54✦一年前✧「間違いだったメイド」(1)
遡ること一年ほど前……。
セラヴェル家の新米メイド・テトは、そっと屋敷を出発した。
尊敬するメイド長、シアナにだけは書き置きを残して──。
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その日の朝……セラヴェル家のメイド達はいつものように、忙しく働き始めていた。
火属性のテトは、食事前は厨房を手伝うことが多い。調理は厨房の料理人たちが行うが、最後の温度調整はメイドが担っている。
「ちょっとテトさん、またスープの温度調節ミスってますよ」
メイドの後輩であるチェスカが、呆れ顔でスープ皿を片手に厨房に戻ってきた。
「これじゃあ、舌を火傷しちゃうよ」
確かにスープはかなり高温になっている……。いつも高温すぎるので、気を付けて調整したつもりだった。
「す、すみませんチェスカさん……!今すぐやりなおし……きゃぁ!」
「うわっ、ちょっとぉ……、スープが炭になっちまったじゃないか」
「すみません、すみません……!」
「謝っても仕方ないじゃないすかあ。もういいです、ここは私がやるんで!テトさんは他に行っててください」
厨房を追い出され、テトはとぼとぼと廊下を歩く。
自分より後にセラヴェル家に入ってきたチェスカにまで、注意を受けてしまった。
この屋敷に来て数か月……、そろそろ仕事に慣れてきても良いころのはずなのに、慣れる間もないほどミスが続く。
元から器用とはいえないのに加え、とにかく螺力の温度調節が苦手だった。どれだけ注意しても火力が強すぎてしまうのだ。
要領がよくテキパキしたチェスカと並ぶと、自分のドジさと鈍さを、より痛感してしまう。
「テト、焦らなくていいんだよ。最初は皆そんなものだし、数日で辞めた人だって少なくないんだから、半年も続くのは上出来さ!」
先輩のサッシャはいつも優しく励ましてくれる。
シアナメイド長も、毎日のように自分のミスを真っ先に庇い、あのお嬢様からの叱責も一手に引き受けてくれる。
──でも、そういったことすら、テトにとっては重荷になっていた。
(セラヴェル家のメイドになれたときには、夢のようだと思ったけれど……、お役にたてないばかりか、チェスカさんやメイド長のお仕事を増やし、慰めてくれるサッシャさんやマーシアさんには気を遣わせて……)
しかし、名門貴族のメイドに決まったとき……。誇らしいと喜んでくれた両親と祖父母の笑顔や、キラキラした尊敬のまなざしで見てくれた弟と妹。
何より、毎月の実家への仕送りを考えると、もちろん辞めるわけにはいかない。
「テトだって、あのスティラお嬢様に選んでいただけたのです!きっと……、お役に立てるとお嬢様に思っていただけたのですから、頑張らねば!」
セラヴェル家のお嬢様付きメイドは、お嬢様本人がじきじきに採用試験に立ち合い、選ぶのだ。
あの厳しいお嬢様に選んでいただけた──、それがテトの心を支えていた。
──そんなときだった。
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「そうですか、テトはまだ仕事に慣れてはいないようですね」
突然自分の名前が聞こえてきて、テトは思わず廊下で足を止めてしまった。
朝食の後の食堂……片づけに向かったところだったが、扉の前で立ち止まったままとなってしまう。
(この声は、副執事長のエヴァルス様……)
「でも非常に真面目で努力家ですわ。まもなく慣れていくでしょう」
シアナメイド長の声がそれに続く。
「外ならぬお嬢様が選ばれた人材ですもの、心配いりませんわ」
「んー、それなんだけれど……、あの子は多分間違いですわ」
お嬢様の声に、テトは足が壊れたかのように動けなくなった。
(え……?)
