第6話「地図が笑ってる気がする」
アルカ村を出て、次の町へ向かう途中で雨が降り始めた。
最初はぽつぽつと小雨だったのが、一時間もしないうちに本降りになった。街道沿いに小さな村が見えたので、アリアとエイダンは雨宿りを兼ねて宿を探すことにした。
村の宿は一軒だけだった。
「すみません、泊まれますか」
「ああ、どうぞ。ただ今日は込み合っててねえ」
宿の女将が申し訳なさそうな顔をした。
「空いているお部屋が、一つしかなくて。二人部屋なんですけど……よろしいかしら?」
「…………」
「…………」
アリアとエイダンは顔を見合わせた。
「二人部屋、というのは」
「ベッドが二つある部屋です。他の部屋は全部埋まっちゃってて」
外では雨脚が激しくなり、遠くで雷鳴まで轟き始めた。アリアが恐る恐るエイダンを窺うと、彼は短く息をついてから言った。
「構わない」
「え、いいんですか?」
「ベッドが二つあるなら問題ない。外で寝るよりましだ」
「……そうですね」
アリアはポケットの中で地図をそっと握りしめた。
(あなた、絶対わかってやってるでしょ)
地図はもちろん答えない。
部屋は思ったより広かった。ベッドが二つ、窓際に小さなテーブルと椅子が二脚。
アリアは濡れたマントを椅子に掛けながら、改めて状況を確認した。エイダンと同じ部屋。一晩。ベッドは別々。問題ない。全然問題ない。
エイダンは濡れたノートを広げて乾かしながら、淡々と調査の記録を書き始めた。気にした様子が全くない。
「……エイダンさんって、本当に動じないんですね」
「何にだ」
「何にって……同じ部屋に、年頃の女がいるんですよ?」
「お前が俺に何か仕掛けてくるとは思っていない」
アリアは黙った。確かに、エイダンを襲う気は全くない。
「まあ……そうですね」
「だろう」
エイダンはそれきり記録に戻った。アリアは窓の外を眺めた。雨は一向に止む気配がない。
夕食は一階の食堂で食べた。宿泊客が多いせいか、食堂は賑やかだった。
アリアとエイダンは隅のテーブルに向かい合って座った。出てきたのはシチューとパンだ。雨に濡れた体に染みる。
「美味しい」
「そうだな」
しばらく無言で食べた。食堂の騒がしさが二人の沈黙を埋めてくれるので、気まずくはない。
アリアはパンをちぎりながら、ふと聞いた。
「エイダンさんって、ずっと一人で調査してるんですか」
「基本的にはそうだ」
「寂しくなったりしませんか」
「……慣れた」
その言葉が、アリアの胸に少しだけ引っかかった。「寂しくない」ではなく、「慣れた」なのだ。
「王都に帰れば、どなたか待っている人は?」
「同僚がいる」
「仲の良い方は?」
「……普通だ」
それがどういう関係性を指すのかは分からなかったが、アリアはシチューを一口飲んでから、踏み込んで聞いた。
「エイダンさんって、友達はいますか?」
「いる」
「何人くらい?」
「……数えたことはない」
「あ、少ないんですね」
「……お前はどうなんだ」
「私の村はみんな仲良しですから。それなりに、たくさん」
エイダンは少し考えてから、静かに言った。
「それは友人というより、もっと身内に近い存在なんだろうな」
「……そうかもしれませんね」
アリアは手元のシチューを見ながら、村のみんなの顔を思い浮かべた。
「早く借金を返済したいんです」
「いくら必要なんだ」
「金貨三十枚……王都で数年働けばなんとかなるかと思って」
「無謀だな」
「わかってます。でも他に方法が思いつかなくて」
エイダンはしばらく黙った。アリアも黙った。
「王都に着いたら、仕事を紹介できる」
エイダンが唐突に切り出した。
「え?」
「俺の同僚に、人手を探している者がいる。王宮関連の事務だ。給金も、悪くない」
「本当ですか……!?」
「嘘はつかない」
「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
アリアが真っ直ぐに見つめると、エイダンはふいと視線を泳がせた。
「……放っておけないと言ったはずだ」
「昨日も聞きました、その台詞」
「……事実は変わらん」
エイダンはそれきり、逃げるようにパンを口に運んだ。アリアはその不器用な横顔を見て、思わず吹き出した。
「なんだ」
「いえ。……ありがとうございます、エイダンさん」
「……礼はいい」
夜、部屋に戻ってからもまだ雨は続いていた。
エイダンはさっさとベッドに入って目を閉じた。アリアも反対側のベッドに横になった。雨の音が窓を叩いている。
暗闇の中で、アリアは地図を取り出した。見えないけれど、手のひらで形を確かめる。
(本当に必要な場所って、何なんだろう)
仕事は確かに必要だった。助けてもらったことも何度かあった。でもそれだけじゃないような気がしてきた。
「……アリア」
暗闇の中から、エイダンの声がした。
「はい」
「地図を見ているのか」
アリアは思わず地図を顔の近くに持ってきた。暗くてよく見えないが、金色の模様がなんとなくにやけているように見えなくもない。
「……笑ってるかもしれないです」
「気のせいだ」
「そうかもしれないですけど」
しばらく沈黙した。
「エイダンさん」
「なんだ」
「王都に着いてからも……また、会えますか?」
口にしてから、アリアは顔が熱くなるのを感じた。暗闇でよかった、と心から思う。
エイダンはしばらく無言だった。
「……俺は定期的に、王都へ報告に戻る」
ぶっきらぼうな、けれど確かな約束。アリアはそれだけで、十分だった。
「そうですか。よかった」
地図を胸の上に置いて、目を閉じた。雨の音が子守唄みたいに聞こえた。




