第35話
意識の中、それはまさに沈んでいく感覚だった。
何も見えない暗闇の中へ静かに、そしてゆっくりと沈んでいく。
体も、重さも、感覚も曖昧になっていく中、ひとつだけ確かなことがあった。
──私は今、この子の夢の中にいる。
遠くから、いや、すぐ近くから、誰かがこちらを見ていた。
それは黒い影のようなものだった。
口も目もなく、気配もないのに、明らかに異質な存在だった。
私は、名前すら知らぬそのシルエットに、自然に語りかけた。
「やあ。できれば……どいてくれないかな?」
もちろん返事はない。
どうせ話せない奴だと分かっていた。
代わりに、まるで闇を注ぐように、攻撃が始まった。
──絶対空間、展開。
周囲からの闇の攻撃を防ぎながら、私は静かに立っていた。
闇は蠢き始めた。体を這い、壁を這い、そして私に迫る。
黒い糸が伸びてきた。魔力の棘が飛び交い、光のない刃が上から降り注いだ。
──空間浄化、展開。
青い波紋が闇の糸をかき消し、攻撃を打ち払っていく。
どれも届くことはなく、すべてが浄化されていった。
私は攻撃はしない。私は──ベッドだから。
空間浄化を発動すると、周囲が明るくなり、一人の少女が姿を現した。
フェレオラの娘だ。
夢の中なのに、やけに痩せていて、まるでオーデリアと同じ状態のようだった。
小さな手は震え、目は虚ろだった。
「こんにちは、お嬢さん。私は君を助けに来たんだよ」
私は自然に“手を伸ばすような気持ち”を送った。手はないが、思いが届けばいいと思った。
その瞬間、「熟睡歓迎」が発動した。こんな使い方もできるのか……知らなかったけど、効果はあるようだ。
少女はゆっくりと私の方に首を向け、近づいてきた。
「そうそう、いい子。こっちに来て、上に寝てみようか」
だが、闇が暴れだした。
攻撃が激しくなり、空間が裂け、夢がゆがみ、光が消えていく。
「邪魔しないでくれるかな」
空間浄化を重ねながら、私は少女を横たえることに成功した。
そして──何かを思い出した。
よくわからないが、非常時に発動するべき能力があるような、そんな“予感”。
それと同時に、「熟睡超回復」が発動された。
少女の意識の中で壊れていた何かが修復され、感情の傷がゆっくりと癒えていく。
彼女の息が通い、心臓が反応し、命の鼓動が私の上で微かに脈打った。
闇は最後の抵抗を見せたが、その影はやがて震えるように崩れ、無言のまま空間から消えていった。
そして、少女は夢の中でも私にそっと寄り添いながら問いかけた。
『あなたは誰?』
「私はノベト。……忘れてもいいから、ゆっくり休んで」
私は静かに意識の世界から引き上げられた。
──現実に戻った瞬間。
少女は目を開け、息を吸い込んだ。
その手がわずかに動いた。
ビエラはその手をそっと握りしめた。
フェレオラは……言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
室内には、誰も動けないような静けさが流れていた。
ついさっきまで“死”のように静かだった空間に──
今、少女の呼吸が、そっと風のように流れていた。
彼女は、小さな唇を開き、息を吸い込んだ。
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