす」
「その通り」
「つまり、あの何十時間にも亘る一瞬の間、私たちは思考しながら思考していなかった────極大に変換されると同時に、極小のまま時間は其処に在った」
「素晴らしい。つまり?」
「…………………………私たち、は」
アーシェは、ほんの少しだけ。気のせいでなければ怯えたように言い淀み……俺の頭上から落とした手で、今度は俺の指先を握りながら。
「あの瞬間、実質的に────過去と未来で、同時に存在していた?」
「はい???」
完全に置いてけぼり。俺が毛ほども理解できない答えを口にして、
「流石はホワイトの『お姫様』だ。私などより余程のこと聡明だね」
この場で、ただ一人。マイペースな叔父を喜ばせた。
ご安心を。私も主人公と同様「?????」と思いながら描いています。
理解はできるけど、決して理解はできないこと。
理解できてしまっては、存在する意味がない事象、だからね。




