第73話
「…テン、串焼きを分析してくれ」
「はい。分析開始。
対象:ストレートボア串焼き
原材料:森林に棲むイノシシ型魔物ストレートボア(Eランク)
調理法:直火焼き+軽い塩味
加熱精度:84.3%
脂の分布:均等
魔力残留度:微量
風味データ:“豚肉”に類似」
「効果は?」
「効果分析
摂取後5分以内:
* 魔力回復+8%
* 体力回復+10%
* 精神安定度+5%
* 精霊核反応感度やや低下(食後の眠気傾向)」
私は静かに残った串を見つめた。
食事とは……様々な影響を与えるものだったんだな。
新しい発見だ。
「一言コメントは?」
テンはほんの少し間を置いて答えた。
「美味です」
私は静かに笑って串の最後の一切れを口に運んだ。
その味わいは、ベトだった頃には決して知ることのできなかったものだった。
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その後。
私はペレオラから北西へしばらく走り、再びホルダーの森の外れ、岩陰の窪地に腰を落ち着けていた。
迷宮の入口を吹き飛ばした後、心の赴くままにたどり着いた場所。
おそらく本能的に「横になれる場所」を求めたのだろう。
正直に言えば、ここは家でも住処でもない。
ただ一つの条件──静かであること──を満たす空間だ。
鳥のさえずりと、風に揺れる木々の音だけが響く。
木漏れ日は葉の間からこっそりと顔を覗かせ、私の体を包んだ。
やわらかく、温かく、まるで昔誰かがかけてくれた毛布のようだった。
迷宮の入口を破壊し、逃げるようにここに身を寄せてから、数日が経っていた。
人の中で生きるのも悪くはなかったが、やはり私は静寂を愛している。
周囲は木の根がまるで巣のように私を包み込み、外界から目を遮る。
地面には苔と柔らかな草が生い茂り、心地よく体を受け止めてくれる。
ときどきノロやウサギのような小動物が通り過ぎる。
朝になれば、テンが私を起こしてくれる。
「ノベト様、小鳥のさえずりモード起動。本日も安寧な一日を」
「……あと5分……いや、5秒……」
私はゆっくりと人型に変化し、周囲を整える。
いまは少しでも長く人型を維持できるよう訓練中であり、
また“安息の魅了”を遮断できる方法も探っている。
静かに落ち葉を集め、使えそうな枝やキノコを収納空間へと収める。
すぐそばには私が積んだ薪と、キノコを干すための岩がある。
日差しの届く場所に設置してあるため、意外と効率がいい。
ときにはテンが奇妙な分析をしてくる。
「このキノコには“気分が良くなる”との記録があります。食べてみますか?」
「死なないよな?」
「それは試してみないと分かりません」
「それ聞いて食べるやついないだろ」
なので、まだ食べていない。
昼になると、木陰の平らな場所を整えて日光浴。
そこには枝と蔓で作った背もたれなしの長椅子もどきがあり、
その上に横たわれば、風は私の体を撫で、
陽の光は静かに体温を包み込む。
「ベトが椅子に横になってる……」
そんなくだらない冗談も口にしつつ、
夜になるとベト形態に戻って“絶対空間”、いや今では“空間支配”を展開。
小さく静かな自分だけの拠点を作る。
精霊粒子と淡い光、穏やかな浄化の気配。
その中で、私は久しぶりに何もせずただ静かに過ごす。
それは夢と現の境にあるような、幻のように暖かな時間だ。
「寂しくないのか?」と聞かれたら──
たしかに、リアネットの声が恋しくなる時もある。
ビエラのぶっきらぼうな忠告も、
エルゼリアの中途半端な視線も、
ベルゲたちの真っ直ぐな姿も。
けれど──まだだ。
自分を制御できない今の私は、彼らに会っても混乱しか与えない。
だからテンとともに、いまは努力の最中だ。
「ねぇテン」
「はい、ノベト様」
「自分の体を完全に制御できるようになるまで、どれくらいかかると思う?」
テンは少し沈黙してから、落ち着いた声で答えた。
「その答えは、きっとノベト様ご自身が見つけ出すことになります」
「つまり分からないってことか?」
「正解です」
私は小さく笑った。
そう。まだ分からない。
でも、この静かな森が、私の心の安息の場所であることは間違いない。
今日も平和だ。
この森で私は、何もせず、ただ静かに生きている。
──ずっと望んでいた生き方が、いま、ここにある。




