五. 夢食い獏が悪夢を見るなら
公園の青バラ細に、二人はまた来ていた。
「ごめんなさい、やっぱり、水晶には、なんにも映らない……」
ウルフと戦った円形スペースの隅のベンチに腰掛け、水晶球片手にシエルはかぶりを振る。
「っていうか、なんかこの場所、またなんか出そうで非常にイヤなんだけど!」
「我慢して。ここしか、手がかりがないの!」
「う”〜っっ」
恐怖から来る寒さに、腕をさすりつつ、獏はその場を行ったり来たりする。
「ヤだなヤだな、出そうだよ、出そうだよ」
鳴き声に跳び上がる。しかし、それは善良そうなコジュケイ (キジの仲間)のバードピープルのおじいさんが散歩に来たというだけだった。
「ヤだなヤだな、出るなよ出るなよ」
なぜか低空をかっとんでゆくコンゴウインコのカップル (バードピープル)に肩を張わせる。
ジョギングに来たヒューマンのおじさんに危うくキックかましそうになる。
「……そ、そうだよね、みんなの公園だもんね。みんなパークラヴなんだよね……」
通り過ぎていく人々を見送り、獏はシエルのそばに歩いていく。
「何か、映った?」
「全然。──ていうか、そんなに幻獣に出てきてほしいの、獏?
なんかそればっか気にしてると、逆にコールしてるようにも見えるんだけど……」
「してないしてない!」
「ふーん?」
シエルは考え込むように頭に手を当てる。
水晶に向かって、何か聞こえないくらいの声で呟く。
「……《《ヒビ》》……」
シエルは立ち上がる。
「行こう、今日はたぶん、何も起こらないわ」
「そうなの? う、うん、すぐ行こう! 今行こう‼︎ ──って、どこに?」
「うん……。別に行くとこないから、帰る」
──そうして、何もないまま、獏がこの世界に来てから一週間が過ぎようとしている。
獏は離宮の個室のベッドに横になって、眠っている。眉間にしわを寄せ、苦しげな声を出しながら……
「悪い夢を食べる漠のように──困っている人を助けられる人になるように、獏ってつけたのよ」
うん、わかってる。わかってるよ、お母さん。
だから、ボクはがんばってる。小学校一回も休んだことないし、風邪ひいても我慢して行くし、勉強がんばってるし、宿題サボッたことないし、給食もちゃんと全部食べてるし、体育はあんま得意じゃないけど、でも、ちゃんとお母さんの期待に応えられるようにボク、がんばってる……。
友だちもたくさんいるんだ。内緒だけど、好きな女の子もいる。
弱い者イジメしてる奴見ると、すげームカツク。
ボク、ちゃんとお母さんの望んだとおり、そういう奴のことは黙って見てない。
ちゃんとモンクいうし、大体負けちゃうんだけど、ケンカもする。
だって、ボク、お母さんを護れるようになりたいんだ。
お父さんがすぐお母さんを怒るから。殴るから。
最近はそれも減ってきたけど……ボクは、お父さんが怒ると、怖くて、動けなくなる。
中学で、親友って呼べる奴ができた。
牧村っていう奴で、スローモーでマイペースだけど、いい奴なんだ。
バカなこといってふざけて、ときにはマジな話をして。
だから、高校もあいつと一緒だって知ったとき、正直ボクはとても嬉しかった。
「獏、おまえはいい奴だ。俺ができないことをおまえは平然とやる。
勇気がある。自分がやりたいことを実行する勇気が」
「おせっかいってよくいわれるけどね。だってさ、ボクは……」
顔を赤くして、誇りを持っていえたあの頃。
「ボクは、獏だから! 悪夢を食べる獏だから‼︎」
牧村は嗤わなかったから。嗤わずそれを聴いてくれたから。
困ってる人を見たら手を差し伸べよう。
人に親切にしよう。
それがボクのアイデンティティでステータスでレゾンテートルだった……。
脆く崩れる、自分勝手な幻想だった……。
牧村は、高校に行ってから、イジメに遭った。トロイ、ウザイ、キショイ……飛び交う罵詈雑言。
ボクは、動けなかった。動かなかった。
まだよく知らない人だらけの学校で、ボクは牧村を助けることより、その環境に順応することを優先した。
お父さんがお母さんを殴っても何もせずただ見ていた幼い日。
それは、ボクが弱かったから。
お母さんのことより、自分の身が大事だったから。
──たぶん、そういうことだったんだ。
夢食い獏が悪夢を食うのは。
なんのため?
時間が経って、余裕ができてから、ボクはまた優しい獏の仮面を被ろうとした。
うまいこと強い友だちを作ってバックにつけて、牧村をイジメた奴に食ってかかり、牧村に手を差し伸べた。
ボクの小学校の頃のイジメなんて、大したことがなかったんだ。
後になって思えばサッパリしたもんだった。
だからケンカだってできた。
だけど、牧村へのイジメはジメジメしてて、悪質で──だから、ボクは保身のため、牧村から離れた。
強者に、弱者は従う。逆らえない。
牧村はイジメから開放された。代わりに新しいスケープゴートができたかできなかったかなんて、そんなことまでは知らない。
あいつとはクラスが違ったし。
見ないようにしようとすれば、人はなんにも見えなくなる。──ふりができる。
気持ちよかった。
牧村を助けたボク。助けようと友だちに呼びかけたボク。
みんながボクをいい奴と誉めた。
牧村だけは違った。
軽魔した眼で、ボクを見た──。
「おまえは、俺を助けたかったわけじゃない。自分が人に誉められていい気になりたいから、うぬぼれたいから──」
夢食い獏が悪夢を食うのはどんなとき?
