第一話「ジルベルト」
剣を握る手に、肉を断つ鈍い感触が伝わった。
噴き出す鮮血。むせかえる臭い。俺が切り落とした馬の首がどさりと落ちる。もちろんただの馬ではない。口には牙が生え、前足には水かきと爪がある。
――水棲馬
川の中に人間を引きずり込むこの魔物が、陸に上がってくることはほとんどない。だが今は、そんなことで驚いてはいられなかった。一角兎がいた。紅石狼がいた。大牙虎がいた。向こうで家屋を破壊しているのは、多角獣だ。
魔物の大群が、俺たちの故郷を蹂躙していた。この街の名前は「フランベルク」と言った。俺が治める、街だ、
どれだけの魔物を斬っただろう。首を切り裂いた。心臓を貫いた。頭をカチ割った。だが倒しても倒しても、こいつらは次から次に湧き出てきた。三日三晩、俺たちフランベルク戦士団は戦い続けた。百人いた戦士団は既に半分を切っており、今は戦線を維持するのがやっとだった。
唯一の救いは、家族を逃がす時間を作れたということだ。魔物たちの襲撃が途切れた僅かな隙に、援軍にきた北部騎士団に住民の避難を頼んだ。
北部騎士団の団長である、ダミアン・ベルンシュタインは、俺の親友だ。今では侯爵家の当主だというのに、危険を顧みずにこんな北の辺境まで駆けつけてくれた。
◇
襲撃から四日目の朝、住民の避難を指揮していたダミアンが俺のところに来た。
「どうしても、残るの?」
いつも微笑みを浮かべている穏やかな男が、今は別人のように顔を強張らせている。俺は答えた。
「誰かが残らないといけない」
避難させるべき住民は千人はいる。移動中を魔物の大群に襲われれば、いかに騎士団がいても守り切れない。殿が必要だった。囮と言ってもいいかもしれない。
「せめて、百騎残させてよ」
「お前は部下に死ねと言うのか?」
俺の言葉にダミアンの顔が絶望に染まる。
この街に残るということは死を意味する。こう言えば優しいダミアンは命令を出せない。分かっていて言った。死ぬ人間は少ない方がいい。
俺は後ろで結んでいた髪を短剣で切った。自慢の赤髪だ。紐で束ねてダミアンに渡す。
「ファニーとルシアンを頼む」
これは遺髪だ。
もう妻と息子には会えなくても構わない。その覚悟の証だ。
ダミアンの膝が崩れ落ちそうになったのが分かった。だが、こいつは途中で耐えた。
そうだ、ダミアンは強い。こいつになら、俺の大切なファニーとルシアンを任せられる。
「……死ぬなよ、ジル」
俺の遺髪を受け取っておいて、ダミアンがそんなことを言う。
「できたらな」
俺はにやりと笑って、背を向けた。
魔物との戦いが、再開しようとしていた。
◇
目の前を、不意に白い牙が疾った。
長い。ちょっとした短剣くらいはある。大牙虎俺の死角から襲ってきたのだ。その鋭い牙は噛むというより斬るように使ってくる。すれ違いざまに首筋や手足の腱を狙う野獣の姿をした剣士。俺はその一撃をかろうじて避けた。
大牙虎は頭がいい。確実に仕留められる瞬間をじっくり狙ってくる。一対一なら、超大型獣の多角獣に次いで戦いたくない相手だ。不意打ちを避けられたのは幸運でしかない。さらにその後ろには無数の魔物がいた。
――時間はかけられねぇな
間合いを測る大牙虎に、俺は一気に踏み込んだ。他の誰かが同じことをしたなら、あまりに無謀だと止めただろう。だが、今は止める者はいないし、俺が命を懸けるくらいで家族が助かるなら、安い買い物だ。
ためらいもなく踏み込んできた俺に大牙虎は意表を突かれたようだ。
――知恵があるってのも考えものだな
大牙虎は賢い。だから孤立している俺が守りに徹するだろうと予想した。だが、後ろの魔物が合流するまでは、俺とこいつは一対一だ。そしてこいつの予想を外すことができれば、それは隙となる。
大牙虎が距離を取ろうとするがもう遅い。俺はこれでも国で三本の指に入る戦士だ。身を捻って躱そうとした大牙虎の胸を、振り下ろした俺の剣が切り裂く。手応えあり。そこから俺はもう一歩踏み込んだ。最初の一撃の勢いを利用して下から突き上げるように突く。真新しい傷口を俺の長剣が貫いた。
絶命の咆哮を上げることもできず、大牙虎が静かに倒れる。
「次」
短く告げると、魔物の群れが少し下がった気がした。きっと気のせいだ。だがもし、気のせいでないのだとしたら……。俺は紅石狼の群れに一気に躍り込んだ。
軍略の座学で、昔習ったことがあった。最も相手にしてはならないのは「死兵」だと。「死兵」。死を覚悟した兵のことだ。魔物に恐怖という感情があるのかは知らないが、俺たちの捨て身の戦い方に奴らは徐々に押されていった。きっと、生き残ろうとしていたのなら、とっくに死んでいただろう。皮肉なことに、命を捨てたが故にこの戦いに活路が生まれていた。一匹、また一匹と魔物が倒れていく。
やがて我に返った俺が見たのは、廃墟と化したフランベルクと、無数の魔物の死骸だった。最後の魔物だった多角獣が森に逃げていく。
――さすがにあのデカブツは仕留めきれないか。
多角獣の生命力は底なしだ。だが、逃げてくれるならありがたい。正直追う体力など残っていなかった。剣を支えに立っているのがやっとだ。
ざっ、ざっ、と背後で足を引きずる音がした。
「生き残っちまいましたね」
俺と同じように、剣を杖にしながら歩いてきたのは、戦士団のハンスだ。
「何人生き残った?」
ハンスは先月結婚したばかりで、若くて可愛い嫁がいる。
ハンスの無事に少しだけ安堵しつつも、返ってきた答えに俺は顔をしかめた。
「二十人弱ってところですかね」
――北部最強と言われたフランベルク戦士団が壊滅か。
彼らは俺の部下だった。戦友だった。そして、家族だった。ぽっかりと心に穴が空いた気がした。
「この人数で街の維持は無理だな」
時間は稼いだ。ここが潮時だろう。
「ベルンシュタインまで退くぞ」
俺は生き残った仲間たちに宣言した。疲弊しきった彼らの瞳に光が灯る。気持ちは分かる。もう会えないと思っていた家族に会えるのだ。嬉しくないわけがない。
――必ず帰ってくるからな。
俺は心の中で、この地を育んだ祖先に誓った。短くなった赤髪が風に揺れる。
俺の名前はジルベルト。ジルベルト・フランベルク。
この街の領主にして、死にぞこないの戦士。
人は俺をこう呼ぶ。赤毛のフランベルクと。
10月12日
連載版赤毛のフランベルク開催しました。
はじまりから、短編版とは別物です(笑)
短編版ではダイジェスト風味だったところを、連載版では丁寧に描いていきますので
どうか、お付き合いくださいませ
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