束の間
病院では『お静かに』が遍く世の常識。しかしながら防音完備に加えて、そもそも配置が一般病棟から外れている特別個人病室に在って話は別。
おそらくワーワー騒ごうとも余程でなければ見逃され、反して部屋に騒ぎが近付く可能性は徹底的に排されているのであろうVIP待遇。案内された初日、思わず「え? ホテル?」と間の抜けた感想を零した俺の感性は無限に正常なはずだ。
言うほど病院イメージ先行の白基調というわけでもなし、シックな色合いで纏められた広い一室。名称も知らぬ機器類やテレビならざるモニターなど如何にもな器材が設置されている点を除けば、病室から『病』の字を取っても違和感はない。
入院費用諸々は決して聞くまいと心に誓っている。
そんな部屋を、畏れ多くも貸し切り……個室なのだから当たり前だが、まあ、貸し切り状態。加えて検査結果待ちとはいえ実際のところは元気溌剌コンディション、ならば多少は好きに過ごしたくなるのが一般的男子大学生マインド。
けれども常駐監視人員は、かのアリシア・ホワイト様。薄氷に例えられる静謐な外見イメージに反して、別に無口なわけではないことを俺は知っているが……。
「「…………………………………………………………」」
残念ながら、この『お姫様』と適当に騒ぐという思考が浮かばない。それゆえ個人病室は三日間に亘り、お行儀の良い静けさで満たされているのが常だ。
手の中にゲームのコントローラーあるいは『剣』が在れば話は別だが、基本的にアーシェは日常の中でキャイキャイはしゃいだりテンションを上げることはない。
そこは感動的なまでにキャラクター通り。仕事や使命や責務を僅かな間とはいえ完全に手放し、自由の暇に揺らぐ彼女が手に取るのは……────
「…………………………、……?」
その白魚よりもなお美しい手に在れば、一周回って心底から洒落た風に見えてしまう硬派で面白みのないブックカバー……に、背表紙を包まれた〝本〟が一冊。
カーテンを閉め切っているため外の景色は望めないが、確かに其処に在る窓。
それをバックに静かに椅子へ納まる幻想的な容姿、遮光の隙間から僅かばかり差し込む日差しに照らされ煌めく純白。併せて輝くガーネットの色彩。
「なに……?」
意識を籠めていた本から顔を上げ、空いた片手で横顔に遷ろっていた髪を掃う。暇潰しを視線に邪魔されて、しかし首を傾げたアーシェが俺に向ける顔は、
「……?」
「……………………………………絵画やってた経験ある? ローマ辺りで」
「……ふふ、もう聞き飽きた」
冗談で茶を濁さなければ参ってしまうような、現実味がないまでに綺麗な微笑。
超可愛い。いやもう、この感情ってか感動を正しく表す新造語か来いってなくらい、可愛いなんて言葉じゃ一ミリも形容に足らないくらい超可愛い。
この三日、暇だ暇だと言っているが白状すれば暇なんてない。暇そうなアーシェを見ているだけで無限の時間を過ごせそう……なんてのは流石に誇張だが。
いや別に過ごせと言われたら過ごせるけども。
「ん……構ってあげる?」
「結構。悠々自適な読書タイムを堪能してくれ」
そんな風にして、重ねて。
二人でいる間、個室の中を満たすのは基本的に静寂。アーシェは本の物語を読み解いて時間を潰し、俺は絵画の無表情を読み解いて時間を潰し……。
「「…………」」
時たま、距離も潰したりして。
やはりどこかで遠慮……というより、バランスを取るために配慮をしているのだろう。アーシェは攻め手を躊躇わずとも、踏み込みの深さには調節が見て取れる。
椅子から持ち上げた腰を、ベッドの上に。
つまるところ、暇に飽かして寝転がっている俺の横へ。そして器用に片手でページ捲りまでこなす右手をそのまま、空いた左手で獲物を捕まえる。
実に簡単な捕り物だったろう。獲物の方に、逃亡の意思など皆無だから。
ベッドの端に腰掛けて自然、俺から見えるのは純白の滝を纏う背中だけ。顔は向けず、差し向けられたのはスイっと繋がれた手より伝わる熱だけ。
この場を留守にしているソラやニアに見つかっても、おそらく半眼ジトリでギリ済む程度の、ふれあい。……指を絡めるか否かは、お互いの気まぐれ次第。