夢食い獏が悪夢を食うのはなんのため?
「おまえは、誰にでも優しい獏なんかじゃない‼︎
他人の悪夢を食うふりをして、自分がいい夢を見る──そんな、自分勝手な獏だ……!」
それのどこが悪い?
最初から最後まで何もしない奴より、よっぽどいいじゃないか、なぁおい、そうだろ牧村⁉︎
どこが悪いんだよ?
ボクはおまえを助けてやったじゃないか──……
ボクは、おまえが好きだったから。
イジメられてないおまえなら、安全に友だちとしてつきあっていい対象だから。
だから、戻してやったんじゃないか。
なのになんで嗤うんだ。
嗤わないおまえが、ボクは好きだったのに。
都合がよくて、利用できて、好きだったのに。
ボクを肯定して、ボクの気分をよくしてくれる──
だから、好きだったんだぜ?
……牧村はボクから離れていった。
もう、いいよ。別におまえなんかいらないよ。
『獏、おまえはいい奴だ。自分がやりたいことを実行する勇気がある』
知らねーよ、牧村なんて……
『おまえは、誰にでも優しい漠なんかじゃない‼︎
他人の悪夢を食うふりをして、自分がいい夢を見る‼︎
そんな、自分勝手な獏だ!』
知らねー……
『悪い夢を食べる獏のように──困っている人を助けられるように、ってつけたのよ』
違う、ボクは人間だ‼︎
──もう、悪夢は食べられない。
──だって、ボクは、ただの人間だから。
ボクは高校を辞めた。まだ二年に進級すらしていなかった。
ただの人間のボクは、家に引きこもった。
獏のふりをして生きてくのは、なんかもうやんなった。
いろんなことを暗い部屋の中で独り考えた。
それからボクは大検を受け、大学入試に落ちた。
──先生になりたい。
暗い部屋で本を読んでいて、ある日突然そう思った。
ボクのことをバカにする家族を嗤いながら、そう思った。
学校の先生なんて大嫌いだ。大嫌いだから、先生になりたい。
大嫌いな先生になって、ボクは獏ではなく、人として……日向獏という個人として先生に。
そして、道を踏み外しそうな子どもを助ける、ほんの些細な手助けでもできたら……
「偽善だね」
突然それまでと違うトーンの声が響く。
白い髪に白い肌、赤い瞳の少年が立っている。
十一、二歳か。赤いキャップに青いマント。灰色のコートに黒いズボン。小柄で、意志が強そうで──気むずかしそうな雰囲気だ。
「子どもたちを助けたい?
違うね、君は、自分を救いたいんだ。
学校を辞め、引きこもっている自分を認められず、自分と同じ様な人間を助けるという甘い幻想を抱き──それにより、自分が人格者になったような錯覚をしている──していたいんだ。
それは、過去の自分を否定し、道を踏み外しそうな、自分に似たような人々──と君が勝手にカテゴライズした人々を否定し、それを『正す』ことで、過去の自分を──引いては、今の自分、未来の自分を救おうとしてるんだ。
それは、必死にもがき、自分を肯定しようと、前進しようとする行為なのだろうか?
──なんだか嘘くさい」
嘘くさい。
「そうやって、君は生きようとしている。
それも君のやり方かもしれない。
生存の為の選択は、手段はそれぞれ違う。
しかし、人が、動物が、本当に危機に遭遇したとき取れる行動はたった二つ、挑むか──逃げるか。
それは、挑むという行為なのか、ただの逃げなのか?
第一、君は本当に信じているのかい? 大学に合格すると、教師になると。それを続けていけると。
本当にその気があるのかい?
短いい幻想ではなく、長い長い現実をそうして続け、生き残っていける気持ちが……力が、君にあるのか?」
少年はバカにしたように笑った。
「残念だよ、バク。失望した。君じゃアンキを取えない。
要するに、あんたはヒーローを演じていたわけだ。彼女に名をつけたり、王宮に行ったり──バトルは陽姫が助けてくれると思ったから……余裕があったから。
けど、陽陽はもう助けてくれないよ、あんたの危機に一時ぼくの術をあの女が破っただけ。
今はもう更に強い術で拘束している。
──それでもぼくに挑むというなら、ぼくの塔へ来いよ?
その覚格ができたと一言いえば、誘ってやるよ。
もっとも、何もせずじっとしていれば、君は勝手に元の世界へ帰れるんだから。
部屋にでも引きこもってるのが利口だね」
…………れだ。誰だ、おまえ。
「ぼくはヒビキ。
陽姫を拉致している──」
……あのときの、ホワイトタイガーを操っていた……
「そうだよ。ついでにいうと、ウルフを君に差し向けたのも、ぼく」
なぜ、そんなことを……
「この一週間、ぽくは君をずっと見ていた。
『勇者』がどんな奴なのか、知りたかったから。
でも、もうよくわかったよ。あんたじゃ役不足だってことがさ……残念だよ……」
君は、一体、なんなんだ……
「あんたがぼくに挑んで負けても、逃げて元の世界に帰っても、それはぼくら側の勝利。
この国は滅びる。陽姫の国が攻め滅ぼす。
そういうふうに、ぼくが仕向ける。
ぼくは有り得ない幻術使いだから。簡単さ。
──だが、君がぼくに打ち勝ち、陽姫を助ければ──そのときはこんな国から手を引いてやるよ」
なんなんだ……
「夢食いが悪夢を見るなら。
誰がそれを食べてくれるんだろうね?」




