1話後編 生贄と水晶の龍
龍という存在は知っている。
空を漂っている姿を、村から見たこともある。
けれど、目の前にいるのは、私の知る龍とは一線を画す存在だった。
見た目は、銀色を思わせる水晶の鱗がおびただしく生えた大蛇で、鳥のような足が四本見える。
頭部には鹿を思わせる角が生えていて、それは綺麗に透き通るような水晶の角だ。
その龍を視界に入れた瞬間、私の身体はひどく硬直したものの、寝息を立てて眠る様子を確かめた時に、緊張は和らいで手足が自然と動くようになった。
私はこの龍の餌になるところだったってわけか。
さっさと供物を拝借してずらかろう。
饅頭を一つ頬張って、干し柿や饅頭を袖に押し込んだ私は、水晶の龍を迂回できる斜面を探しながら踵を返す。
水晶の龍に背を向けて歩きだすと、妙に視線を感じる気がするのだが、ここで振り返ったらパクリと喰われちまいそうだと思い、そのまま足を進める。
一歩、二歩、三歩。
何度も繰り返し足を動かしているのにもかかわらず、私は山間から出ることができない。
何歩進んだ?
その疑問と共に、私の首筋に冷や汗が伝い落ちる。
「お主。この世で最も美しい、儂の玉体を目にしたのにもかかわらず、感嘆の言葉も無しに踵を返すとは、無作法ではないかのう?」
「……っ」
私は石臼のような鈍い動きで振り返ると、さっきまで眠っていたはずの龍の頭が真後ろにあり、紫色をした瞳をこちらに向けていた。
頭だけで私の背丈よりも大きく、呼吸で発生する風は生温い。
吐息からは犬や猫のような臭さがなかったことは、救いだろうか。
…気を確かに持てたんだから。
あっ、いや、ちょっとちびった。
「これはこれは守護龍様、お目覚めでしたか。私は御身の心地よさそうな眠りを邪魔せぬよう細心の注意を払い、心に秘めた多くの感想を我慢していたに過ぎません」
「ほう?それにしては、供え物を袖に隠したり、頬張ったりと好き勝手しているようじゃが?」
見られていた。
ともなれば、一つを引っ掻いて、形を悪くしてしまおう。
「あー、見てください、こちらを。この饅頭、形が欠けてでしょう?私しゃ、ちっとばっかし目が良いもので、今朝方に運んでいるお供えを見て、こんな物を守護龍様に出しちゃいけねえって回収しに来たんです。あぁもちろん、村の衆にも伝えてありますとも」
袖から一部の欠けた饅頭を取り出して、水晶の龍に見せる。
「ふむ。まあ、そういうことにしておこうか」
助かったー!
「それでは私はこれで」
「まあ待て。お主は目が良いとも、儂の玉体の感想を胸に秘めたとも言ったな。どれ、いくつか聞いてやろう」
「あー、お供え物の用意がありますゆえ」
「構わん構わん、それっぽっちを喰ったところで腹は膨れぬ。儂は儂への賛美を最も美食としているのじゃよ」
何だこの龍、かなり面倒臭いぞ。
ただこれは悪くない展開かもしれない。
気に入ってもらえれば、喰うのに躊躇して命は助かる可能性があるんだ。
「まず最初に、私めの瞳に焼きついたのは、歪みなく並ぶ水晶の鱗にございました。一つ一つに細かな違いがあれど、それら一切に瑕疵はなく、むしろ互いが互いを引き立てるような素晴らしい並びとなっている。
陽の光を浴びて輝く鱗は、まるで凪いだ湖面のような美しさ。私は一度、村を降りて下流に位置する湖を見に行ったことがあります。
…霧に包まれながらも陽光を受けて輝くあの光景は、忘れることができません。守護龍様は、鱗の一つ一つがその光景に匹敵していると、私は思います」
「鱗のみにここまでの感想を貰えるとは…驚いた。仲間内や、昨日見かけた村人に感想を求めても、だいたいは素っ気ない言葉を返されるばかりでのう」
「ははっ、みな守護龍様の威光に気圧されているだけでしょう」
「くっくっくっ、そうか?いや、そうじゃろうな!よし娘、もっと儂を褒め称える言葉を紡ぐといい、この地に来るのもこれが最後、良き記憶と共に離れるとしよう」
ここに来るのも最後?
