66話 問題がある
正直言って、大地たちと顔を合わせたくなかった。昨日のメッセージからにじみ出ていた妙な雰囲気が頭の中でぐるぐると回っているからだ。ああ、嫌だ。顔を合わせたくないな。本当に。
げんなりとした様子で洋子の家の前にやってきた空。その彼の傍らには「いつまで落ち込んでんの?」と気持ちを察してくれない幼馴染のカンナがいる。
「別にあの二人は気にしてないってば」
「二人が気にしなくても、オレが気にするっつーの!」
こうなれば、やけだとして洋子の家の呼び鈴を押した。扉から次郎が出てきて「お待ちしておりましたよ」と優しい笑みを浮かべてはいるが――。
――雪野さん、センパイから事情を聞いているんだろうな。
もう誰もが自身の身の上のことについて承知していそうでたまらなかった。急激にこの場にいることが恥ずかしく思う。なんだったらば、穴があったら入りたいレベルである。いや、周りはアスファルトだから工事道具でも持ってこないと掘れそうにないが。
次郎に案内されるがまま、客間へと通してもらった。すでに大地も来ていたようで、この部屋だけ微妙な空気になっているようだった。
「よ」
いつもならば、少しお茶らけた感じで声をかける大地に至ってはどこか遠慮気味。これは決して心配をしている顔ではない。昨日の事実は気の毒だった、とでも言っているようである。見え見えの同情のようだ。
「お待ちしていました」
洋子も洋子だ。彼女は天然ボケと言っていいほど、周りの空気を読まない節がところどころあるのだが、今回に限ってはどこかばつ悪そうな表情である。
「その、なんだ。昨日のあのメッセージ……」
「気のせいでもなく、事実ですよ」
そこは空が答えるべきなのに。勝手にカンナが答えた。それにあまりいい顔を見せない。当然だ。勝手言われるのは好きじゃないから。だとしても、ここで鬱そうな表情を見せても仕方がないのである。無論、それは大地たちもである。故に彼は笑って見せた。いや、実際のところは空笑いのようである。
「困りましたよ。まさか、都市伝説の首謀者が自分の父親だったなんて」
皮肉ったつもりではある。だが、大地たちにはそう見えなかった。空からはため息が見える。余程、忘れ去りたいと思っている事実なのだろう。
「あんな父親がいるオレですケド、これからどーします?」
そのようなことを言われると、もっと口を開きにくい。なんと声をかければいいのか全くわからない。
そんな中、カンナが口を開いた。彼女は部屋の壁際にいる次郎の方を見る。
「雪野さんって、あの工場の資料集めをしていましたよね? あれって結局どーなりました?」
「ええ、あれはある程度集まりましたが……ご確認致しますか?」
実に微妙な空気がなくなるならば、として誰もが首を縦に振るのだった。
◆
そうして次郎が持ってきた資料は少しばかり分厚いA4ぐらいの封筒とタブレットだった。
「まずはこちらが。冬野製薬工場の従業員の名簿ですね」
その名簿を大地が受け取った。空とカンナは見えやすい位置へと移動してそれを見た。どうやら、その名簿は従業員の区分と名前が一覧となっているだけのようである。
「夏斐、こーゆーのあんま言いたかねーケド。これにオマエのトーちゃんは載ってっか?」
大地が少しばかり訊ねづらそうにしてそう言う。空は母親の言葉を思い出した。自身の父親は研究員だった、と。それならば、区分にある研究員にあるかとも思ったが――。
「名前は知らないです」
そうなのだ。昨日の事実が衝撃的過ぎて、あの白衣の男の名前を知らないのである。おそらくは母親ならば、知っている可能性はあるだろうが――。であっても、訊きづらい。もっとも、訊く気も起きないのだ。
「アレ?」
ここでカンナが名簿を見ていて、声を上げた。それに気付いた洋子が「どうされましたか?」と訊いてくる。声を上げたからには何かしらに気付いていると言えるだろう。
「や、何でもないです」
「そうですか」
何でもないと言われても、気にはなって仕方がない。だが、カンナがこれ以上口を割ろうとはしないため、次郎はまだまだある資料を彼らに見せていく。ほとんどが工場に関するものばかり。見取り図から始まり、どのような薬品を製造しているかの報告書まで。そう見せてもらってはいるが、業界に全く詳しくない彼らにとっては頭を悩ませるようである。現に大地が専門用語や活字を見て情報をインプットするキャパシティが限界だった。もう文字なんて見たくないと言わんばかりに、流し読みをしてはすぐに空たちへと渡す。
「センパイ……」
内容を理解しなくてもいいから、読み通せとカンナは眉間にしわを寄せる。そのようにして、こちらに期待されても困るのに。
「大地さん、大丈夫ですか?」
「アタマでオレを頼らないで。洋子たちが見てくれ。オマエらなら簡単に理解できるだろーから」
「早々の諦めですか。って、いつの間に二人はお互いを下の名前で呼び合うんですか」
「コイビト同士が下の名前で呼び合っちゃいけねーってか?」
別に好きな人のことを下の名前で呼んでもいいだろ、と大地が歯を立てるようにしていた。そう、これまた昨日の案件で二人が晴れて付き合うこととなっていたことをすっかり忘れていた。空は羨ましいな、と思う反面、受け取った資料を眺める。
「ていうか、今はそんなのいーだろ。先にこれらを片付けるぞ」
「は、いーんですケド。いつ頃にあの工場に乗り込むんですか? また冬野センパイの見学じゃ通れないでしょ?」
そこが一番の問題だと少しばかり開き直った空がそう言うと、次郎が「ご安心ください」と言う。
「少しばかり、時間はかかってしまいますが、いずれは工場の監視カメラや防犯システムにハッキングをして敷地内を自由に行き来できるように致しますので」
「雪野さん、サラって言いましたケド、ワリととんでもないことですよね? てか、何者なんスか」
素直に驚きと関心がある空はちらりと資料を見ているカンナを見た。彼女は従業員の名簿を見ているようである。そんなに食い入るようにして見ているのは、知り合いの名前でも見つけたのか。なんて訊きたくても、訊くに訊けない雰囲気が漂っているようだ。このため、黙っておくことにした。
「…………」
従業員名を見ているカンナの視線の先にある氏名は――。
『桜 リカ』




