第三話「ルシアン」
ソレイユ王国の北には魔境がある。
「魔の森」
そう名付けられたこの森は無数の魔物が生息する危険地帯だ。
魔物は春の訪れから街を襲う。フランベルク戦士団と北部騎士団がこの防衛にあたり、六月の雨季を迎えるまで戦いが続くのが常だった。
だが、今年は様子が違った。雪解けを迎えても魔物が姿を見せなかったのだ。ずいぶんと平和な年だと皆が胸を撫でおろした。だが、その平穏は長くは続かなかった。
異変が起きたのは雨季の後、夏を迎えてからだった。
例年の十倍を超える魔物の群が、突如として森から飛び出してきたのだ。
「大侵攻」
後にそう名付けられたこの事件により、フランベルクの街は滅び、騎士団は全滅。北部一帯の領主であるダミアン・ベルンシュタイン侯爵も死亡した。
その日から、すでに十日が過ぎようとしていた。
フランベルクの元領主である俺は、今日も魔物を狩り続けている。
◇
俺は日の出とともに街を発ち、フランベルク戦士団の生き残りたちと魔物を狩った。狩って狩って狩りまくった。ファニーとダミアンを殺した多角獣の群れも見つけた。暢気に川べりで水を飲んでいたそいつらを、俺たちは全員殺した。別に難しいことではなかった。騎兵で一頭一頭おびき寄せて、地道に殺していった。一斉の突撃でなければ、後ろに避難民を庇っていなければ、北部騎士団だって同じことができたはずだ。
そこに憎しみはなかった。北部の人間にとって魔物は災害だ。どれだけ大切なものを奪われても地震や嵐を憎む者はいないだろう。それと同じだ。危険だから狩る。それ以上の感情はない。
だから俺がこの時感じていたのは、憎しみではなく恐怖だった。もちろん魔物への恐怖ではない。魔物など、いくら居ようが怖くはない。俺が恐れていたのはルシアンとどう向き合うかということだ。
十日も経とうというのに、俺はまだルシアンにファニーの死を伝えられないでいた。それどころか、魔物の討伐を理由にあいつを避けてすらいた。
毎朝、すやすやと寝息を立てるルシアンを横目にベルンシュタイン家の厨房に向かう。そこには、ダミアンの妻のモニカがいた。モニカはダミアンの子を妊娠していたが、身重な体で使用人たちにテキパキと指示を出していた。見た目はファニーと正反対のお嬢様なのに、芯が強いところはよく似ている。そう言えばファニーを紹介してくれたのはモニカだった。二人は親友だった。
討伐のために使用人から糧食を受け取る。モニカが何か言いたげにこちらを見ていた。
分かっている。ルシアンと話せと言いたいのだろう。だが俺にはまだ、ファニーの死を伝える言葉がなかった。俺は罪悪感に駆られながらも、ルシアンをモニカたちに任せて出立した。
◇
夕方、狩った魔物の死骸を集めて焼く。魔物の肉は食べることはできない。食えば腹を壊すし、死肉は土を殺す。だから、集めて焼く必要があった。
唯一価値があるのが、牙や角だ。
魔物には必ず牙や角がある。これらには薬や魔除けなど魔物の種類ごとに様々な効能があった。北部では昔から「森からの贈り物」と呼ばれ、数少ない特産品として大事にされていた。
糧食を食べながら燃える死骸を見つめる。戦士団には先に帰るように言った。俺は一人で魔物を焼く。ルシアンと会わないためにだ。
魔物の肉からは酷い臭いの煙が立ち上っていた。食欲を削ぐ臭いだ。俺はたまらず、紅石狼の牙を投げ込んだ。卵の腐ったような臭いが和らぎ、香ばしい匂いに変わる。
これがフラムの効能の一つだった。煙の悪臭を和らげることができる。最近では南部のアルドレット領の商人が買いにきていた。なんでも塩造りに使う泥炭の煙を抑えるのに使うのだという。
この国で採れる泥炭は酷い臭いの煙を放つことで有名だ。だから商品価値が低く、海水を煮詰めるくらいにしか使い道がない。実際俺も冬場の燃料にと試したことがあったが、あまりの臭いに「二度と持ち込むな」とファニーに叱られた。あの時は散々文句を言われたが、今となってはそれすらも懐かしい。あの声がもう一度聴けるのならば、俺は何でもするだろう。
「ファニー」
夜空を見上げた。月が静かに輝いていた。
その揺るがない姿は、ファニーを彷彿とさせた。
だが、月光は何も語ってはくれない。ただ俺を、静かに照らすだけだった。
◇
日付も変わろうとした頃に、俺はベルンシュタインの屋敷に戻ってきた。
鎧を脱ぎ、汗と血で汚れた身体を汲み上げた井戸水で拭く。北部は寒冷な気候とはいえ、八月の頭ともなれば、それなりに暑い。冷たい水は心地よく、頭がゆっくりと冷えていく。
――いつまで、あの子から逃げるつもりなんだい?