となると水晶の龍は何処かに行ってしまうのか、それともそろそろ寿命なのか。
何にせよ、状況としてうまく拾いたいところだね。
私は言葉を並べて、水晶の龍の賛美を続けた。
****
「―――以上となります。お喜びいただけましたか?」
「ああ、心地よかった。これほど満たされたのはいつ以来じゃったか」
「それは良うござんした」
思ったことに色を付けて語っただけに過ぎないが、どうやら水晶の龍は気に入ってくれたらしい。
「して、娘よ。お主の名は何と申す」
「蓮花って、あっ…」
「ほほう、これは趣向を凝らした花嫁を用意したものだな。ここ数回は、怯え泣き喚く花嫁ばかりで、宥めるのに時間を要したものだ」
しくじった。
昨日、村人を見かけたと言っていたんだから、名前はぼかしとくべきだった。
「衣装の準備をしてきますので、私はこれで」
「まあ待て、どうせ何処かに飛ばすのだから、重っ苦しい衣装に着替える必要もなかろう」
「飛ばす?何処かに?」
「そうじゃ。儂は人間を喰らわんこともないのじゃが、捧げられる花嫁は、その全員をこの村から離れた場所に転移させ、自由にしてやっている。生活に困るだろうから、鱗を二枚ほど渡してな」
「食べないのですか?」
「喰わんよ、肉体は。骨と筋ばかりで美味じゃないからのう」
驚いた。
水晶の龍は、村人たちよりも理性があるらしい。
「ただ今回は、鱗の全てを使ってしまう予定でのう。お主に与えられるものはないんじゃよ」
「え、あー」
他の人は貰っていて、私だけ何も貰えないっていうのは不愉快だ。
花嫁衣装の装飾品は拝借したが、水晶の鱗と比べたら雲泥の差。
「守護龍様は何処かへ行かれるのでしょう?ならば、その旅路に同行させては頂けませんか?私にはこれといった特技はございませんが、花嫁…いえ、妻としてお支えすることはできますよ」
「儂の事情を知る人間か」
「実はもう…村に戻ることはできません。…その責任を取ってもらいたいと思いまして」
「責任……」
情に訴えて婚姻を迫るなんて気が引けるが仕方ない。
村に戻ることができないのは事実だし。
水晶の龍は私を見下ろして考え込んでいる。
これが人を喰らう龍でないのなら、一人っきりで何処かに飛ばされるよりも安全だと思う。
龍をいかにして支えるかなんてのは分からないが、身体を洗うくらいはできるんじゃないか?
『鱗を使ってしまう』とも言っていたが、いずれ生えてくるだろうし、悪くない生活ができるかもしれない。
「よかろう!儂はお主の賛美と度胸を甚く気に入った!ゆえにお主を旅路の友とし、生涯の伴侶としよう!…お主は女子じゃが問題はないだろう」
何か不都合でもあるんだろうか?
