クロユリは空気を読める子です
多田見の行方について、手がかりはゼロ。それどころか……知り合いでもない彼女の行動範囲すら、犬塚には予測できない。クロユリとのドライブデートがてら、多田見の自宅と目されるアパートにもやってきたものの、当然ながら……多田見の自宅はもぬけの殻であった。
(こりゃ、随分な間……帰ってなさそうだな)
真田の了承を得て、単身で多田見の行方を追っているが。探偵という職業柄、普段から出かけている事も多かったのだろう。アパートの管理会社に確認したところで、「多田見さんが不在なのは、いつもの事ですよ」と返されてしまい、郵便受けがパンパンになっていたとて、怪しがる相手もいないらしい。
(身内らしい身内もいない。趣味や行動範囲も……勤め先も分からない。うーむ……どうしたものか)
そんな事を考えている間に……犬塚は思いの外、長い時間をフラついてしまっていたらしい。多田見の不在を訝しがる者はいなくとも、見慣れない男を訝しがる者がいるのは、ごくごく自然な事で。そうして、余程に暇なのか……あるいは、無駄な好奇心を唆られたのか。疑り深い表情を隠しもしない、1人のおばさまが犬塚に話しかけてきた。
「あなた、ずっとウロウロしているけど……そこで何をしているの?」
「えっ? いや、怪しい者ではないですよ? 少しばかり、人探しをしていまして」
「人探し? 一体、誰を探しているのかしら?」
あなたには関係ありません……と突っぱねたところで、このテのおばさまが引き下がる可能性はゼロに等しい。見るからに噂好きな、ごくごく普通の出立ちのおばさまであるが。「ずっとウロウロしている」と言っていることからしても、犬塚がアパートの前で右往左往していたのも見ていたのだろう。
(暇人っていうのは、どこにでもいるもんだなぁ……)
ギョロリと目を向けられて、犬塚はどうしたもんかと頭を掻く。警察手帳を見せてやれば、「怪しい者ではありません」の証明はできるだろうが。疑いが晴れたところで、今度は「もしかして、何かの捜査?」と食いついてくるに違いない。
(参ったな。どっちに転んでも、色々聞かれそうだ……)
多田見の行方に関する手がかりもないのだし、このまま何も言わずに立ち去ってもいいのだろうが……変な噂を立てられても、面倒だ。
「キャフぅ! キャフ!」
「あら? まぁ……この子、柴犬の割には人懐っこいのね? かわいい顔、してるじゃない」
「クフ、クフ!」
犬塚ができる限り、面倒が残らない方法で離脱できないかと考えていると。場の空気を和ませるつもりなのか……クロユリがニコニコと柴スマイルを浮かべては、おばさまに尻尾を振っている。幸いにも、このおばさまは犬好きらしい。いかにも可愛い柴犬が耳を垂らして、目一杯愛想を振り撒けば……ヨシヨシとクロユリの頭を撫でては、ご満悦だ。
「本当に可愛いわねぇ。ウチのゴンゴンにも見習って欲しいわ」
「ゴンゴン?」
「あぁ、ごめんなさいね。ウチにもいるのよ、柴が。ただ、人見知りが激しい上に、散歩嫌いなものだから……こんな風によその人に撫でてもらうなんて、夢のまた夢だわ」
そんな事を言いつつも、彼女自身は相当の愛犬家なのだろう。ポケットから取り出したスマートフォンの待ち受け画面には、「ゴンゴン」と思しき白い柴犬が映し出されていた。そんな自慢の画面を示されて……犬塚はピンチにも関わらず、自然と頬を緩める。
「このサイズ感だと……男の子ですか?」
「そうよ〜。運動不足だから、ちょっとぽっちゃり気味で。まぁ、それがまた可愛いんだけど……」
犬の健康を思うのなら、少しダイエットをさせた方がいいのかもしれないが。……生憎と、ぽっちゃりしても犬は可愛い。いわゆる「拒否柴」を発動しているゴンゴンのムギュッとしたご尊顔は、なんとも言えない愛嬌がある。
「えぇと、変な事をお聞きしますが……もしかして、この辺にお住まいの方ですか?」
「近所も近所。ここの向かいの家ですもの。あっ、もしかして……ウチのゴンゴンに興味があるのかしら?」
……なるほど、よく見ているわけだ。なんと、このおばさま……アパートのお向かいの住人だったらしい。
「もちろん、それもありますが……実は、このアパートにこの子の知り合いがいましてね。ほら、このアパート……ペット禁止でしょう? 動物好きなのに、飼えないんだって言ってまして。それで、この子もよくしてもらっていたもんだから、散歩がてら寄ってみたんですけど……留守みたいなんですよ」
「あぁ、そうだったの。それは残念だったわね……」
どうやら、クロユリのおかげで不審者扱いは免れたらしい。犬塚は妙なピンチを切り抜けられたと、足元のお嬢様に感謝せずにはいられない。だが、犬塚が後腐れなく立ち去れると思ったのも、束の間。おばさまが意外にして、重要な事を言い出すから、慌ててしまう。
「そう言えば、この子の知り合いって……多田見さんかしら?」
「えっ? どうして、それを……」
「この辺で留守がちって言ったら、彼女しかいないわよ。それに……ほら。あの人、探偵らしいじゃない? 出かけていることも多いし、ほぼホテル住まいだって聞いたことがあるわ」
このおばさまにしてみれば、何気ない会話の一部なのだろう。だが……多田見の行方を追っている犬塚にしてみれば、彼女の証言はかなり重要な手がかりだ。
「ハハ……それはまた、忙しそうだ。もしかして、香織さんには行きつけのホテルチェーンとかあったりしたんでしょうか?」
「あらやだ、あなた……多田見さんの下の名前まで、知ってたの? 本当に知り合いなのねぇ」
「知り合いと言えば、知り合いでしょうね。主に、この子経由の」
抜かりなく「多田見さんをよく知ってます」アピールをしつつ、足元のクロユリに視線を送れば。常々、空気を読めるお嬢様はお利口に「ワン!」と鳴いた。そうして、これ見よがしに尻尾も振るのだから……つくづく、気が利いている。
「そうそう……多田見さんがよく使っていたの、蓮華クラブだったかしら? お料理が美味しんだって、言ってたわ」
「蓮華クラブ……確か、日本初のビジネスホテルでしたっけ?」
「それよ、それ。お兄さん、意外と物知りなのね」
クロユリ効果で、ひょんな所から貴重な話が出てくるもんだ。そんな発信源を目の当たりにして、地域密着型おばちゃまの情報網は侮れないと、犬塚はタジタジになってしまう。しかして、このおばさま自体はちょっと噂好きなだけで、そこまで悪い人間ではないらしい。去り際に「今度、ゴンゴンにも会わせてください」と言ってやれば……陽気な笑顔で見送ってくれるのだから、ありがたい相手である事には間違いない。




