65✦☾アシュレーン家とセラヴェル家
王宮図書館の内部に足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
天井は見上げるほど高く、梁やアーチには精緻な彫刻が施されている。壁という壁は書架に覆われ、濃い木目の棚が幾重にも連なっている。
革装丁の背表紙が放つ深い色合いと、紙とインクが混ざった独特の匂いが、ここが知の集積所であることを否応なく思い知らせてくる。
――これが、王宮図書館。
(これは圧倒されるわね……)
しかし、視線は自然と高みへと引き寄せられてしまう。梯子を使わなければ届かない最上段の棚、そのさらに上に設けられた回廊。だが、感嘆している時間は長くは取れない。
(レオネル様にお願いして、今後も自由に通えるようにしていただいたし、今日は最優先事項を調べなきゃ)
――まずは、アシュレーン家とセラヴェル家の関係。
両家は地理的にも立場的にも、深い結びつきがあっておかしくない。
歴史を遡れば、婚姻や共同事業、あるいは政治的な連携があって然るべきだ。
しかし、私がセラヴェル家に仕えて七年。その間、アシュレーン家の名が日常の中で話題に上ることはほとんどなかった。
考えてみれば不自然なのだけれど、セラヴェル家でしか教育を受けていない私は、そのことに気が付く下地すらなかった。
「思ったよりは少ないわね……」
私は、貴族社会の成り立ちを扱った古書を何冊も机の上に積み上げていた。
装丁は年代ごとに異なり、羊皮紙のように黄ばんだものもあれば、比較的新しい写本もある。だが、記されている内容はほぼ共通していた。
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――アシュレーン家とセラヴェル家。その名は、必ず並べて語られている。
両家の歴史を辿ると、千年近く前にまで遡ることになる。
まだエルトリア王国という統一国家が存在せず、ソラニア大陸全土で内戦が絶えなかった時代。
この世界の民なら誰でも知っている歴史上の大災害──ほぼ神話みたいなものだけれど──として、『円環の大災厄』というものがある。
いつまでも争いを止めぬ民に、円環は怒り、地上にあらゆる災厄をもたらした──というもの。
この時代に、円環の怒りによって世界中を襲ったとされる大災厄があったという記録は、どの書にも共通していた。
天は荒れ、地は裂け、疫病と飢饉が重なった。それによって無数の民が命を落とし、名を残すことすら叶わなかった小国がいくつも地図から消えた、と。
ただし――すべてが滅びたわけではなかった。
正しい心を持っていたとされるエルトリア王族と、その民だけが円環に選ばれ生き残った。
(前世で言うところの”大洪水とノアの箱舟”みたいなものね)
そうして、のちにエルトリア王国が興る。その黎明期、王家を支え、剣となり盾となった腹心が二つあった。
アシュレーン家と、セラヴェル家。
王を左右から支える「双肩の家臣」と呼ばれた両家こそが、現在に続く名門の始祖だった。
それ以降も、両家は長くエルトリア王家に仕え、国の礎を支え続けてきた――少なくとも、表に残された歴史はそう語っている。
「ここまでは、一般的に知られている歴史だわ……」
セラヴェル家でも同じ内容を学んできた。
王家への忠誠、祖先の功績、誇るべき家名……そこに疑問を挟む余地はないように思えた。
だが、さらに頁をめくり、詳しい系譜が記された章に目を留めた。
(これは、セラヴェル家では見つけられなかった資料だわ)
系譜によると、アシュレーン家は、たびたび王族との婚姻を重ねていた。王女を娶り、あるいは王子に娘を嫁がせ、血縁を通じて王家との結びつきを強めている。
現代においてもそれは変わらない。
ユーテリア様がアンリーク王子やヨルテル様ら王族と親密な関係にあることを思えば、今なお両家の距離が近いことは明らかだった。
(一方で、セラヴェル家の系譜には──)
王族と婚姻した人物は確かに存在するが、その数は明らかに少ない。しかも、時代も散発的で、継続的な関係とは言い難い。意図的に距離を保っているようにも見えるし、あるいは、王家から一段引いた位置に置かれているようにも読めた。
冷遇――という言葉が、脳裏をよぎる。
だが、あくまでここに記されているのは、系譜にある事実だけだ。理由も背景もこの本ではわからない。
「……確かに、セラヴェル家にとっては、あまり面白い歴史じゃないわね……」
私は小さく呟いた。
だからこそ、セラヴェル家の図書室にはこうした本が置かれることもなく、お嬢様にもあまり詳しい教育をなさらなかったのかしら……?
(でも、あのアデリーナ様がそんな理由で教育を怠るとも思えないし……、これだけでは、あまりにも漠然としてるわ)
しかし、それからいくら本を探し調べても、なぜ両家の間にそのような差異が生じたのか……、王家とセラヴェル家、あるいはアシュレーン家とセラヴェル家の間に、原因となるような事件はなかったのかを、突き止めることはできなかった。
本に残らない確執──そういったものは数知れずあるだろうけれど。
過去に何かがあって、そこからずっと溝が広がり続けている──そういう関係だと思っておく必要がありそうだ。
(核心部分についてはわからなかったけれど、今はそれだけ頭に留めておこう)
私は机の上に置いた本を閉じた。
ただ──アシュレーン家とセラヴェル家、双方の歴史をここで読む限り……。
「”閉じている”のはセラヴェル家の方だわ……」
アシュレーン家は王族とのつながりが強いのもあってか、貴族社会の表舞台で長く華々しい歴史を刻んでいる。それに対してセラヴェル家は本や記述自体がかなり少ない。
「ごく近い歴史──先代にしても、今のセラヴェル伯にしても……、堅実で地道な功績を積んではいるものの、表舞台に躍り出るようなことはほとんどない……」
それは悪いことではないのだろうし、セラヴェル家の名に障りが出るほどでもないのだろうが……。
おかしな感想だけれど、わざと目立たないよう振舞っているようにも見える。
(”深窓の令嬢”だったのはお嬢様個人だけじゃない。外から見ればセラヴェル家全体が、ミステリアスでよくわからない存在なのかもしれないわ)
一歩セラヴェル家を出て外から見れば、中にいる時とは全然違った印象となる……。私はそのことを改めて噛みしめていた。
「では……もう一つの調べものにかかりましょう」
そうつぶやくと、私は席を立った。




