第90話
「君は常識が足りないね。」
ここはフェレオラ領主の執務室。
朝から急用があると呼び出され、顔を合わせるなり領主はこう言い放った。
「……足りないことは自覚していますが、随分と率直ですね。」
「そんな君には、しばらくこの屋敷で教育を受けてもらうよ。」
「お断りします。」
「即答か。」
「ご存じでしょう。私は今、静かに穏やかに過ごしているんです。」
エルフたちがホルダーの森へ移住してから、村は大いに繁栄した。
精霊オデルリアの加護によって新たな果実が実り、それらは大人気となり、各地に流通している。
中には特殊な効果を持つ果実もあり、それを加工すると体力や魔力を高めるポーションになり、村には薬師ギルドや各種ギルドが新たにできた。
それだけではない。
最近では封鎖されていた迷宮の入口もオデルリアの力で復旧され、今では冒険者ギルドも迷宮の攻略に力を入れており、多くの冒険者が村を訪れている。
現在の村はまさに絶頂期にあると言える。
私はそのような豊かな環境の中、時折冒険者ギルドのクエストをこなしながら稼ぎ、のんびりとした生活を満喫していた。
そう、それこそが理想的で楽しい生活。
そんな私に対して、突然の「教育」とは何事か。
もう頭を酷使するようなことはごめんである。
「……説明が少し足りなかったようだね。」
領主は私に一通の手紙を差し出した。
私はそれを受け取って目を通す。
「……これは。」
「そう、それこそが君が常識を学ばねばならない理由だ。」
手紙をじっくり見た。
上質な紙に整った筆跡、相当な教養を持つ者の筆であることが分かる。
最後には独特な赤い印章が押されていた。
ただ、一つ気になる点がある。
「……これ、何と書かれているのですか?」
「それがまさに、君が常識を学ばなければならない理由なんだよ!」
残念ながら、私の能力では言葉を理解することはできても、文字を読むことはできないようだ。
読み書きの能力があれば、便利だろうに。
領主は何度か咳払いをし、真剣な表情で説明を始めた。
「以前、私は魔道至上教の件で王都に報告に行ったのだ。」
「魔道至上教……ああ、あれですか。」
「そう。その魔道至上教のことを王に報告し、カルロスやその一味を尋問した結果、彼らがこの村を狙った目的が判明した。」
「その目的とは?」
「……封印の禁書。」
どこかで聞いたような名前だ。
「私も父から聞いたことがある。代々この屋敷には封印の禁書が保管されているそうだ。ただし、実物は見たことがない。触れるだけで所持者の魔力をすべて吸い取り、命すら奪う恐ろしい代物らしい。」
「それを奴らはなぜ必要と?」
「充分な魔力が吸収されると、禁書に封印された存在が解放され、どんな願いでも一つ叶えてくれるらしい。」
「つまり、やつらの目的は……」
「魔道至上教が世界を支配すること……だろうな、おそらく。」
なんという狂信。
魔法こそが至高で、それ以外は劣っているという思考は、まさに選民思想に溺れた危険な連中だ。
「完全なる悪党ですね。」
「その通りだ。国王もこの件を重く見て、教会の関係者をこの村に派遣することにした。」
「教会関係者?」
「アポロニア教。このアポロニット国で女神を信仰する宗教だ。」
「なるほど。」
「それがこの手紙の内容だ。加えて、リアネットを救った人物と話をしたいとも記されている。」
「私のことですか?」
「他に誰がいる。」
「ビエラがやったことでは?」
「ビエラは君の手柄だとすでに伝えてしまったよ。」
くそ、ビエラ、厄介ごとを押し付けて逃げたな!
「結論を言おう。彼らは一か月後にやって来る予定だ。その間に常識を身につけて、彼らと無事に会談してほしい。」
「拒否権は……ありませんよね?」
「……異端審問官も来るらしい。もし君が拒否すれば、彼らは君を魔道至上教の関係者と疑うかもしれない。」
「私が違うことは分かっているでしょう!」
「私は分かっている。だが、彼らがどう思うかは分からない。そうなれば、君に関係するすべての者たちが危険に晒される可能性がある。」
面倒なことになった。
結局、疑われずに教会関係者と話せるよう、領主が気を利かせてくれたということか。
悩む余地はない。
私のせいで誰かが苦しむなんて、許されることではない。
この平穏な生活を守るために、私がすべきことは一つ。
仕方がない。
「領主様のご配慮、ありがたく受け取ります。学びに専念いたします。」
「よろしい。では今日から早速始めよう。」
こうして、私は屋敷で常識を学ぶことになった。
「こんにちは。ノベト様の教育担当、パリオンと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
パリオン――領主の依頼で特別に招かれた教師だという。
青みがかった長髪を丁寧に後ろで束ね、額には白い包帯を巻いた、どこか怪我をしているらしい美形の男。
白のスーツに身を包み、高貴な雰囲気が漂っている。
思わず敬語を使いたくなるオーラをまとっている。
屋敷の別室で、私は机に座り、教壇に立つ彼を見つめていた。
「えっと……パリオン先生?」
「今後は名前は省略して呼んでいただいてかまいませんよ。」
彼はにこやかにそう言った。




