クロユリと逃亡者
ついに、大富豪殺人事件の犯人が捕まった! なんとなんと、犯人は東家グループの元顧問弁護士! 殺害動機は遺産目当てか、或いは……。
(……下らないわ。本当に、下らない)
ここは都内某所、ビジネスホテルの一室。多田見は連日報道されている、「大富豪殺人事件」に絡んだワイドショーを垂れ流す画面を憎らしげに見つめている。テレビ画面は飽きもせず、極限までに感情を削ぎ落とされた豊華を映し出しており、警察が公表した限られた内容を面白おかしく膨らませては、勝手な推論と憶測とを無遠慮に振り撒いていた。
(ここまで証拠を揃えられたら、動機が不明でも逮捕はできるものね。それに、この調子ですもの。……関さんは余計な事を喋るつもりもないかしら)
豊華の一貫した無表情に、申し訳なさよりも先に、安堵を感じる多田見。もうここまで来たらば、彼女のご厚意に甘えて逃げ延びてやると狡い事を考える。
「元麻布抗争事件」の現場から、鮮やかに脱出した多田見ではあったが。しばらくは自宅に帰らないほうがいいだろうと判断し、ビジネスホテルを転々としながら、逃亡生活を続けていた。
もちろん、彼女本人だって、よくよく理解している。確たる証拠がない以上、自分が表向きは事件の関係者扱いではないことを。だが……梓との邂逅場面を目撃され、警視総監との関係性も感づかれているともなれば。……一部の警察関係者からは、重要参考人扱いされているだろう事も想像に容易い。
(きっと、犬塚さんだったらば抑えているでしょうね。……私の自宅くらい)
もちろん、自宅に帰ろうとして見つかったところで、多田見が逮捕される可能性もなければ、理由もない。それに、関豊華が東家宗一郎を殺害した犯人である事を誰よりも知っている以上、多田見は容疑者ですらないのだ。
(大丈夫、きっと……大丈夫。どんなに鼻が利く警察官だって、彩音先生の真実は掘り返せないはず……)
もう既に、故人であるはずの関彩音。彼女は紛れもなく、テレビの常連となってしまった関豊華の実妹であり、地獄の渦中から救ってくれた多田見の恩人。彼女自身はなんの変哲もない、真面目な教師の卵……そして、理不尽な交通事故の被害者でしかない。表向きはそんなことになっているし、例の交通事故は特段大きく取り上げられた事件でもないため、関彩音の名前は世間から忘れ去られ、最初から注目を浴びたこともなかった。
だが、その姉がセンセーショナルな事件の犯人になったとなれば……常々、余計な事をしでかすマスコミのこと。「ちょっとついでに」と彼女の交友関係や親類を出鱈目に調べ上げては、記事になりそうなネタを勝手に掘り起こすかもしれない。キッカケは、根も葉もない噂だったとしても。彩音にスポットライトがほんの少しでも当たるのは、非常に都合が悪い。
(本当は彩音先生がどんな人だったか。そして、豊華さんがしてしまった事が表に出ることだけは、避けないと)
地東會に復讐するために、関豊華の手を取ったあの日から……いや、関彩音の提案に乗ってから。多田見の人生は共犯者として歩む事を決定づけられたのかも知れない。そして、全ての元凶は関彩音……問題だらけの妹を更生させたいと、意固地になる豊華の独善だったのだろう。
実際の彩音は姉の豊華が信じたがった、「理想の妹」とは程遠い人物であった。野心的な銀行員の父親に、病弱で従順な母親。そして、優秀で過保護な姉。傍目から見れば「理想の家族」に囲まれて、彩音は品行方正に育った……のであれば良かったのだが。生憎と、彩音はあまり優秀な人間ではなかった。「最低限でも公務員」。それが彩音に与えられた家族の条件であったが、当然の如く、彩音はよろしくない方法で反抗した。有り体に言えば、グレてしまったのである。それはそれは、もう……思春期の彩音は盛大にグレにグレたらしい。
(正直なところ、信じられないけれど……きっと、彩音先生が私の事情に気づいたのは、同じ匂いを感じたからかも。互いに、家庭には恵まれなかったから)
多田見が知っている彩音は教師として振る舞う、普通の研修生であったが。来栖川を陥れるための撮影会スポットに「吹上トンネル」が選ばれたと伝えた時に、「そう言えば、よく遊びに行ったわ」と白状した彩音の屈託のない笑顔を、多田見は未だに忘れられないでいる。どうやら、「悪い友達」とよく遊びに行っていたそうで。……トンネルの壁に落書きもしたなんて、悪びれる事もなく語っては、笑っていた。
(きっと、あっちが本当の彩音先生だったのでしょうね。……本当は教師になんて、なりたくなかったって言っていたし)
彩音の母親は心労が祟って亡くなっている。そして、父親は野心以上に強欲だったが故か、汚職に手を染めており……辞職を余儀なくされ、彩音姉妹を残して蒸発していた。多田見が出会った頃の彩音は豊華共々、理想の家族を既に失った後だったが……それが却って、彩音は自由を感じられたのだろう。だからこそ、彼女はこうも言っていたのだ。「結婚したら、教師を辞められる」と……。
だが、豊華はそれを許さなかった。両親の悲願に応えるべく、苦労して妹を教師に仕立て上げたと言うのに。彼女は玉の輿に乗ってしまえば楽ができると、豊華の努力を踏み躙ろうとした。だから、彼女は……。
「しかし、本当に馬鹿な事をしましたねぇ、関容疑者も。赤の他人なのに、遺産が手に入る訳、ないでしょうに」
「そうですよね〜。弁護士なのに、そんな事も分からなかったんでしょうか」
点けっぱなしのテレビから、無責任で自分勝手な憶測が容赦なく流れてくる。その不愉快な会話に、現実に引き戻されると同時に……眉を顰めて、多田見はようやくテレビのスイッチを切った。彼女が仕方なしに不愉快な会話に耳を傾けているのは、自分や彩音にスポットライトが当たらないかどうかを気にしているからではあるが。
……見当違いなドラマを垂れ流している時点で、まだ心配はなかろうかと、多田見はそっと息を吐いた。




