28話 Wチコクの末にエスケープ
七月三十一日。花町某所では海に遊びに行く予定の者たちがマイクロバスを前にしていた。彼らが現在待っているのは遅刻者である。
まだ朝なのに、焼けるような太陽の日差しに手で影を作り眩しそうに空はしていた。
「雨が降るよりかマシだケド、暑い」
「そうですね。先に中でお待ちしていてはいかがですか」
洋子の運転手である次郎はこのクソ暑い状況だというのにかっちりと執事服で固めていた。暑くないのだろうか、と思いながらもこの場にいるみんなはマイクロバスの中へと入る。
「すみません、冬野センパイ。車まで出してもらって」
そう、このマイクロバスは洋子が出してくれたのである。運転手はもちろん、次郎だ。
「いえいえ、いいんですよ。みなさんと楽しい思い出作りをしましょうね」
「ありがとうございます」
「ところで、まだ来ていないのは秋島さんと高崎さんですか?」
洋子は海に行くメンバーを見て確認をする。それに空は「そーみたいですね」と答えるしかない。そうだ、本当にあの二人は来ていないのである。玲は平常運転だとしても、大地の場合はまた彼の姉が関わってくるのだろうか。
スマートフォンの画面を見る。二人にメッセージは送っているのだが、返事はない。もちろん、それは彼らの連絡先を知る者たちも同様である。
「猿渡センパイ、秋島センパイから何もないですよね?」
「うん。大地クンどーしたんだろ?」
「大地のねーちゃんじゃね?」
どうやら、誠一はそうとしか考えられないらしい。だとするならば、アルバイトを強要されたか。
「アイツはわかるけど、もう一人は? ソイツってチコク魔?」
「そうで――」
「ギリギリ」
「アウトだ」
どこがセーフなのか。玲は汗だくながらも走っては来ていたようではある。このイベントの企画者なのに。
バス内の冷房に当たって涼やかな顔になった玲は「バッサリするなよ」と笑う。
「どーせ、秋島センパイもチコクだろ?」
「見たのか?」
「おー、もー少しすれば……」
「逃げるぞ!」
大地が唐突にそう言いながら乗車してきた。少し離れたところから見慣れた原付バイクでこちらへとやって来る女性が見える。これを見た空は合コンのときと同じか、と鼻白む。
「雪野さん! 逃げて! アレに追いかけられる前に閉めて!」
だがしかし、その合コンのことを知らない次郎は都市伝説の関連だと思い込み、アクセルを踏み込んで公道の方へと逃げだした。思わぬ急発進によって、席に着いていなかった空と大地と玲は倒れ込みつつも、三人とも頭を強打する。
「みなさん、お気をつけてくださいよ」
もう遅い。
本気で痛かった空は後頭部を抑え込みながら、空いている席へと移動しようとする。この現状を見ていたカンナは「大丈夫?」と声をかけてくる。
「さっき、三人ともスゴい音がしたから。頭見せて」
「ヘーキ。多分、コブができているだけだろーし」
少しばかりカッコ悪くて恥ずかしいとでも思ったのだろう、空はカンナから逃げるようにして呉羽の隣に座った。彼も彼で心配そうにしているようである。
「ホントにヘーキなのか?」
「はい。あとで高崎と秋島センパイに仕返しをすればいーだけなので」
「なるほどなぁ。それよりも、オレまでなんだか悪いな。誘ってもらって」
そう、呉羽は先日空と大地に海に行こうと誘われたのである。
「いーんですよ。なんか、人数が増えて冬野センパイにバスまで出してもらっているから」
だから、ありがとうございます、と通路の反対側に座っていた洋子にお礼を言う。それに彼女は「そのようなことはないですよ」とはにかんだ。
「私、こうしてみなさんと一緒に海に遊びに行けることが嬉しいので。えっと、桜さんですよね? 改めて初めまして。私は冬野洋子と申します」
