第95話
パリオンは彼女の声で我に返った。
精霊は苦しんでいたが、誇りを失わぬ態度で言葉を続けた。
「あなた、教皇を辞めたら私たち終わりよ、分かってる?」
「でも……」
「こんなバカたちなんて、さっさとやっつけて私を助けに来なさい、待ってるから。魔族が教皇になる奇跡も見せたでしょ?」
「アウロラ……」
「待ってる間退屈しそうだから、先に言っておくね。愛してるわ、パリオン。」
精霊は自ら封印の禁書の中に入る道を選んだ。
一瞬の出来事に、全員が動けなくなった。
パリオンの二本の角は、精霊アウロラを封じるために使われた。
その封印を再び解くには、それと同等の魔力が必要だった。
パリオンは呆然と本と彼女を見つめていた。
今の彼には、その封印を解くことはできない。
それよりも、彼女との約束を守らねばならなかった。
「お前たちは……異端だ。」
彼らを許すわけにはいかない。
パリオンは生まれて初めて怒りに震えた。
そして、教皇としての地位を使うことを決めた。
「お前たちの顔、全員覚えた……」
彼に顔を覚えられた者たちは、本をその場に残し、虫のように散っていった。
その後、パリオンはゆっくりとその書に近づき、膝をついて長い間封印の禁書を見つめた。
「……ああああああああああ!!!」
その叫び声は雨音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
この事件の後、教皇を狙った者たちは国を捨て、「魔道至上教」と名乗り、アポロニア教への復讐を始めた。
彼らの偏狭な思想は次第に歪み、いつしか魔力を崇める狂信的な教団と化していった。
パリオンは残る全魔力を使い、最寄りの村まで行き、その書を領主に預けた。
後にフェレオラと呼ばれるその村に。
時は流れた。
パリオンは待ち続けた。
アウロラとの約束を守るために。
魔道至上教を根絶するため、異端審問官という制度まで作り出しながら。
そしてまた、奇跡が起こることを信じていた。
ある日、彼は聞いた。
フェレオラの村で、娘が魔道至上教に巻き込まれ命の危機にあると。
高位の癒し手を送っても無理だった。
パリオン自身も、もはや十分な魔力がない。
だが──
その娘リアネットの病が治ったという報告を領主から受けた。
奇跡を起こした存在がいるのなら、必ず会わなければならない。
そう思い、すぐに動いた。
そして、彼に会った。
年月は経ったが、確かに分かった。
その者からはアウロラの気配がした。
少しの間だけでもいい。
かつての感覚を、また味わいたかった。
だから彼は、ノベトの教育係を買って出たのだった。
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「……そういうことだったのですね。」
そうか。
あのまなざしは、アウロラを見ていたんだな。
私からすれば想像もできないほどの時間を過ごしてきた彼に、慰めの言葉をかけることはできない。
愛する者のためにすべてを捧げ、今もなおその想いを貫いているその姿には、誰もが及ばぬ重みがある。
だからせめて、私のすべてを伝えようと思った。
「……まず、私は人族ではありません。」
「ええ、知っています。ベトだと伺いました。」
あ、領主がもう伝えていたのか。
「それから、この封印の禁書についてなのですが……」
私は次元収納から、唯一残っていたその本を取り出して手に取った。
「以前、屋敷の掃除中に偶然見つけました。」
教皇が立ち上がった。
領主も立ち上がった。
「……それをどうやって?」
教皇が驚いて聞いてきた。
「言った通り、偶然です。」
「私が言いたいのはそこではないのです! その書に触れるだけで、尋常ではない魔力が吸われるというのに……どうしてノベト様は無事なのですか?」
「……さあ。ともかく、教皇様の言う“アウロラ”という精霊なら、以前会ったことがあります。」
「……その書を、私に預けていただけますか?」
私はゆっくりとその書を教皇に手渡した。
教皇はそれを受け取り、静かに呟いた。
「……魔力が吸われない……封印が解かれているのか?」
「理由は分かりませんが、その“アウロラ”という精霊は、私の精神世界で体を乗っ取ろうとして戦いました。今思えば、教皇様に会うためだったのかもしれません。」
「ということは……」
「私の中の精霊核は、アウロラと融合しています。」
私がそう言った瞬間、教皇は私を抱きしめてきた。
な、なにこれ?
私は戸惑って固まった。
教皇は涙ぐみながら、強く私を抱きしめていた。
「……よかった、本当によかった……」
「ちょ、教皇様?」
「敬語はもういい、“パリオン”と呼んでくれ……」
「じゃあ……パリオン? そろそろ離れてもらえませんか……」
「もう少しだけ……このままで……」
私は領主の方を見るが、彼も固まっていて助けてくれなかった。
「100年を超えてからは、数えるのをやめました。あなたに会える日を、ずっと待っていた……」
「いや、私はノベトですから!」
「お願いです……どうか私の頭を撫でていただけませんか?」
……また抱きつかれた。
今回は男だから新鮮だな。
しかも教会の頂点に立つ人からの“撫でて”リクエストとは。
私はゆっくりと、彼の青い髪を撫でた。
「その撫で方……昔と同じですね……」
私は知らないが、アウロラはいつもこうしていたのだろう。
「……あの、教皇様?」
「……“パリオン”と呼んでください。」
「……パリオン、そろそろ離れていただけませんか。」




