三. Fly to the Sky
「『君が大空を羽ばたけるように、シエル』。
──嬉しかったのよ、そういってくれて。泣くほど」
シエルは花瓶の青いバラを見下ろして、言う。
「これだけは欺瞞の一部ではない。たとえ、この先、あたしがいくら嘘をつくとしても。
覚えていて。──嬉しかったのよ……」
シエルは窓辺──獏に歩み寄る。
「だから……」
獏の手を取って笑う。
「他の人にはできないことをやれる。それが、勇気よ?
名前をくれたことも、お父様の所へ行ってくれたことも、あたしは嬉しかった……」
シエルは僅かに首を横に振り呟く。
「……だけど……」
獏は、シエルの手と、彼女の瞳を見て、茶の瞳を揺らす。
「……ボクが、真者にやなくても、優しい獏じゃなくても、ただの、自分勝手な人間でも──。
君は、ボクのことを、嗤わない……?
ボクのそばで、微笑んでくれる……?」
「あなたは、伝説の数いの勇者。
姫と魂を同じくする者。
だから、この世界に来れた……。
だけど、あたしは姫である前にただの人間──シエル。
あなたは勇者である前にただの人間──日向獏。
……それじゃ、だめ……?」
シエルは自分自身がそう望んでいるように、言った。
「シェルと、獏……?」
「だから、獏が勇者でなくとも、もうあたしは構わないわ。
このまま元の世界へ帰ってしまっても……。
でも、せめて……ここにいる間は、あたしのそばにいて?」
「……君は、それで構わないの?」
「うん!」
元気にシエルは笑った。
……嘘だ。
それは獏にもわかった。
シエルは窓枠を飛び越して、庭へ降りた。
「獏もおいでよ!」
光の溢れる庭に駆けだして、シエルは笑う。
「ま、待って!」
思わずそれを追いかける。
暗い部屋にいたからか、外がとても明るく感じる。
ところどころに青いバラが咲き、陽光を受け、風に揺れる。
寒さも気にならないほど走り回って、獏はシエルを捕まえる。
「あ、あはは、や、やだ、放して、獏ったら!」
後ろからシエルに抱きついたまま、獏は笑い声を上げるシエルの香りを感じる。
「な、なんか、いい匂いがする……」
「えー? そう? ソープかなぁ?」
シエルの離宮には、ちゃんと風呂があった。獏ももう何度も入っている。
「あはは、ていうか、放して、なんか、恥ずかしい……」
「え、え、え……あぁっ、ごめんっ‼︎
……んでも、なんか、もうちょっと、こうしてたい……」
青いバラは元気に咲いている。寒さに強いようだ。
蝶やミツバチが寄ってきても絵になりそうだが、寒いからか見あたらない。
なんだか胸がドキドキする。
人や動物、生き物は、なぜ、異性やなんかを愛するのだろう……?
「シエル……。ずっと、こうしてたい……」
癒しが、欲しいから?
やっぱり、それも、自分勝手な心?
それとも、子孫を残し、種を繁栄させる、絶やさない……そういう、こと……?
『呪われたあやつには、子を産む能力がない可能性が高い。
それだけでも、姫としては充分すぎるほど不良品だ』
「シエルは、子どもが産めないの……?」
「……!」
シエルは獏の腕を離し、彼から距離を取る。
「……そうよ、生き物として、これって、どうなのかな……。
他の命を産むことができない。意味、ないよね?
だから、あたしは、本当に、自分が生きたいだけなの。
他を殺してまで、自分が生きるだけで、他の命を誕生させられないの!
だから、罪深い……姫。自分以外の命なんて、関係ない……」
「で、でも……っ!
こっちのことはよく知らないけど、ボ、ボクの世界には、結婚しない人も子ども産まない人もたくさんいるしっ!
そ、それに、シェルは、この国を救おうと、たくさんの命を護ろうとし てるじゃないかっ!」
「でも……」
「子どもを産むだけがすべてじゃないよ。
……子孫を残すためだけに、生きてるんじゃ、たぶん、ないよ……」
獏は少し唇を噛む。
「それがなんなのか、なんのためか、ボクにはまだ、よくわからないけど……」
獏はズボンで手を拭くと、その手をシエルに伸ばす。
「……考え、てみる、もう少し、塔に行くのは、怖い、けど……。
できれば、ボクは……、ボクは……、シェル……君だけは……」
獏は俯いて、何度も瞬きして、顔を上げる。
「…………君だけは、助けたい……ん、だと、思う。
だから、何か、いいアイディアを……。
とても、難しい問題で、その回答欄を空白のままにして、次の問題に移りたくなるけど……。
でも、まだ少しタイムリミットはあるし……」
「空を飛びたくない?」
「え?」
顔を上げると、いたずらっぽい目をしたシエルがいる。
「飛びたくない?」
力なく差し出されたままだった獏の手を取り、シエルは笑う。
「あたしの手を取ってくれて、ありがとう」
「え?」
「陽姫よりもあたしの手を……」
獏は目を見開く。
『勇者様……お願い……助けて』
『お願い、どうか、この手を……!』
『騙されるな! オマエは、このオレの手を取れ‼︎』
『おいまさかコイツに味方する気じゃないよな、コイツはな──』
『コイツはオレのことを──』
「……あ、ボクは何か、夢を見て……。
君と、ラフガ姫の手を……」
「それが、召喚の儀だったのよ。
あなたの夢に割り込んだの。
今までは、わざと隠してたけど──あたしたちの魔力で忘却させて。
──だけど、ヒントを教えてあげる。
本当は、あなたは、陽姫の手を取るべきだった。
ううん、違う。あたしたちの魔力でほとんど無理やりあたしの手を取らせるように仕向けた。
そうして、姫と勇者は魂を同じくする──このセンテンスの意味はね、こういうこと」
シエルの背中から、黄緑色の羽が生える。
それは、まるで、天使か悪魔──……
「勇者が怪我を負えば、姫も負うし、姫が命を落とせば、勇者も死ぬ。
──もちろん、勇者と姫を逆にした場合も有り得る」
シエルは獏に抱きつく。
「あなたは、大学という学校の受験に一度失敗したそうだけど、それほどバカじゃないわね?
なら、わかるはずよ?
ヒビキにてる、簡単な方法──ま、そんなに簡単でもないかな。
あいつが黙っないか」
そのまま、翼を羽ばたかせ、二人は空へ飛ぶ。
「う、うわわッ⁉︎」
地上を、離宮を見下ろし、獏は悲鳴を上げる。
「──わかるでしょう?」
「う、うわ、っわ……、シ、シエル⁉︎」
「大丈夫よ。離宮の上を飛ぶことは実質許されている。
こんな、人間に翼が生えたあたしの姿を、みんなはとても怖がるから──ここでだけでしか、あたしは飛ばないけどね」
バードケージでしか、飛べない。
「こんなの、飛んでるうちに、入らないかな?
本当の自由の空じゃないもの。──でも」
離宮の上空を大きく環を描くように飛びながら、シエルは笑う。
「二人なら、ちょっとは、楽しいかな……?
あたしね、あんたのこと、結構、気に入ってるんだよ……?
ヒビキの言うことも、わかるけどね……。
ヒビキは傷つきやすいのよ?
ちょっとのことでも、失望する……。
でもね、獏……。あたしはね…………闇姫なのよ……」




