一. 幻と現実と
高くそびえる塔を見上げ、獏は息を呑む。
「ここは、どこだ……?」
辺りには青いバラが咲き誇っている。
「必要、なかったかな……?」
少し笑って、獏は持っていたブルーローズを見つめ、しばし考えて、邪魔にならないように、してきた大きめの青いウエストバッグにしまう。背中側にバッグを向けている。
誘うように──実際誘っているのだろう、扉が勝手に開く。
獏は塔の中に入っていく。
ふと、強い風が吹く。
後ろを──辺りのブルーローズを見つめる。
瑞々しい鮮やかなブルー。
塔の一階。
奥の端に上がり階段があるだけの、石造りで円形の広いフロア。
獏は、剣──すでにペンダントから形を変えている──を握り締め、目の前の一頭のホワイトウルフを睨んでいる。
《まずは、小手調べだよ。バク。
仮にも勇者だ。まさかこんなザコにやられたりしないよな?
もちろん、陽姫の援護は有り得ない》
どこからか、ヒビキの声がする。
獏は瞳を閉じる。そこには、何もいない。
──あれは、幻。
「ヒビキ……。所詮は、幻なんだよ……」
悲しそうに、獏は呟く。
「君の居場所は、ここじゃない……。
君は、シエルとずっと一緒には、いられない。
もちろん、ボクも……」
《何を言う? オレはちゃんと、ずっと、これから一生彼女のそばにいる。
おまえみたいな偽善者とは違う。
無責任に優しい言葉だけかけて去っていくなんて、そんなおまえみたいなことはしない!》
「それは、誰のため?」
《もちろんそれは、彼女とオレ──オレたちのためだ‼︎
ウルサイ──》
ウルフは跳躍する。
「ボク、考えた。ボクは、日本に帰って、ヒビキ、君に逢いに行く」
《な──ッ⁉︎》
ウルフの前足のクローが獏の肩を切り裂く。
「ボクは、まだ、一人立ちもできてないけど、もうすぐ成人する。
だから──ボクは、今はまだ、こんな、ガキで、一人じゃなんもできないけど……ッ、でも……!
いつか必ず」
後ろへ飛びすさったウルフが、再び獏に迫る。
「青いバラのない世界で、一緒に住もう‼︎ ヒビキ──!」
獏の胸を、クローが切り裂く。
「ヒビキ、違うんだよ──幻術は、万能じゃないんだよ。
匂いが──しない……血の匂いが、しない……。
シエルが、言ってた……。
表に咲いてた、ブルーローズも傷物だね? 強い風が吹いたのに、香りを運んでこなかった……」
《……だ、だから、なんだよ……》
「だから……!」
獏は、宙に向け、剣を振るう。
ウルフの姿が溶け消え、獏の傷が治る──いや、最初から、傷なんて、負っていない。
「ボクには、効かない」
獏は静かに瞳を開く。
《う、嘘だ⁉︎ アンキにだって陽姫にだって効いてる。
それとも、それが、おまえの力……?》
「解き方のわかっている問題は、焦らなければ、間違えない。
タネのあかされた手品は、もう、手品じゃない──。
それを知っていて、心を強く持てば──幻術なんて、所詮は幻。
そうなればもう、ラフガの剣と魔法よりも、シエルの魔法よりも、君は弱い。
まだボクより子どもの君よりも、肉体的にボクのほうが強い」
《………》
「そうだろうと思ったから、来たんだ。
少しの可能性を見つけたから。それに賭けてみた。
でも、かなりデンジャラスな賭けだったろう?
──死ぬかと、思ったよ……」
《な、な、なんで、そんな、》
「教師になるより──君と、一緒に住みたいんだ、ヒビキ」
『君じゃシエルを救えない』といったヒビキ。
だけど、たぶんそのセンテンスの本当の意味は──
『君じゃぼくを救えない』。
「ごめん、ヒビキ。
期待に応えられなくて。
なんかボクの一生分の勇使い果たしちゃった感じだけど……。こ
んなんじゃまだだめ?」
獏は階段に歩み寄る。
「どこにいるんだ、ヒビキ?
最上階か?
渡したいものが、あるんだ」
二階に上がる。そこに、牧村がいた。
「心理作戦か? ムダだってば、ヒビキ」
獏は牧村に歩み寄ると、その頬をグーで殴る。
「牧村、悪いな」
牧村の姿も溶け消える。
「てゆーかさ、ヒビキ?
