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第二話「フランシスカ」

 夢を見ていた。

 なんで夢だと分かったかといえば、ファニーことフランシスカが花嫁衣装を着ていたからだ。

 白い。

 だが、冬の厳しい雪とは違う、暖かみのある色だ。

 絹で織られたそれは、ほのかに光を宿しているようにみえた。

 ファニーがこちらを見て、声を抑えて笑った。


「結婚式だというのにずいぶん険しい顔をしているじゃないか。まるで初陣に向かう新兵だ」


「くっ。仕方ねぇだろ、初めてなんだから」


「そいつは奇遇だね。あたしも初めてだ」


 ――まったく、こいつは。

 男勝りで、遠慮がなくて、ずけずけと心の中に踏み入ってくるのに嫌いになれない。ファニーの軽口で緊張がほぐれていくのを感じた。これがこいつの気の遣い方だ。

 俺は黙って手を出した。ファニーがそれを握る。

 平静さは取り戻した。もう、余計な言葉は必要ない。

 礼拝堂へ続く道を二人で手を繋いで歩いた。

 ここソレイユ王国には、信仰する神はいない。俺たちは南の神聖国から追放された民の末裔だからだ。他国からは「神に見捨てられた国」と揶揄されることもあるが、そんなことを気にする者はこの国には誰もいなかった。

 どこの馬の骨とも分からむ神よりも、この厳しい地に国を築いた祖先の方が信じられるからだ。

 礼拝堂には遺骨が安置されている。この国で生まれ、育ち、天寿を全うした、あるいは全うできなかった者たちの骨だ。貴族も平民も関係ない。死した者は炎によって焼かれ、向こう側に還る。

 だから、俺たちは骨に祈る。

 向こう側から見守ってくれている彼らに恥じぬように。彼らの加護を得るに相応しい自分であるために。

 礼拝堂に着いた。樫の重い扉を二人で開ける。ざらりとした手触り。ひんやりと冷たい。扉が軋む音があたりに響く。

 中には誰もいなかった。静寂が場を支配している。当然だ、誓いは二人でするもの。俺たちを祝ってくれる友人たちは館で待っている。

 ――早く戻らないとな

 祭壇の前に立った。小さな祭壇だ。だが、その壁の後ろには、多くの祖先が葬られている。骨となり、俺たちを見守ってくれている。

 俺は隣にいるファニーと目を合わせた。そっと頷いてくれる。繋いだ手が温かかった。

 息を合わせる。

 俺たちの声が重なり静寂を破る。


『この地に国を築きし、偉大なる祖先よ。この地に生まれ、国を育みし、尊き祖先よ。』


「我、ジルベルト・フランベルクと」


「我、フランシスカはここに誓う」


「いかなる困難が訪れようとも」


「いかなる不幸に見舞われようと」


『我らは互いに助け合い、それに立ち向かう』


「我が生涯はフランシスカのために」


「我が生涯はジルベルトのために」


『夫婦となり、共に生きる』


 明かり取りの窓から、陽の光がファニーを照らしていた。綺麗だった。何か気の利いた言葉を言おうと思ったが、月並みな言葉しか出てこない。だから俺は、精一杯の想いを込めてこう言った。


「ファニー、結婚してくれるか?」


 ファニーが少しはにかんだ。

 だが、すぐにいつもの勝ち気な笑みを浮かべた。


「喜んで」


 ああ。なんて幸せな夢なのだろう。

 だが、俺は誓いを破ってしまった。自らの死でファニーを守ろうとした。

 共に生きることを誓ったのに。

 だから、罰が当たったのかもしれない。


◇


「ファニーとダミアンが、死んだ?」


 徒歩で数日の旅を終えてベルンシュタインに着いた俺たちを迎えたのは、信じられない報告だった。


「どういうことだ? ダミアンは五百の騎兵を従えていたんだぞ。あいつは騎士団長だ。そんなあいつを、誰が殺せるっていうんだ!」


 目の前にいるのは、避難民の誘導を任せていた役人だ。その顔は憔悴しきっており、ひどく怯えていた。何に? たぶん、俺にだろう。自分が酷い顔をしているのは分かっていた。だが、感情が抑えきれなかった。気づけば俺はそいつの胸倉をつかんでいた。

 苦しそうな顔をしながらも、そいつは抵抗をしなかった。そして掠れる声で俺に伝えた。


「多角獣《ケラトス》です。多角獣の群れが私たちを襲ったのです」


 ――多角獣の群れだって?

