第74話
人々で賑わい、治安も良い町フェレオラ。その北西に「ホルダー」と呼ばれる森がある。
最近、その森の奥に迷宮が発生したらしい。そしてなぜか突然迷宮の入口が崩壊し、森の魔物たちの凶暴化が止まったそうだ。
それを境にして、森で怪しい者、いや怪しい魔物が現れたという冒険者たちの報告があった。
その魔物は森のあちこちに神出鬼没に現れるらしい。
その魔物は奇妙な行動を繰り返すそうだ。
その魔物は他の魔物に襲われて危機に陥った冒険者を助け、治療してくれるらしい。
その魔物を見ると誰もが飛びつきたくなる衝動に駆られるそうだ。
しかしその魔物を討伐しようとすると容赦なく叩きのめして森の入口まで追い返すそうだ。
その魔物が現れてから森が健康になった気がする、という話もあった。
「そういう理由でギルドではそいつを“ホルダーの森の王”と名付けて討伐依頼を準備中なんですよ。」
「イリアさん、それはさすがにひどくない?」
「どうしてですか?」
「後半だけ聞くとそんなに悪い魔物には思えないけど?」
「まあ、偉い人たちの考えなので、私みたいな受付嬢にはよくわかりませんけど。」
「そうか。」
「それにしても、本当にギリギリでしたね。明日が冒険者登録更新の締切でしたし。」
「ああ、ちょっと忙しかったからな。」
「それはそうと…」
栗色の髪をまとめた制服姿のギルド受付嬢イリアは、メガネをクイッと持ち上げた。
そのレンズ越しの淡い茶色の瞳は、カウンターに置かれた袋に向けられていた。
「これだけの魔石、どこで手に入れたんですか?」
「ホルダーの森でだ。」
「そ、そうするとさっき言ってたあの魔物を見たことが?」
「いや、あの森ではそんな奴見たことないな。運が良かっただけだろう。」
「不思議ですね…」
「魔石の鑑定、お願いしていいか?」
「もちろんです。少々お待ちください。」
イリアは魔石の詰まった袋を抱えてカウンターの奥へ消えた。
俺はその姿を見送りつつ、ギルドの中をゆっくりと見渡した。
木材でできた床はところどころ凸凹していて、間違いなくこのギルドの歴史を感じさせる。
切り出した丸太を組んで作られたテーブルがあちこちに並び、もちろん椅子もある。
壁の一面にはクエストを受け付ける掲示板が大きく設置され、様々な依頼内容が書かれた紙がきちんとピンで留められて並んでいた。
反対側には階段があり、二階へと続いている。
二階には東西南北四面に大きな採光窓があって、日の光がギルド内を明るく照らしている。
上階にはギルドマスターの部屋や応接室があるらしい。
もちろん一度も行ったことはない。
いや、行けるはずがない。
俺はFランクの冒険者だ。
二階に行けるのはせいぜいBランク以上の冒険者だろう。
Fランクの俺にはまったく縁のない場所だ。
でもそれでいい。
ランクが上がればやるべきことも増える。
それはつまり、責任が重くなるということだ。
俺が求めているのは、のんびりと気楽に暮らすことだからな。
冒険者ギルド――それは世界中に支部を持つ巨大組織の一つだ。
聞いた話では、この世界の生き物はほとんどが体内に魔力を持っているらしい。
基本的には食事をしたり眠ったりすることで自然に魔力を回復するそうだ。
だが魔物にとってはそういう回復方法は効率が良くない。
だから他の生き物を過剰に食べて魔力を維持しようとする。
草食の魔物は草を、肉食の魔物は肉を。
そしてそれが行き過ぎると他の生き物に被害が及ぶ。
だからギルドは冒険者にクエストを出し、討伐した魔物の素材や魔石を買い取ることで、冒険者が冒険者らしく暮らせるようにしている。
つまり、人間の生活のバランスを取る役割を果たしているわけだ。
冒険者ランクはFからSまで存在する。
Sランクともなると国家滅亡級の危機に対応するようなクエストを担当するとか。
俺には一生縁がない話だろう。
目立たず、静かに生きたいだけだ。
できる限り、な。
「鑑定結果出ました!」
イリアが大きな声を上げてカウンターに戻ってきた。
彼女の顔には汗が滲み、興奮と動揺が入り混じった表情で俺に叫んだ。
「な、何だよその量は!」
「ん、何かまずかったか?」
「ストレートボア10体分、ダークベア5体分、キラートレント10体分の魔石だって今確認しましたよ…」
「そうか。」
「これ、どうやって処理したんですか?」
「どうにかこうにかだな。」
イリアはカウンターをドンッと叩いて叫ぶように言った。
「こんなのFランクがやれるレベルじゃないですって!」
「俺はそういうFランクなんだ。」
「だからFランクじゃできないって言ってるじゃないですかああああ!」
「落ち着けイリアさん。ただ運良く魔物を仕留めて売りに来ただけだ。」
ギルド内の全員の視線がイリアと俺に集まっているのを、ようやくイリアも気づいたらしい。
彼女は咳払いをして、慌てて感情を抑えた。