「間違い?……というと」
「わたくし、あの子を選んだつもりはなくてよ。多分隣にいた子を選んだつもりだったのよ。……手違いであの子が来ちゃったのよね」
「え?そ、そのような……」
慌てたエヴァルスの声を背に、テトはその場から姿を消した。
「おや?今ここに誰か……」
エヴァルスが物音に気が付き、外を確認したときには、テトはすでに、足早に自分の部屋に向かっていた。
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まもなく門番は、大荷物を背負ったテトを見て声をかける。
「おや、テトさんお使いですか?ずいぶんな荷物ですが……」
「は、はい……」
曖昧に微笑み、テトは逃げるように屋敷を後にした。
最低限の物しか持ってこなかったつもりだが、荷物は背中にずっしりと重い。
王都が夕暮れの光に包まれるのを何度も振り返りながら、テトはふらつく足取りで歩いていった。
「……夜通し歩けば、朝にはきっと故郷の村につくはず……」
初めて屋敷に訪れたときには馬車を使った。テトにとっては贅沢なことだった。あのときは希望に胸を膨らませていたのに──。
「私は、あんな素晴らしいお屋敷にいてよい人間じゃなかったんだ……」
小さく声にすると、足元から崩れていくような気持ちになった。
(私じゃない、もっと優秀な方が選ばれるはずだったのに、私が不当にその席を奪ったんだ……)
気を付けないと、涙があふれてきて前が見えなくなる。
(父さんと母さんには何て言えばいいんだろう……。全部間違いでした、何のお役にもたてませんでしたって……、そんなこと……)
テトは泣きじゃくり、何度も足を止めてしゃがみこみながら、それでも歩き続けた。
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──その頃、セラヴェル家では大騒ぎになっていた。
「誰か、テトを見なかった!?」
シアナが、自室の床にある置手紙に気が付いたのだ。
テトがドアと床の間の隙間から、滑り込ませたのだろう。
手紙には簡潔に、自分が誤って選ばれたのを知ってしまったこと、今までの感謝と、黙って出てゆくことへの謝罪が述べられていた。
「テトさんなら、お使いだと言ってずいぶん前に出られましたが……」
門番の言葉に、シアナはソリーナに屋敷のことを任せ、慌てて飛び出て行った。
「テトに行く宛てはない……、向かうなら故郷の村のはず!」
地図でテトの村への道順を確認しながら、シアナはその俊足で駆け続けたが……、とうに追いついても良いころなのに、いつまでたってもテトの姿は見当たらなかった。
「まさか追い越した……?いえ、いくらなんでも……」
足の速さには自信がある。テトは運動は不得意だった……。
「途中で馬車に乗った……?でも道に新しい轍はなかったわ……」
あと考えられる可能性としては──。
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テトは、どんどん暗くなってゆく森の中で──、完全に迷っていた。
(どうしよう……、道を間違えたのかな……)
確か村から屋敷に行くとき、こんな森の中は通らなかった……。泣きながら歩いていたせいで、道端にあるはずの標識を見落としたのかもしれない。
「ひ、引き返さなきゃ……」
しかし、振り返っても、ただ暗い獣道が続くばかり……。
暗闇からは、獣のような鳴き声もする。
(確か、森の中には魔獣がいるって……。引き返すより先に森を出た方が……、で、でもどっちに行けば)
来た道も先の道も、同じように暗い。一本道だったと思うが、夢中で歩いてきたので脇道を見落としてきた可能性もある。
「暗くてよくわからない……、明るくなるまでじっとした方がいいのかも」
いろんな選択肢が頭をよぎり、かえって動けなくなってしまう。
(私は……、故郷に帰ることすら、まともにできないの……)
テトは呆然と立ち尽くしていた、そのとき……。
「……トー……」
かすかに、人の声がした気がして、振り向く。
「テトーー!」
あの声は……。
(……シアナメイド長……!?、ど、どうしてここへ……)
テトは思わず隠れてしまった。
「テトー?いるなら返事して!……こっちじゃないのかしら。でも、確かに新しい足跡があったわ……」
(メイド長……、心配して追ってきてくれたんだ……)
その気持ちは痛いほど嬉しいと同時に、……ひたすら申し訳なさでいっぱいになってしまう。こんな森の奥まで……。
結局自分は何をしてもうまくできず、人に心配や迷惑をかけるのだ……。
テトが森の木々の間に、じっと隠れ、木の幹にしがみついていた時だった。
──背後から、はっきりとうなり声が聞こえた。




