四. 君の望む世界へ……
街や王宮の被害は、地震によるものはともかく、暗獣やかまいたちによるものは、想像していたよりも、ずっと少なかった。
ヒビキが大量の幻獣を使い、人々を護らせていたからからだ。
もしかしたら、そういう意味で、彼は「救いの勇者」だったのかもし れない。
街の復日のため、ラフガは自国に救援を要請した。
我に返ったシエルは、壊れた家々や、学校や公民館や公園などに寝泊まりし──配給の列に並ぶ人々などを、被ったフードの奥から葡萄色の瞳で見つめる……。
ラフガのいた迎館に、シエルと獏も泊まっている。
離宮が倒壊したためと、シエルをかくまう意味もある。
暗緑色の翼の暗獣は、彼女の処刑の時にも現れた。人々の記憶には色濃く残っていた。
シエルの立場は微妙だ。今度こそ、何か策でも考え命を狙われるか──たとえば、再び牢に捕らえ、絶食させるなど。
だがこの場合も暗獣たちが暴れ出す可能性はある。
それに暗獣が食物を奪い、シエルに与えるかもしれない──或いは、また、その力を恐れ、どこかで飼われるか──。遠い異国にでも捨てられるか──しかし、これも報復を恐れ、臆病な王は実行できないかもしれない──。
王宮は建物が頑丈だったため、地震による被害は少なかったが、暗獣が早くに群れなして攻めたポイントだったため、死者負傷者は多数出た。
「……あたしは、やっぱり、闇姫だね……」
迎賓館の屋上から、夜空を仰いで、シエルは力なく呟いた。
星の海は優しくて、だから一層責められているようで……
「獏……思うわ、あたし。きっと、獏の世界に行けても、人をたくさん殺すわ。
あたしはさあ、人を助ける姫にはなれないもの……」
「でも、シエルは……。
ボクやラフガの傷を癒してくれた……。
病院に行ったりして、人々の怪我だって、たくさん治したじゃないか……」
「でも、死んだ人は返らない……。
あたしみたいな、危険な鳥はさ、やっぱり、バードケージにいるのがいいのよ。
できるだけ人々の近づかない場所に作ったバードケージで……、
仙人みたく一人で生きるの」
「独りは、……辛いよ……」
独り部屋に引きこもるのは、怠情で楽で──だけど、とても、寂しくて、いろんなことが信じられなくて──辛かったから。
「シエルだって、シエルのほうが、よくわかってるだろう……」
独りきりのバードケージ。
使用人はいても、独り。
自分の命の意味を見いだせなくて……出生さえ祝ってもらえず、
なぜ産まれたか……産まれてきてよかったのかも……わからなくて。
「君の望む世界へ……一緒に行けたら……」
獏は俯く。
「……本当に、いいのか……?」
黙って二人から少し離れていたラフガ──人の姿をしている──が近づく。
「おまえの父親は、酷い奴だったけど、君を王都の、王宮から遠くない離宮に住ませていた。
それが、オレには謎だった。
なぜもっと、国の外れに追いやらなかったのか──。
仮にも姫と呼ばせていたのか……。
王という立場。恐怖に負けそうな心。親という立場。
……おまえの母親は、バードピープルで侍女だったそうな……」
風が、ラフガの黄色いコートを揺らす。
「もしかしたら……王はその侍女を本当に愛していたのかもしれない──。
シエル、おまえをそれでもどこかで愛していたのかもしれない……」
ラフガは乱暴に赤い髪を掻き上げる。
「だったら……いいな……」
違うかもしれないけど。
単に、愚かだったからか、シエルの怒りを恐れ、あの場所、あの離宮くらいが妥協案だと──シエルの許しの許容範囲だと思ったからとかかもしれないけど。
「なぁ、シエル。本当に、いいのか?
オレは、もっと条件のいい場所におまえを住ませてやることもできるぞ。
オレがおまえと城で暮らすことや、旅に出ることや、オレがおまえとどこか遠くに住むことがおまえは妄想だと笑ったが、オレがたとえば姫を続けながら、父上や母上などに知られぬようにオレの国のどこかの町におまえを住ませてやる──これなら不可能じゃない」
「それに、バースにいたとしても、たぶん、前の離宮と同じ所──とは違うかもしれないけど、たぶんそれなりのとこに住ませてくれそうな気がする……」
獏は歯切れ悪く言う。
「……それよりも。ボクの世界で一緒に……住めたら」
ヒビキなら。ヒビキがいたら、きっと言う。
『オレと一緒にこの青いバラの咲く世界で生きよう、アンキ』
……だけど、シエルは……シエルは、ヒビキが信じられなかった。
「あたしは、ラフガの国に行く。ラフガの国は国土がとても広い。
そんな国の外れの、どこかの──人がほとんどいないような地に、そうね、それこそ塔でも立ててもらって、あたしはそこで一生を終える。
そういうの、どう?」
それが、シエルの出した答え。
「そこでならまた暴走したとしても被害は少ないし──そしたら、万能じゃないからあたしだって死ねるかも。
病気でもすればいいのかもしれないけど──あたし、昔っからなんでか健康で、病気なんかしない感じなのよね」
「シエル・・・・・・」
獏はシエルに近づく。
「シエル……」
淡雪が溶けてしまうように、今にも消えてしまいそうに──シエルは笑った。
「ありがとう、獏。楽しかった」
「…………」
「短い間だったけどあんたと一緒で、嬉しかったわよ」
シエルが手を差し出す。
獏はそれを握る。
「……ヒビキに、よろしくね」
シエルは獏から手を離し、屋上の端へ歩く。
手にしていたブルーローズを空へ投げる。
シエルの起こした風が、それを空へと運ぶ。
「……あたしだけのブルーローズ……」
シエルは振り向き、獏を見つめる。
「それってさ、きっと……きっとさ、」
獏は俯いて、自分の靴を見つめている。
その肩を、ラフガが叩く。
「気を落とすな。
シエルがああいうふうに言えるようになったは──ああいう結果を出せるようになったのは──きっと、おまえに逢ったからだ」
「……そうかな……?」
「さよなら、獏」
シエルが獏に歩み寄ってくる。
「……異世界への扉よ開かれん。
陽姫の勇者よ元の世界へ、元の時間へ、いざ帰れ……」
シエルが獏のいた場所に辿り着いたとき、彼の姿はもうここにはない……




