第9話「それって、つまり」
王都への道は、思ったより賑やかだった。
街道を行き交う馬車や商人の列が増えて、遠くに王都の城壁が見え始めた頃、アリアはなんとなく足が重くなっているのに気づいた。
王都に着けば目標に近づく。それは嬉しい。でも同時に、エイダンとの旅も終わる。
最初は地図のせいで迷惑をかけてばかりだと思っていたのに、いつの間にかエイダンと並んで歩くのが当たり前になっていた。
「……足が遅い。どうした」
先を歩いていたエイダンが足を止め、振り返った。アリアは慌てて歩調を合わせる。
「すみません、ちょっと考え事をしてて」
「何をだ。王都が怖くなったか?」
「違いますよ。……ただ、ここに着いたらどうなるのかなって」
「仕事の紹介はすると約束した。心配するな」
「……はい。ありがとうございます」
アリアは頷き、再び前を向いた。そびえ立つ城壁が、一歩ごとに視界を埋め尽くしていく。
王都の門をくぐったのは、昼過ぎだった。
王都は今まで通ってきた町や村とは比べ物にならないくらい大きかった。石畳の道が縦横に走り、建物が密集している。行き交う人の数も多く、馬車の音や商人の呼び声が混ざり合っている。
アリアはきょろきょろしながら歩いた。エイダンは慣れた様子で人混みをすり抜けていく。
「迷子になるぞ。離れるな」
「なりません。……たぶん」
「お前は地図がなければ、自分の立ち位置すら見失うだろう」
「失礼な。……まあ、あった方が安心なのは認めますけど」
アリアは反論しながら、こっそり地図を取り出した。
(王都で、私が仕事を見つけるために必要な場所を教えて)
現れた金色の線を目で辿り、アリアは隣を歩くエイダンを見た。
「……エイダンさんの行き先と、完全に重なってます」
「ついてこい」
王宮は王都の中心にあった。
エイダンが門番に身分を示すと、すんなりと通してもらえた。アリアは慌ててその後ろについていく。
中庭を抜けて、調査局と書かれた建物に入った。廊下を進んでいくと、部屋の前でエイダンが立ち止まり扉をノックする。
「入れ」
中に入ると、三十代くらいの女性が書類の山に埋もれながら作業をしていた。眼鏡をかけた、いかにも仕事のできそうな人だ。
「エイダン、珍しいな。調査から戻るのが早かったじゃないか」
エイダンを見てから、アリアに目を向けた。
「……誰だ、その子は」
「調査の途中で知り合った。職を探している」
「ふうん」
女性はアリアをじっと見た。アリアは思わず背筋を伸ばした。
「名前は」
「アリアといいます」
「読み書き、計算はできるか」
「はい。一通りは」
「体力はあるか」
「旅をニ週間以上してきたので、それなりには」
女性はしばらくアリアを眺めてから、エイダンに目を向けた。
「こいつ、使えるか」
「……問題ない。俺が保証する」
「そこまで言うなら決まりだ。明日から記録整理の手伝いをしてもらう。月給は金貨二枚、これでどう?」
アリアは思わず聞き返した。
「金貨……二枚?」
「不服かい?」
「とんでもないです! ありがとうございます、一生懸命頑張ります!」
金貨二枚。数年真面目に働けば借金が返せる。アリアは頭の中で素早く計算して、それから深々と頭を下げた。
「明日から来い。エイダン、説明しておけ」
「わかった」
女性はすでに書類に視線を戻していた。アリアとエイダンは部屋を出た。
王宮の廊下を並んで歩きながら、アリアは改めてエイダンに頭を下げた。
「本当にありがとうございます。金貨二枚なんて思ってなくて」
「あの人は仕事ができる人間には惜しまない」
「エイダンさんが保証してくれたから採用してもらえたんですよね」
「……買いかぶりだ」
「そんなことないです」
アリアは廊下の窓から外を見た。王都の街並みが広がっている。ここで働くことになるとは、旅に出たときは思っていなかった。
「……エイダンさんは、しばらく王都にいらっしゃいますか?」
「一週間は報告書の作成で詰所にいる。……その後も、次の調査まではここにいる予定だ」
「そうですか」
アリアは胸をなでおろした。すぐにどこかへ行ってしまうわけではない。
廊下の突き当たり、夕陽が差し込む大きな窓の前で、エイダンが唐突に足を止めた。
「アリア」
「はい」
「……その地図を、出してみろ」
怪訝に思いながらも、アリアは地図を広げた。
「念じてみろ。……お前が今、本当に行くべき場所を」
アリアはエイダンの瞳をじっと見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。
(私が今、本当に……一番、必要な場所を教えて)
目を開けたアリアの視線の先——。
光の筋は、廊下でも、窓の向こうの街並みでもなく、すぐ目の前に立つエイダンの胸のあたりを強く、眩しく指し示していた。
「…………」
沈黙が廊下に満ちる。エイダンは地図を一瞥し、それからふいと顔を背けた。
「……これって、つまり」
「……俺には分からん。それは、お前の地図が決めることだ」
突き放すような言葉。けれど、その声はいつになく低く、熱を帯びているように聞こえた。
アリアは手の中の地図を見つめた。金色の模様が、いたずらが成功した子供のようにチカチカと輝いている。
「……地図の、ばか」
アリアが小さく毒づくと、エイダンが「何か言ったか?」と聞き返した。
「独り言です! ほら、行きましょう」
アリアは慌てて地図をしまい、前を向いた。顔が火照って、心臓の音がうるさい。
少しだけ隣を盗み見ると、エイダンもまた、赤くなった耳を隠すように首をすくめて歩き出していた。
その夜、宿に落ち着いてからアリアは地図を取り出した。
ランプの明かりの中で、金色の模様を眺める。
「ねえ」とアリアは言った。
「あなた、最初からわかってたんですか」
地図は答えない。でも手のひらの中で、ほんのりと温かかった。
アリアは地図を胸に抱えて、天井を見上げた。
(それって、つまり)
そこまで考えて、やめた。今日のところは、これでいい。
窓の外に王都の夜景が広がっていた。遠くで教会の鐘が鳴った。アリアはゆっくりと目を閉じた。




