11話 傷
「おはよう、ございます」
「おはよう」
いつもの穏やかな時間を終えて朝の挨拶をすると、アキラは神妙な面持ちで私の胸を触る。
「…。」
「やはり、大きいのう」
「あの」
「なんじゃ?」
「なんで、朝っぱらから破廉恥龍になってるんですか?」
「昨晩の風呂で、レンゲの胸揉みライセンスをもらったじゃろう?」
「あげてません。一回きりです。手を離してください」
「そんなっ、自由に揉めるんじゃ!?」
「んなわけないでしょうに」
「うががっ」
アキラの顔を鷲掴みにして引き剥がすと、少し不服そうな顔を見せた後、艶っぽい表情に切り替えてから、自身の服を開けさせていく。
「うっふ~ん、美しいレンゲの奥様よ〜」
「は?」
「…すまん」
何がしたかったんだろう?
「でもなぁ、儂はもっとレンゲと乳繰り合いたいんじゃが…」
「精気のやり取りなしの口付けをしてるじゃないですか」
「もっと色々したいんじゃよ」
「口付けには飽きちゃったんですか?」
「そんなことはない!」
「わっ!?驚いた…」
「す、すまぬ。じゃがな、儂はレンゲに飽きてないし、キスにも不満はない。けど、レンゲとやれることを増やしたいし、それでお互いの関係を深め合いたいんじゃよ」
生きるための行為じゃなくて、私との関係をより強固にするための行為。
まあ、私の胸を揉んで、関係が深まるかは甚だ疑問だけど、アキラとしては真面目なんだろう。
「私はその、あまり肉体的に触れ合うことが得意じゃないと言いますか、まだ小っ恥ずかしいんです。…まあ、小っ恥ずかしく感じるのは、私の性分だとは思いますが」
「むぅ…」
「ただ、アキラ様と…ね、懇合になるのが嫌ってわけじゃありません。そもそも…えーっとあの、好意…が無かったら、口付けもしませんし」
精気のやり取りならともかく、それ以外の口付けを、好きでもない相手にするわけがない。
「それは、選択肢がないからではないのか?時間を与えることで奪ってしまった選択肢じゃ」
「私には選択肢がありますよ?別にアキラ様しかいなくったって、選択しないことだってできますし、一緒にいるのが嫌だったらさっさと逃げます。
というか、私に合わせるって言った誓いは何だったんですか。意志が弱すぎやしませんか?」
「分かっとる、分かっとるが…。想う感情が強く、大きくなる度に、レンゲを求めたくなる気持ちと、離したくないという欲と不安によって、精神が揺さぶられるんじゃぁ…」
複雑に混じり合った感情の濁流が流れ込んでくる。
限定的とはいえ、好意の一部を受け入れてしまった私にも責任が…ないわ。うん、ない。
ただ、私の態度でアキラが不安定になるなら、妻としてできることをする。
それでも、私は私の歩みでアキラとの関係を築いていきたいし、譲れない部分でもある。
「じゃあ、独占欲とそれに付随する不安だけでも解消しませんか?」
「…と、いうと?」
「普段は見えない、私の身体のどこかに、アキラ様が瑕疵を作るんですよ。背中とかお腹とか、あとは二の腕とかでしょうか。
傷物になってしまえば、嫁の貰い手なんか居なくなりますし、私のことはアキラ様が独占できると思いますよ」
私は容姿に優れるわけじゃないし、アキラが求める部分に容姿は含まれない、はず。
痛いのは…嫌だけども、私に向かって止めどなく好意を垂れ流すアキラのためだったら、ひと肌脱いでもいいと思える。
感情が流れ込む影響で、アキラからの好意はよく理解できる。利用したいだけでも、おべっかでもない。
私自身もアキラのことは好きだし、現金な話だけども…私を心から好いてくれる彼女が、愛おしくもある。
私は自身の寝間着を開けさせて、肩をすくめる。
『準備はできた』と。
するとアキラから流れ込んでくる感情は爆発的なものとなり、まるで心臓の音まで聞こえてきそうな勢いだ。
好意と独占欲と、少しの戸惑い。
それらの感情を、正面から受け止めてやれば、呑み込まれるようなことはなく、心の内に収まっていくようにも思えた。
手のかかる元龍だ。
****
儂アキラは、半裸となったレンゲを目の前に、様々な感情が渦巻く自身の胸の内に不安を覚えていた。
情欲、恋心、独占欲。
龍の時に覚えのない様々な感情を、レンゲは儂に与えてくれる。
精気のため、飽きを散らすためと利用することが目的だったのにもかかわらず、どんどんのめり込んでおる。
心躍る賛美に、儂と共にありながら揺らがぬ意志、そして安らぎを与えてくれる存在で。
レンゲといる時は、“飽き”なぞ気にしなくて良くて、忘れさせてもくれる。
だからこそ、『口付けに飽きたのか』と問われた際は声を荒らげ、感情が急激に乱れ始めた。
あの言葉はきっと、儂にとっての…逆鱗なんじゃろう。
「傷を付けてもいいのか…?」
「あんまり酷い怪我は困りますよ、動けなくなってしまいますし。…傷物であれば女としての価値は下がりますし、アキラ様の残した痕跡となりますから」
「…っ」
これはレンゲの意志を捻じ曲げる行為ではない。
レンゲからの提案で、合意の上での行為じゃ。
「はぁっ…はぁっ…」
身体の芯が燃えるように熱い。
腹の底が疼く。
知識でも闘争でも得ることのできなかった喜びが、今、目の前にある。
「レンゲは…毒婦じゃよ」
「嫌いになりましたか?」
「いや、全く」
レンゲは優しく笑う。
「そうですか。……私はアキラ様、いやアキラのものになる。だからアキラも、私のものになって歩幅を合わせてよ。
ゆっくりとアキラを知って、私を知ってもらって。深く根を張った関係を結んでいきたいんだ。
私たちの生活には問題が山積みで、私たちは吹けば飛ぶようなチンケな存在なんだ。
こんな状態で、芯の通った…あ、愛情を育もうなんて無謀だ。拗れちゃう。
だから私は、交渉材料として私自身をアキラに差し出す。あんたとの将来を見据えてね」
あぁ、これじゃ。
この意志の強さと輝きが、儂の心を燃え上がらせる。
指が震える。
儂に堪え性がなかったばかりに、儂は自身の手でレンゲを傷つけねばならん。
「俯せになっとくれ。この傷は…儂にだけ見えればいいから、レンゲには見えぬ背中に付ける」
「…。」
儂は、儂のみが知る傷をレンゲに刻んだ。
その最中、レンゲは声を殺して涙を流していた。
最悪なことに独占欲は非道く満たされたものの、満足感はなかった。
だがしかし、レンゲと二人で幸せになろうという、夢が胸の奥底に根付いていた。
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