52✦✦騎士レオネルの懸念
王宮は、例の“孤高の舞踏会”以来、どこか沈んだ影を引きずっていた。
舞踏会で倒れた王子の容体はようやく落ち着いたものの、公務に戻れるほどには回復していない。
使用人たちも表向きは静粛を保っているが、裏では下世話な噂話に花を咲かせていた。
王族に次ぐ最上位貴族――アシュレーン環伯家。その美しき令嬢が、醜い嫉妬から他家の令嬢を中傷したという醜聞。それは今なお、使用人たちの胸の奥で、くすぶる火種のようにくり返し囁かれている。
不気味な静けさと、裏に蔓延る悪趣味な好奇心……そのアンバランスな空気の漂う回廊を、近衛騎士レオネルは足早に駆け抜けていた。
「……なに、ヨルテル様が?」
王子の私室に呼び出されたレオネルは、思わず声を上ずらせた。
「ああ……。ユーテリアによる中傷の件、ただの謹慎ではすまされぬ。もっと重い処罰を、と叔父上は……」
カウチソファに横たわるアンリークは、紫の瞳に深い曇りを宿している。
ヨルテルとは王の五番目の弟で、アンリークにとっては叔父――まだ三十代前半と若いのもあり、年の離れた兄のような存在だった。レオネルにとっても同じだ。
「ヨルテル様は、ユーテリアにとっても兄同然だった……それなのに」
「それだけに、だ。裏切られたと感じたのかもしれぬ。中傷の内容によっては、教会との亀裂に繋がりかねんという恐れもある」
アンリークの声は重く沈んでいた。
教会の権勢は王族に拮抗──いや、もはや上回るかもしれない。
わずかなひび割れすら許されないのだ。
「重い処罰となると……」
「追放か……最悪は極刑だ」
「……まさか!」
レオネルは思わず身を乗り出した。
人を害したわけでも、金品を奪ったわけでもない。スティラ・セラヴェルの名誉もすでに回復され、当人やセラヴェル家からも何も訴えはないというのに。
「いくらなんでも罰が重すぎる。異例だ……アシュレーン伯だって黙っておられまい!」
「ああ……。だが、幼馴染である我々が下手に動けば身贔屓ととられかねぬ。それでは状況を悪化させるだけだ」
「俺からもヨルテル様を説得──」
「いや。……やはり逆効果になりかねん。叔父上は、一度こうと決めたら意地を通すお方だ」
アンリークは苦しげに息をつき、レオネルを見上げた。
「この件……私に考えがある。レオネルは、今はそういう動きがあると知っておくだけでいい」
そうつぶやくと、アンリークはそっと瞳を閉じる。
レオネルは、青白い顔で横たわる王子を、不安げに見守った。
──幼いころから病弱だったが、この数か月は症状が目に見えて悪化している。
「悔しいな……。この身体がもっと自由に動けば、何もかも……もっとうまくいくものを」
かすかに開いた瞳で、アンリークは自らの細い腕を眺めた。
「王子という地位にありながら……私は無力すぎる」
「無理をするな。ユーテリアだって極刑などにはならん。──今日は休め」
そう言い残し、レオネルは私室を後にした。
扉を閉めた瞬間、胸の奥で重く渦巻く違和感が押し寄せる。
──何かが、おかしい。
王子の急激すぎる体調悪化、未だ信じがたいユーテリアの事件。
そして、あの陽気で気さくなヨルテル様が、極端な処断を口にするなど……。
単なる偶然かもしれない。思い過ごしなのかもしれない。
だが――。
「アンリークは“考えがある”と言ったが……俺も動かせてもらう。じっとなどしていられん」
レオネルはマントを翻し、闇の溜まる回廊へ歩み出す。
──この事態で使えそうな人物に一人、心当たりがあった。




