第60話
辺りは静まり返っていた。
皆が眠りについたのか、
私は静かに横たわり、
手を持ち上げた。
その指先には、微かに精霊の残響が残っていた。
「……アウロラ」
その名を口にすると、指先が微かに反応した。
光はなくとも、記憶は確かにそこにあった。
彼女が最後に残した言葉。
『久しぶりに楽しかったから、体は譲るのやめておくわ。
その代わり、たまには私のこと、呼んでくれる?』
テンのウィンドウが静かに浮かび上がる。
「状態更新:
使用者:ノベト
魔導核内部パターンの変化を検出。
新たな精霊反応:“アウロラ”署名残留。
危険性:なし。
感情共鳴:微弱に継続中」
私は小さく息を吐いた。
ようやくすべてが終わった。
どこかで、埃をかぶった椅子の破片が転がった音がした。
「……もう一度、横になりたい」
「就寝準備完了。
姿勢補正中。
展開完了。
『ベトフォーム』へ移行します」
「……もう少し静かにしてくれないか?」
「システムは正確でなければなりません」
私はそっと身を丸め、
心を沈めた。
皆が戻る前に、
たった10分でいい、
誰にも気づかれずに横になっていたかった。
そして、今感じているこの感覚。
孤独でも不安でもない、
ただ静かに『生きている』という実感。
それを、長く覚えていたかった。
翌朝。
私は再びベトの姿に戻っていた。
基本形態。
ふわふわしていて、温かく、何もせずとも受け入れられる状態。
完璧だった。
「変換完了。
回復型ベトフォーム。
エネルギー循環率:安定。
精神ストレス:安定」
私は言葉を発することなく、静かに吐息をもらした。
何か、大きな出来事が過ぎ去った後のような、そんな感覚だった。
レスリングリング、
“FOUR!!”と叫ぶ審判、
アウロラの眼差し、
そしてパフォーマンス。
そのすべてが、
どこかまだ遠くで反響していた。
テンが、静かに告げた。
「内部コア解析報告:
使用者:ノベト
精霊核安定化進行度:67.4%
外部因子結合状態:“アウロラ-共鳴パターン”
反応形式:非同期型精霊波痕跡
主導権:使用者優位を維持
危険度:なし
感情偏差:軽度活性中
※備考:使用者内の感情タイムライン変化検出
ベトフォーム安定度:88%
反応速度:上昇傾向
記憶トリガー感度:1.2倍上昇
結論:使用者のアイデンティティに大きな変化はなし。
ただし、内的変動性の上昇により、将来の反応予測は困難」
つまり、私は今、
少し複雑な存在になったということだろう。
そう理解した。
内側で、何かが微かに震えていた。
それはアウロラかもしれないし、
新しい私自身の心なのかもしれない。
その波動が、静かに精霊核を揺らしていた。
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魔導書の中で暴れた時間は長かった気がするが、現実ではそれほど経っていなかったようだ。
「ノベトさん、おはようございます!」
リアネットがドアを開けて、明るく朝の挨拶をした。
「おはよう、リアネット」
「今日はとてもいい天気ですね」
「そうだね。ちょっと試したいことがあるんだ」
「試したいこと、ですか?」
「うん。屋敷の壊れた場所まで連れて行ってくれる?」
「それじゃあ、使用人たちを呼んできますね」
「それはいいよ」
私は人型へと変身した。
リアネットは目を大きく見開いて、まるで驚きが爆発したようだった。
「え……え?」
「たまたま、こういう姿になれるって気づいただけなんだ」
人の姿になると、声も自然に出てくる。
リアネットは突然、私に飛びついてきた。
「きゃっ、リアネット!?」
「ノベトさん、かわいいです……ふわふわしてて……」
自分の姿がどうなっているのか分からなかったが、
見下ろすと、ぬいぐるみのようなふわふわした形になっていたようだ。
「リアネット、とりあえず離れてもらえるかな?」
「はぁ、はぁ……ふわふわで……離れたくないです」
困った。
まるで催眠術にでもかかったかのように、リアネットは全く離れようとしなかった。
使用人を呼ぶべきだろうか。
いや、それでは逆に自分が怪しい奴として誤解されてしまいそうだ。