まあいいか。
「……自分で言ったことではあるんですけど、そんな気軽に決めちゃっていいのですか?」
「構わん構わん。なんなら手間が一つ減ったくらいだ」
「そうですか。…じゃあ、供物は全部持っていきますね」
「準備をするといい」
なんだかよくわからないが、私は助かったらしい。
計画は大きく狂ったけども、おっ死んだり、身一つで知らない場所に置き去りにされるよりは全然マシだ。
人生を水晶の龍に捧げるのは…不安の方が大きいけども、心の奥底からわくわくが湧き上がってきているのを感じる。
「あっ、そうだ。守護龍様のお言葉で、村人に伝えてほしいことがあるのですが」
「何をだ?」
****
私は、水晶の龍の手の平に収まりながら、空を飛んでいる。
空を飛んだことなんてないから、最初は心底驚いたが、風を切る感覚というのは、なかなか心地よいものだ。
村の上空に差し掛かり、水晶の龍が留まると村人がわらわらと現れて、こちらを見上げている。
「村の民よ、聞くがよい。これより儂と、花嫁の蓮花は帰らぬ旅に出る。…そして、此度は鱗の全てを使う必要があるゆえに、お主らに与えられるものは何もない。これまでの鱗でも過分であったろう。…達者で暮らすようにな」
眼下の村人たちからはどよめきが聞こえるようであったが、水晶の龍はそれらを見届けることなく飛び去っていく。
水晶の龍曰く、村人たちは龍の落とした鱗を拾い集め、それらを売っ払って恵みとしていたらしい。
『生贄を捧げれば村を豊かにしてくれる』なんて言ってたが、ただ若い娘を売って大金を手に入れてただけじゃないか。
くだらないったらありゃしない。
それに今回の宣言で、次の一〇〇年二〇〇年に生贄が出ることもないだろう。
こんな悪習は捨て去ってもらわなくちゃ、この村の未来なんて端っからないんだ。
荒療治を受けてもらうよ。十七年世話になった孝行ってことでね。
それはそれとして―――
「―――ははっ、ざまぁないね」
「儂が蒔いた種であるゆえに、些か心残りにはなるんじゃがな…」
「いいんですよ。若い娘を差し出して大金を得ようなんて、連中でさぁ。ちっとばっかし痛い目を見てもらわなくちゃ、悪癖は抜けないってもんです」
「そうか…?」
水晶の龍は人情味のあるお方らしい。
…それが巡り巡って、私は生贄にされかけたんだけども。
「これからどこに行くんですか?東西南北どこに行っても、楽しそうではありますけど」
「異世界じゃよ」
「イセカイ?」
「軸の異なる土地なんじゃ。ちっとばっかし覗いてきたが、なかなか面白そうな場所でのう」
「守護龍様、いや旦那様が龍の姿で生きれる場所なんですか?」
「旦那…。いや、見せた方が早かろう」
「?」
「しっかりと儂に掴まっておれ」
「はい」
私が水晶の龍の指にしがみつくと、水晶の鱗の全てが輝き出す。
目が眩みそうな光の中、その鱗が剥がれ落ちていくと、水晶の龍の体躯はみるみるうちに縮んでいき、人の姿に変わってしまった。
私よりも背丈が小さく、銀の髪がたなびく美少女だ。
彼女は空中で私を手繰り寄せると、その愛らしい顔を近づけてきて、唇を重ね合わせてきた。
咄嗟のことで押し退ける余裕もなかったのだが、唇が重なっている間に、私の力が吸われていくようだった。
「〜っ!?おまっ、私は女だぞ!?」
「何を今更。お主から口説いたんじゃろう?」
「メスだと知ってれば!」
「知っててもお主は儂を利用したさ」
少女となった龍は、頬を紅潮させながら笑みを浮かべて、もう一度私に接吻した。
抵抗しようにも力が出ない。
柔らかな唇から漏れ出る息が、私の口を伝って入り込み、身体の内から支配されていくような感覚に、ひどく溺れそうになる。
「儂の奥様や、これから末永くよろしく頼むぞ。…この身体に馴染むには、ちっとばっかし人間の精気が必要でのう」
「なに、を?」
「お主、いや蓮花が儂を利用してくれて助かった。こうして気兼ねなく、利用できるんじゃからな。…一生離さぬからな、愛しの奥様」
意識が薄れていく中で私は理解する。
自分が利用した相手が何だったのか。
私は自らの選択で、生贄になってしまったようだ。
私はメスの龍に言い寄って、その妻となったらしい。
こんなはずじゃなかったのに…。
「さて、異世界に転移するぞ!新天地に突撃じゃー!」
ただ悔しいことに、異世界とやらを目指し紫の瞳を輝かせる少女は、龍の姿よりも美しく見えてしまった。
…腹立たしいことに。
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