────ちなみに、
「アーシェ」
「ん……」
「今日は、なに読んでんの?」
「ん」
その、硬派で面白みのないブックカバーの下。隠された本の題名が、
「【異世界合同コンパ -獣耳天国に紛れ込んだコスプレ実姉に一目惚れ-】」
コレであるのは、世間には内緒にしておきたいところだ。
「雑食が過ぎるだろ乱読家」
「意外と面白い。おふざけタイトルに似つかわしくない文章力と純愛テーマ」
「そ、そうすか……」
「獣人になりたい人間の姉。対する三角関係のヒロインが、実は人間に憧れる逆コスプレ獣人だったと判明する後半の捻り。安直だけど描き方が秀逸」
「本当にちょっと面白そうなの謎に悔しいからヤメテ」
とまあ、意外な趣味────と、いうわけでもないのか。これもアーシェのライフワークが一端。かの北陣営におわす現代の聖女様こと【玉法】とは方向性……というか熱意や視点の種類が違うが、同類っちゃ同類なのも間違いではない。
【Arcadia】という夢の箱舟に出会い、仮想世界へ飛び込み、あれよあれよと『最強』の称号を与えられてしまった【剣ノ女王】の前身。
幻想物語傾倒の重度二次元オタク。その名もアリシア・ホワイトの姿である。
【Arcadia】が世に出ていなかった場合、おそらくは小説家あるいは漫画家あるいは脚本家になっていただろう、とは最近になって聞かせてもらえたアーシェ談。
勝手に一般化してしまったイメージを一応は守るため、世間には秘密とされている極限趣味人家系ご令嬢の真なるオリジン。
勿論、そんな『秘密』を打ち明けられた俺が思ったことなど一つだけ。
「それ、果たしてファンタジージャンルなのか……?」
「異世界だもの。ファンタジーよ」
「異世界の後に繋がれてる五文字がファンタジーの六文字に蹴り入れてない?」
「異世界も恋愛事情は大変なんでしょう。きっと」
「にしても、もうちょい字面に夢があっても……」
「ハル」
「はい」
「昨今、純粋王道で称賛される物語は極僅かなのよ。捻りは作家の必要努力」
「なんかすいません」
これはこれで超可愛い、以外に在るわけがないのだが────と、
コツコツコツ。
穏やかな静けさの中。気の抜けた会話を展開していた俺たちの声音の横から、部屋へ飛び込み転がった音。こちらの耳へ届くよう、控え目ながら確かに三度。
「ん、私が」
「はい、よろしく」
ノックの音を拾い上げ、ベッドから下りたアーシェがスタスタと扉へ歩んでいった。────髪も、瞳も、そのままで。腕輪による変装を解いたまま、
俺も俺で、背に揺れる純白へ慌てて注意を投げたりもせず……。
ガラリ、なんて音を立てない整備され切ったドアを躊躇なく。他人が目にすれば刹那で大騒ぎが必定の素顔を晒すまま、アーシェは躊躇いなくスライドさせた。
然らば、
「────やあ、ごきげんよう」
「ん、おつかれさま」
扉の奥、立っていたのは白衣を身に纏う男性が一人。
歳の頃は四十代前半。失礼ながら医者の不摂生という言葉が思い浮かんでしまう痩せぎすの様相。清潔感はあれども、くたびれた表情から漂うダウナー気配が『この医者、大丈夫か?』と多くに不安を抱かせること請け合いな容貌。
黒髪黒目、長身の純日本人。
そんな〝彼〟は、目前に顕れた仮想世界の姫君に一抹の動揺も見せることなく。それどころか、互いに親しげな声を交わし合って────
「やあやあ春日君。今日の調子は如何かな?」
剽軽な動作で上体を横に倒し、アーシェの脇から通した視線と挨拶を投げてきた。本当に白衣……権威の衣が似合わない人だな、と俺は苦笑いを零しつつ。
「絶好調ですよ、先生」
「それは何より」
手をヒラヒラ振って見せれば、彼は────先生こと元脳神経外科医様、富成幸明氏は……にへらと、やはり今一頼りにならなさげな笑み一つ。
それと併せて、もう一つ。
「お待たせしたね。検査結果、丸ごとドッサリ持って来たよ」
持参した厚めのファイルをバタバタ、俺の手に振り返してみせた。
イチャついてるのを眺めてたら一話が終わったんだけど。
諸々の情報雪崩は次話より。




