第4話「地図が壊れてるのか私が壊れてるのか」
ハルトの町での仕事は、三日間続いた。
アリアの役割は単純だ。エイダンが怪しい商人や取引相手に話を聞くとき、連れの振りをして隣に立つ。それだけでいい。難しいことは何もない。
ただ、エイダンの仕事ぶりを間近で見ていると、思っていたより面白かった。
無口で表情のない男だが、調査のときだけは別人のように饒舌になる。商人相手に世間話をしながら、さりげなく証拠を引き出していく。愛想のかけらもない顔で、するすると人から話を聞き出す。
「エイダンさんって、調査のときだけよく喋りますよね」
「……仕事だ。必要なときに必要なことを話しているだけだ」
「普段は必要ないってことですか?」
「ない」
「私との会話は?」
「……必要に迫られることが多い」
アリアは思わず吹き出した。エイダンは笑わなかったが、少しだけ目元が和らいだ気がした。
三日目の夜、仕事が一段落したところで、アリアは地図のことが気になり始めた。
このまま王都まで、毎回エイダンのところに案内され続けるのだろうか。それはそれで助かっている部分もあるが、地図の本来の使い方ではない気がする。
翌朝、アリアは町の外れにある魔法道具屋を訪ねることにした。地図の鑑定をしてもらおうと思ったのだ。
「エイダンさん、今日は一人で動いていいですか。地図を見てもらいたい店があって」
「どこだ」
「魔法道具屋です。この地図、一度ちゃんと鑑定してもらおうと思って」
「……俺も行く」
「え、調査は?」
「今日の午前は空いている」
有無を言わさない口調だった。アリアは特に断る理由もなかったので、頷いた。
魔法道具屋は町の外れの細い路地にあった。看板には『魔法鑑定 なんでも承ります』と書いてある。
中に入ると、眼鏡をかけた細身の男が帳簿を眺めていた。店主らしい。年はエイダンと同じくらいだろうか。
「いらっしゃい。鑑定かな?」
「はい。この地図を見てほしくて」
アリアが差し出した地図を、店主は手慣れた手つきで受け取った。眼鏡の奥の瞳を鋭くし、光に透かし、指先で魔力の流れをなぞる。
沈黙が流れる中、アリアとエイダンは顔を見合わせた。
やがて、店主がふぅと息を吐いて顔を上げた。
「うん、正常だね。しっかり動いてる」
「…………は?」
「魔力の循環も術式の組み方も完璧だ。むしろ、恐ろしく丁寧な仕事だよ。これ、どこで手に入れた?」
「森の小屋で、銅貨三枚……」
「銅貨三枚!? 冗談だろう。このレベルの魔法道具なら、安く見積もっても金貨十枚は下らないよ」
アリアは絶句した。隣でエイダンが小さくため息をつく。
「正常なんですね、本当に」
念を押すアリアに、店主は苦笑しながら地図を指し示した。
「ああ。ただ……この術式、ちょっと風変わりでね。普通の地図は『使用者が行きたい場所』を示すけど、これは違う」
「……と言うと?」
「使用者の『潜在的な目的地』――つまり、その時々でその人に『本当に必要な場所』を優先して示す構造になってるんだ。地図が自分で判断を下すタイプだね」
「……そんなの聞いてないです。おばあさんは、行きたい場所を念じればいいって」
「まあ、嘘じゃない。ただ、本人が行きたい場所と、その人に今必要な場所が一致するとは限らない……ってことさ」
アリアは地図を見た。地図はもちろん何も答えない。
「じゃあ私が宿を念じても、地図が『この人に必要なのは宿じゃない』と判断したら別の場所に案内する?」
「そういうことになるね」
完全に自分の意志が無視される地図だった。
店を出てから、アリアはしばらく黙って歩いた。エイダンも何も言わなかった。
町の広場のベンチに腰を下ろして、アリアは地図を眺めた。
「壊れてなかったんですね」
「そうらしいな」
隣に座ったエイダンが、淡々と応じる。
「つまり、地図は正しくて、私の頭がズレてるってことですか……。なんか、行き先を勝手に決められるのって複雑です」
「だが、結果論としては間違っていないだろう。仕事は見つかり、まともな宿にも泊まれた」
「それはそうですけど」
「お前が一人で選んでいたら、今頃どこかの路地裏で野宿していてもおかしくなかった」
「……否定できないのが悔しいです」
「つまり地図は正しくて、私の判断がずれてるってことですか」
「そういうことになる」
アリアは地図をしまって、空を見上げた。青空に白い雲が流れていく。
「エイダンさんは、次どこに向かいますか」
「次はアルカ村の調査だ。ここから一日半ほど東だ」
「私も東に向かいます」
「だろうな」
エイダンが静かに言った。アリアはその横顔をちらりと見た。
「……また地図がエイダンさんのところに連れてきても、怒りませんか?」
「最初から怒ってない」
「嘘だ。いつも怒ってるみたいな顔じゃないですか」
「これが普通の顔だ」
アリアはじっとエイダンの横顔を覗き込んだ。確かに、不機嫌というよりは「動かし方を忘れた顔」に近いのかもしれない。
「じゃあ、また鉢合わせても迷惑じゃない……って信じていいですか?」
「…………迷惑だとは、思っていない」
ぼそりと、本当に小さな声だった。アリアは思わず「え?」と聞き返しそうになったが、エイダンがすっと立ち上がったので、聞きそびれた。
「昼飯を食って出発する。……来るか」
「はいっ、行きます!」
アリアは立ち上がりながら、ポケットの中の地図をそっと握った。
(本当に必要な場所、ね)