ボクのほうが君に比べればずっと牧村を知ってるんだよ。
なんか雰囲気違うし。
つーかそもそも牧村がこんなトコいるわけねーじゃん」
《あぁ! なんであっさりやっつけちまうんだよ!
シナリオ無視すんなよッ‼︎》
「どんなシナリオ?」
獏は階段へ向かう。
《チクショー、こんなの有り得ねぇッ‼︎
実はヒビキの正体は牧村でした、って嘘かまして、おまえを惑わせるつもりだったんだよ!》
「ふーん?」
獏は階段に片足をかけた状態で、何もないフロアを振り返る。
「ボクは助けたつもりのおまえに嗤われて、裏切られたような気持ちになった。
──でも、牧村、本当に裏切ったのは、ボクのほうだったのかなぁ……?」
少し考えて、つけ足した。
「成人式で、会えるかな……?
その頃までには、もう少しボク、まともな人間になれてるといいけど……」
三階。ラフガがいた。
四階。シエルがいた。
「いや、だからさ……幻術はもうボクに効かないんだってば。
なんかもう目をつぶれば、一発で嘘か誠かわかっちゃうんだって。
いわゆる『見切った』ってヤツ?」
五階。ホワイトタイガーがいた。
六階。ホワイトライオンがいた。
七階……屋上。
「つ、ついた」
ヒビキとホワイトドラゴンがいた。
「ふざけんな、バク!」
怒髪天をつく感じで、ヒビキが喚く。
目を閉じてもドラゴンしか消えない。
本物のヒビキだ。
「というか、むしろそれはおまえに言いたい、ヒビキ。
ホワイトドラゴンだと?
そんなん用意しなくても、とっくにボクは殺せてるだろう。
幻を無効にしていなかったら」
「でもおまえ、来たじゃねぇかよ、ここまで‼︎」
「結果論だぞ。──シエルたちは?」
「ここにはいねぇよ」
「つーか、そもそもここはどこだ?」
「アンキの国……バースの町外れの廃塔だよ。
荒れ地すぎて虚しいから、幻で外に花を咲かせてやった。
てゆうかさぁ、バク。オレさ、テレポートしたり、触ってもいない塔の扉実際に開けたりとかさぁ、幻術以外の能力も皆無じゃないんだよね。
たとえばさ、テレポートでおまえを空高く出現させて、そのまま地上に落として殺したりもしちまえるんだぜ──」
「…………本気か?」
ヒビキは風に髪を揺らせながら笑う。
「おまえ、変すぎておもしれぇよ、バク。
元々オレはおまえを陽姫の勇者としてしか見てなかったのに、アンキに名前つけたり王の元へ乗り込んだり、変なことばっかすっからよぉ」
ヒビキは頭を軽く掻く。
「変な期待──しちまったんだよ。
たとえばおまえがオレに手ぇ差し伸べてくれるような……そんな、妄想……あぁ、何言ってんだろ、らしくねー」
ヒビキは獏に背を向けて、円塔の端のほうへ歩く。フェンスも何もない。
獏はウエストバッグからブルーローズを一輪取り出すと、ヒビキに少し歩み寄る。
「ヒビキ、これ……」
「え?」
ヒビキが振り返る。
「これを、君に……」
「な、なんで?」
「ヒビキはこの花が好きなんだろう?
でも、シエルはこの花が嫌いなんだ」
「あぁ。みたいだな、なんでかは知らないけど」
「だからボク、昨日待女の人に聞いてみたんだ」
ヒビキはさすがに四六時中獏を見ているわけではない。
興味を惹かれたように言う。
「なんて?」
「彼女もよく知らないみたいだったけど、バースでは、産まれてきた子どもにブルーロースを贈るんだ。
たぶん、シエルはそれをもらえなかったんだと思う──だから──なんじゃないかな。
でも、離宮の青バラは、シエルが自分で育てたものなんだって。
だからきっと、シエルは、もらえなかったプルーローズが本当は、欲しかったんだよ……。
だから、ボクは、この花を、君やシエルに渡したくて……」
バース国におけるブルーローズの花言葉。
「青いバラの花言葉……それは、「あなたが産まれてよかった』」
ヒビキの目が見開かれる。
「うわっ⁉︎」
ふいに吹いた強風に、 獏の手からブルーローズが離れる。
それは、ヒビキのほうへ飛び、それを過いかけたとビキの足が、塔の端を踏み外す。
「──⁉︎」
「ヒビキ‼︎」
ビビキは屋上から地上へ向けて落下していく。
「ヒビ──‼︎」
獏は塔の端へ駆け──




