第8話「地図よ、ありがとう(言いたくないけど)」
エルムの町を出た翌日、アリアとエイダンは王都の手前にある廃城の調査に向かっていた。
もともとエイダン一人で行く予定だったらしいが、昨夜の夕食の席で話が出て、アリアがついていくことになった。
「危険はないんですか?」と尋ねるアリアに、エイダンは「廃城だから人はいない」と答えた。それなら安心だと思ったのだが……
「……思っていたより、ずっと大きいですね」
目の前にそびえる廃城は、森の奥深くで静かに朽ちていた。
「百五十年前に放棄されたと記録にある。内部の魔力炉が今も稼働しているか、その状態を確認するのが今回の任務だ」
「魔法装置、ですか。……もし動いていたら、どうするんですか?」
「記録をとり、王宮へ報告する。管理が必要になれば専門の部隊が派遣されるだろう」
「なるほど……。お仕事、ですね」
アリアは廃城を見上げた。雰囲気は怖いが、人がいないなら大丈夫だろう。
「行くぞ」
「はい」
エイダンが錆びた扉をこじ開けて中に入ると、石畳の廊下が続いている。埃が積もっていて、足跡がくっきりと残った。天井は高く、壁に古いランプが並んでいるが、当然灯りはない。エイダンが魔法石のランタンを取り出して灯した。
「ついてこい。……はぐれるなよ」
「はい、わかってます」
アリアはエイダンの少し後ろを、足音を忍ばせて歩いた。地下へ続く階段を下りながら、アリアはそっと地図を取り出す。
(今、私が必要な場所は?)
現れた金色の線は、迷うことなく目の前を歩くエイダンの背中を指した。
「……それは、言われなくてもわかってるんだけど」
アリアが小さく零すと、エイダンが肩越しに振り返った。
「何か言ったか?」
「……いえ、独り言です」
地下の魔力炉は、思ったより状態が良かった。
広い石造りの部屋の中央に、人の背丈ほどある球形の装置が据えられている。表面に複雑な模様が刻まれていて、ぼんやりと青白い光を放っている。
「まだ動いてる」とアリアが言った。
「百五十年経っても止まらない。よほど丁寧に造られたものだ」
エイダンはノートを取り出して、記録を始めた。
「少し時間がかかる。周りを見ていていいが、ここから離れるなよ」
「わかりました」
アリアは部屋の中をぐるりと歩き回った。壁に古い紋章が刻まれている。棚には埃をかぶった道具が並んでいる。
部屋の奥に、別の扉があった。
半開きになっている。なんとなく気になって、アリアは扉の前に立った。中を覗いてみると、小さな部屋があって、床に古い魔法陣が描かれている。
(なんだろう)
一歩踏み込んだ瞬間だった。
床がぐらりと傾いた。
「え——」
「アリア、危ない!」
鋭い叫びと同時に、腕を強引に引き寄せられた。
石畳が崩れ落ちる乾いた音が響く。アリアの体は硬い石の床の上へと転がっていた。
エイダンの腕が、強くアリアを抱きしめている。
耳元で、彼の激しい鼓動と荒い呼吸が聞こえた。
「……大丈夫か。怪我はないか」
すぐそばで聞こえるエイダンの声が、微かに震えている。アリアは彼の胸に顔を埋めたまま、しばらく動くことができなかった。
「……だいじょうぶ、です。すみません……」
ようやく絞り出した声も、情けないほど震えていた。エイダンはすぐには離れなかった。アリアの震えが収まるのを待つように、そのままでいてくれた。
少しして、エイダンがゆっくりと、名残惜しそうに腕を緩めた。
「……勝手な行動はするな。……事前に一言、俺に声をかけろ」
「すみません……」
その声は怒りというより、必死に動揺を押し殺しているように聞こえた。
「……心配、してくれましたか?」
「当たり前だ」
食い気味に放たれた言葉に、アリアは顔を伏せた。
記録を終えて、廃城を出たのは昼過ぎだった。
レナは深呼吸してから、空を見上げると雲一つない青空だった。
「エイダンさん。……助けてくれて、ありがとうございました。また、お世話になっちゃいましたね」
「……お前がもう少し慎重になれば済む話だ」
「それは、ぐうの音も出ないですけど」
アリアは苦笑いしながら、地図を取り出した。
「地図も、ありがとう。……言いたくないけど」
「……なぜそこで地図に礼を言うんだ」
「だって、毎回こうしてエイダンさんのところに連れてきてくれるから。……結果的に、助かってますし」
「俺に礼を言え」
「エイダンさんにはさっき言いました。でも、この子(地図)にも言っておかないと、次から変なところに飛ばされそうなので」
「……意味がわからん」
「振り回されてばかりで癪なんですけどね。でも、まあ……悪いことばかりじゃなかったから」
アリアが照れくさそうに笑うと、エイダンは一瞬だけ言葉を失ったようにアリアを見つめ、それから足早に歩き出した。
「王都まであと半日だ。日が暮れる前に行くぞ」
「はい!」
「……到着したら、すぐに仕事の紹介をする。俺の知り合いだ、変な奴ではない」
「ふふ、ありがとうございます」
(ねえ。王都に着いても、あなたはちゃんと『道』を教えてくれますか?)
地図は答えない。けれど、アリアの掌には、確かな熱が宿っていた。




