第四話「レナード」
約束通り、俺は魔物の討伐に出ることをやめた。
魔物の脅威はまだ多く残っていたが、ルシアンとの約束の方が大事だった。
幸運だったのは、南部からの援軍がちょうど到着したことだ。
フリッツ・ヴァイスベルク公爵。
精鋭を連れてやってきたのは、南部の防衛を一手に引き受けるヴァイスベルク領の大将軍だった。ベルンシュタインの住民たちは喜びの声を上げていた。フリッツ様ならきっと、北部の治安を回復させてくれるだろう。
だから俺は、心置きなくルシアンに剣を教えることにした。
木材から木剣を切り出してルシアンに与える。最初はその重さに振り回されていたルシアンだったが、二日もするとまっすぐに剣を振れるようになった。
「やあっ」
ルシアンが木剣を振り下ろす。かんっと、いい音がした。俺が手にした木の棒がそれを受け流したのだ。だが、ルシアンは止まらなかった。振り下ろした勢いを利用してもう一歩踏み込む。
――おいおい、嘘だろ?
不意を突かれつつも何とか身を躱した俺は、驚きに震えていた。
それは俺が大牙虎にやったのと同じ動きだった。
もちろん四歳児の動きはまだまだ未熟だ。俺に躱されてルシアンはそのまま草の上をごろごろと転がった。
「ああっ、もう、あと少しだったのに!」
ルシアンが悔しがった。
冗談ではなかった。油断していたとはいえ、今の動きが完璧なら俺は一本取られていただろう。四歳児に?国で三本の指に入る戦士の、俺が?
これほど愉快なことがあるだろうか。
親ばかと言われても構わない。ルシアンは剣の天才だった。
俺は夢中になってルシアンに剣を教えた。腕で振るな。身体全体を使え。足腰が重要だ。走り込みをはじめろ。四歳児に教えることではないという自覚はあった。だが、俺は止められなかった。ルシアンがずっと楽しそうだったからだ。こんなに親子の時間を過ごせたのはいつぶりだろう。
ファニーが生きていた頃は、俺は領地にかまけてあまり相手をしてやれていなかった。だが、もうファニーはいない。これからはこの子は、俺が育てるんだ。
そんな幸せな日々が十日ほど続いたある日、そいつは、やってきた。
◇
「ジルベルト!!」
ベルンシュタイン家の中庭にそいつの大声が鳴り響いた。知らない人間が聞いたら獣の咆哮と思ったかもしれない。だが、俺にとってそれはとても慣れ親しんだものだった。声の方を見ると、予想通りの男が大股でこちらに近づいてきていた。
灰色がかった長い金髪。がっしりとした巨躯と獣のような鋭い眼光。どう見ても傭兵にしか見えないなりをしているのに、これで公爵家の跡取りだというのだから笑ってしまう。
レナード・ヴァイスベルク。
フリッツ様の一人息子にして、この国で俺と互角に戦える数少ない戦士だ。
「何故ダミアンを死なせた!」
前置きもなしに、レナードが叫んだ。
それは糾弾だった。
レナードとダミアンは親友だった。そして俺とも。
騎士見習いの時代から俺たち三人はつるんでいた。ダミアンが繋げてくれた縁だ。そうでもなければ、上級貴族のこいつと接点を持つことなどなかっただろう。もっとも俺とレナードは、酒と拳で語り合うことの方が多かったが。
レナードが真剣な表情で俺を睨んでいた。返答次第では斬る、そう、その瞳が言っていた。
「すまない」
俺は頭を下げた。他に言葉がなかった。
ダミアンが死んだのは俺のせいだ。俺が「託さなければ」あいつが死ぬことはなかった。
「貴様っ!」
レナードが激高した。弱気はこいつが一番嫌うところだ。背中の大剣が鞘ごと抜かれた。一撃が空を裂く。俺はとっさに後ろに飛んでそれを躱す。だが、すぐに次がくる。どうする?どうやってこいつを抑える?
そう俺が逡巡した瞬間、予想外のことが起こった。
「とうさまを、いじめるな!」
ルシアンが木剣でレナードに殴りかかったのだ。
まさか幼子がそんなことをするとは思わなかったのだろう。いやレナードのことだ。存在すら認知していなかったのかもしれない。ルシアンの一撃がもろにレナードの太腿に入った。
肉を叩く音が響いた。気持ちのいい音だった。だが、四歳児の力ではそれが限界だった。
ルシアンの身体がくの字に折れ曲がる。レナードが躊躇なく蹴り飛ばしたのだ。そのまま吹き飛び、中庭の草の上を二回、三回と転がる。
「ルシアン!!」
俺はレナードに背中を向けるのも構わずルシアンに駆け寄った。レナードが本気で蹴ったとは思っていなかった。ちゃんと手加減はしてくれているはずだ。だが、幼子の身体は恐ろしく脆い。どんな怪我をしていてもおかしくない。
俺が必死で助け起こすと、ルシアンはきっと睨みつけた。俺をではない。その後ろにいるレナードを。
「お前の息子か?」
背後からレナードの声が聞こえた。心なしか声に冷静さが戻っているように感じた。
「ああ」
ルシアンの様子を確かめるが、骨や内臓がどうにかなっている様子はなかった。ほっと胸をなでおろす。
「ジル。そいつに免じて今日は退いてやる。だがな……」
振り返りレナードを見上げると、どこか憐れむような目で俺を見下ろしていた。
「お前は近々、辺境伯に任じられるぞ」
――なんだって?
「ダミアンに代わってお前が北部を治めるんだ。北部騎士団が全滅したからな。お前以外に資格がある人間がいない」
たしかに北部地方の領主の多くは戦死していた。だからといって、子爵でしかない俺が北部全域を治めるだと? 辺境伯は侯爵と同等の爵位だ。大出世にも程がある。
「言っておくがこれは褒賞ではない。体のいい片付け役の押しつけだ。親父はお前を助けてくれるだろうが、それでも味方が多いとは思わないことだ。領主が統治を間違えれば、住民は飢えて死ぬ。いいか、ジル。今度はうまくやれ。息子を安心して育てたければな」
そう言ってレナードが身を翻した。だが俺はその言葉の意味を考えることで精一杯だった。
――息子を安心して育てたければ、か
俺の腕の中で、ルシアンはまだレナードを睨みつけていた。
そういえば、最後にルシアンが泣いたのはいつだろうか? 少なくともベルンシュタインに来てから、こいつが泣いているところを見たことがなかった。フランベルクにいた頃は、いつも泣きべそをかいていたというのに。
そのことに気づいて、俺は愕然とした。俺は今まで、何を見ていたのだろう。
同時に沸々と強い感情が湧き上がってくる。
――辺境伯か。いいだろう、やってやるよ。
俺はもう逃げないと誓った。
ルシアンが安心して泣ける場所を作れるなら、なんだって、やってやる。