にっこりと誰にでも分け隔てなく笑顔を見せるのはやっぱり洋子であるようだ。彼女が座った状態で頭を下げると、車内で誰かの着信が鳴った。どうやら大地のようだ。ということは彼の姉だろうかと思うあたりは単調的か。
大地はにやにやと不敵な笑みを浮かべながら、その電話に出るが――。
《ふざけんじゃないわよっ!!》
聞き覚えのある女性の怒声がその場に響き渡る。隣に座っていた美奈は「誰?」と言いたげである。その質問に答えてあげたいのは山々ではあるが、まずはこのうるさいスマートフォンをなんとかしなければ。
「ちょっと待ってって。あっ、アネキ……」
《何!? 今日、アタシがデートだって知っていたクセに!!》
またか、と空は鼻白む。というよりも、車の中のどこにいても聞こえる音量である。
「アネキ、今日は逃げたモン勝ちだぜ」
《カッコつけんなっ! ホント、帰ったらサソリ固めでもかけてやるから!》
大地の姉はそう大声で言うと、勝手に通話を切った。話は誰もが聞いていたのも当然で、玲が「アクロバティックだな」と苦笑いする。
「帰ったら、大変じゃないスか?」
「や、そっちじゃねーよ。ホントは。どーせ、キャメルクラッチ辺りだろ。多分」
「うわっ、マジかよ」
プロレス技を知らない洋子――いや、車内にいる女子全員は知っていそうにもないだろう。彼女たちは顔を見合わせて首を捻っているのだ。
「あの、キャ……なんとかって?」
「あー、プロレス技だよ。ウチのアネキはプロレスファンだからな」
「なるほど、秋島はその練習台、と」
「そーだよ。代わりにサッキーがなるか?」
それは遠慮したいとして、呉羽は断りを入れた。それならば、と大地は空の方を見る。
「じゃあ、夏斐。帰りにオレんチに寄る?」
「人を盾にして逃げないでください」
絶対に巻き込む気だ、と即座に断りを入れた。もし、大地に着いていけば、痛い目に合うのが見えているのだ。それは合コンのときにわかっているから。
「えっ。じゃあ、どーしよう……美奈ちゃん、助けてくれる?」
「えっ、あたしにプロレス技をかけられろ、と?」
「あっ、や、そーゆーんじゃなくて……なー、誠一ぃ」
どうも大地は自身の姉のプロレス技にかかりたくない様子。助けを求めるが、誰一人として助けてくれない様子だったが――。
「プロレスって、ガッツポーズをしたら勝ちでしたっけ?」
スマートフォンでプロレスについて検索するも一人どこかずれた洋子。もちろん、そのようなわけではないため、「違いますよ」と空は訂正をかける。正直言って、自分もよくルールは知らないが、彼女の言葉が合っているとは思わない。
「それならば、相手同士と仲良く歌って、歌唱力のいい方が勝ち……?」
「すみません、冬野センパイは何見てそう言ってるんですか?」
やはり、洋子はどこかずれているようであった。
●サソリ固め・・・プロレスで使われる極技であり、スコーピオン・デスロックとも呼ばれる。倒れている相手の両足の間に右足を入れて相手の左脇腹の横へ踏み込んで、相手の両足を膝でクロスさせて相手の右足を自分の右腕でロックし、右足を軸にして反転して相手をひっくり返してから腰を落とす。かけられた相手の姿がサソリのように見えたことからこの名がついた。長州力の代名詞的な技。
●キャメルクラッチ・・・うつ伏せ状態になった対戦相手の背中に乗り、首からあごを掴んで相手が海老反り状になるようにする。和名は『駱駝固め』技をかけている様子がまるでラクダに乗って手綱を引いている様に見えることが技の名称の由来である。
(ちなみに大地の言うキャメルクラッチはプロレスラー柴田勝頼の初期の得意技である『クロス式キャメルクラッチ』のことを差すとする)
※プロレス技にはそこまで詳しくないので、詳しい情報は検索してください。