ファニーの声が聴こえた気がした。
分かっている。
俺は父親だ。俺が話さないといけない。
だけどファニー。どう説明すればいい。俺だってまだ、お前の死を受け入れていないと言うのに。
毎朝起きるたびに、寝ているルシアンの赤毛を撫でながら思うんだ。
振り返るとお前がいて「今日も魔物を狩りに行くのかい?」そう笑いかけられるんじゃないかって。
だけどお前はもういない。いないんだよな。
部屋に戻る。ルシアンを起こさないように静かに扉を開けた。部屋には明かりが灯っていた。
俺は目を見開いた。眠たげに眼を擦る、ルシアンがそこにいたからだ。
「ルシアン、起きてたのか?」
日付はとっくに変わっている。四歳児が起きていられる時間ではない。だが、ルシアンははっきりとした口調で言った。
「おかえり、とうさま。あのね。とうさまに、はなしがあるの」
どくんと。心臓が跳ねた。大牙虎と対峙した時だって、こんなに緊張はしやしなかった。
話とはなんだ? 俺がルシアンを避けていることか? それともやはり、ファニーがどこに行ったのか教えてくれということか?
「かあさまは、しんだんだよね」
全身が固まった。
「なんで……」
誰が、話した? モニカか。それとも使用人の誰かか。何人かの顔が頭によぎる。だが、ルシアンの答えはそのどれでもなかった。
「ミシェルも、トマも、おとうさんがしんだんだって。だからたぶん、うちはかあさまがしんだのかなって」
――なんてやつだ
こいつはまだ生まれて四年しか生きていないんだぞ。それなのに、もうこいつは死を理解して受け入れようとしている。四歳の俺に同じことができただろうか?いいや、無理だ。泣きべそかいて途方にくれるのが関の山だ。
ルシアンが、心配そうに俺を見つめた。
「だからね、とうさまはむりしないで。とうさままでいなくなっちゃったら、ぼく」
だめだ、限界だ。
俺はルシアンを抱きしめた。熱いものがこぼれ落ちる。
「ごめん、ルシアン」
ルシアンが俺にしがみついてくる。小さな腕だ。軽いはずなのにその身体がとても重く感じた。
「父さん、今日から魔物退治はもう辞める。ごめんな、ルシアン」
ルシアンの顔がぱあっと明るくなった。
「ほんとう?」
「ああ、本当だ」
「あすはでかけない?」
「出かけない、そばにいる」
「じゃあさ」
「うん?」
「ぼくにけんをおしえて」
ルシアンが真剣な顔で言った。
「剣、を?」
「あのね。ぼくつよくなりたいんだ」
大切な人を守れるように。その顔がそう言っていた。戦士の顔だった。
「わかった」
俺はルシアンの赤毛をくしゃくしゃに撫でた。
「やめてよ、とうさま」
くすぐったそうにルシアンが抵抗する。
「今日はもう寝ろ。父さんの稽古は、厳しいぞ」
「うん!」
なぁ、ファニー。子どもってなんでこんなにすごいんだろうな。
俺はもう逃げないよ。この子からも。他の何からも。
そう、誓った。