 掴んでいた手から力が抜けた。どさりと役人が崩れ落ちた。

 多角獣は陸上最大の魔物だ。全長は大型の荷馬車よりも大きく、頭には複数の角が生えている。その突進は一撃で木造家屋を半壊させ、跳ね飛ばされれば人間などひとたまりもない。一頭でも大きな被害をもたらす魔物だ。多角獣が群れで現れるなんてことは聞いたことがなかったが、今回の魔物の襲撃は常軌を逸していた。仮に本当に、群れが現れたのだとしたら?

 光景が容易に想像できた。土煙を上げて迫り来る無数の多角獣。騎士団だけなら逃げるのは簡単だ。だが、彼らの後ろには千の避難民がいた。見捨てられるはずがなかった。命に代えても守ろうとしたのだろう。何故なら俺が、ダミアンに『託した』からだ。

 突撃は側面からだったはずだ。大きく回り込んで、鬨の声を上げながら突っ込む。馬ごと跳ね飛ばされる騎士たち。当たり前だ。どれだけ体躯が違うと思っている。馬から落ちれば、巨体に踏み潰され身体がバラバラになる。それでも彼らは突撃をやめない。避難民を守るため、最後の一人になっても多角獣に向かい続けたのだろう。


「ファニーは? フランシスカは……」


 絞り出すように声をだした。ファニーは避難民の中にいたはずだ。騎士団が守ったのだとすれば、ファニーは生きて……。


「騎士団の突撃で、群れの多くは進路を変えました。しかし、一頭だけこちらに向かってきた多角獣がいました。フランシスカ様は、荷馬車を駆って一人、それに立ち向かい……」


 俺の拳が地面を抉った。何度も何度も叩きつける。拳から血が滲み土を赤く染めていく。それでも俺は、拳を止めなかった。

 ――なんでだ! なんでだファニー。共に生きると、誓ったじゃないか!

 自分のことは棚にあげて、そんなことを思う。

 ファニーは、昔から誰かのために自分を犠牲にする人間だった。飢えている子供がいれば食料を分け与え、病で働けない男を見れば、そいつのために狩りに出た。

 ――そんなに他人のために働いてどうする。

 俺は何度かそう言ったが、帰ってくるのはいつも同じ答えだった。


「別に誰かのために生きているつもりはないよ。恩ってのはね、いつか戻ってくるからね」


 俺はそんなファニーが好きだった。だけど……。


「おまえが死んじまったら意味がねえだろうが!」


 拳が止まった。膝から崩れ落ちる。駄目だ、身体に力が入らない。

 どうしたらいい? 俺はこれからどうしたらいいんだ。

 こんな時に軽口で励ましてくれたファニーは、ここにはいない。

 俺の口から嗚咽が漏れた。

 どれくらいそうしていただろう。

 いつの間にか、小さな影が隣にいた。俺と同じ赤い髪。

 

「とうさま。だいじょうぶ?」

 

 まだ幼い手が俺の頭に置かれた。いい子いい子と撫でてくる。泣いているこいつに、いつも俺がするように。

 

「……ルシアン?」


 それはルシアンだった。四歳になったばかりの俺の息子。最後に残された家族。

 そうか、ファニーはルシアンを守ったのか。

 そのために、命を懸けたのか。

 俺はルシアンの小さな身体をそっと抱きしめた。

 なんでもっと早く気づかなかったのだろう。最初にこいつの安否を確認しないといけなかったのに。これじゃあ父親失格だ。ファニーに笑われてしまう。


「ごめんな、ルシアン。怪我は、ないか?」


「うん。ぼくはだいじょうぶ。それより……」


 ルシアンが不思議そうな顔をした。なんだ?泣いている俺が珍しいのか?


「かあさまは、どこにいったの?」


 身体が一瞬で冷えた。

 役人の方を見る。男は力なく首を振った。

 考えてみれば当たり前のことだ。ファニーはルシアンを近くの人間に託した。そしてそいつは母親の死に様をルシアンに見せなかった。誰だってそうする。俺だってそうしただろう。

 だから、ルシアンは母親が死んだことを知らないんだ。隣にいたはずの母親は急に消え失せ、やっと会えた父親はこうやって泣き崩れている。

 だけどよ。なんて説明したらいいんだ? ルシアンはまだ四歳だぞ。

 「かあさま」はお前を守るために多角獣に挑んで踏みつぶされました。そんなこと、言えるわけがないだろ!

 俺は黙って息子を抱きしめた。それしかできることがなかった。それが言葉になればいいと思ったが、ルシアンは不思議そうな顔をしたままだ。

 ――ああっ、畜生!

 ファニー。ダミアン。どうかこの子に、加護を。


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