第12話「帰り道」
調査は二日で終わった。
水神の祠の魔法陣は状態が良く、記録も滞りなく取れた。エイダンは珍しく「予定より早く終わった」と満足そうだった。満足そう、といっても表情はいつも通り動かないのだが、声のトーンでなんとなくわかるようになっていた。
アリア自身、それが少し嬉しかった。
王都への帰り道は来た道と同じ街道だ。馬を並べてゆっくりと進む。秋の終わりの空気は冷たくて、吐く息が白くなり始めていた。
「寒いですね」
「もうすぐ冬だ」
「王都の冬は寒いですか」
「そこそこだ。北の山岳地帯に比べれば大したことはない」
「そこそこって、どのくらいですか」
「池が凍る程度だ」
「十分寒いですよそれ」
エイダンは答えなかったが、口元がわずかに緩んだ。アリアはそれを横目で見て、心の中でこっそり喜んだ。この人の表情の変化に気づけるようになったのは、いつ頃からだろう。
昼過ぎ、街道沿いの村で馬を休ませることにした。
村の広場に小さな市が立っていて、食べ物や雑貨が並んでいる。アリアは馬から降りながら、屋台を眺めた。焼き栗の甘い匂いが漂ってくる。
「少し見ていいですか」
「ああ。構わない」
アリアは屋台を見て回った。エイダンは少し離れたところで馬の世話をしている。
雑貨の屋台に、小さな革紐のブレスレットが並んでいた。素朴な作りだが、可愛い。値段を見ると銅貨五枚だ。
隣にもう一つ、少し太めの革紐のブレスレットがあった。男性向けらしい。アリアはそちらも手に取って、しばらく眺めた。
(図々しいかな。でも……せっかくだし)
少し迷ってから、二つとも買った。渡すかどうかはそのときに考えればいい。買わなかったら後悔しそうだったから。
屋台を離れながら、アリアは袋の中の二つのブレスレットを確認した。
(渡せなかったら自分で使えばいいか)
そう思うことにした。
広場のベンチに並んで座って、焼き栗を食べた。
アリアは栗を一粒エイダンに渡しながら、ポケットから革紐のブレスレットを取り出した。
「手、出してください」
「何をする」
「さっき屋台でブレスレットを買ったので、つけてあげます」
エイダンはしばらくアリアを見てから、無言で右手を差し出した。アリアはブレスレットをエイダンの手首に巻いた。革紐を結びながら、大きくて骨張った手だと思った。ずっと外で調査をしているから、少し荒れている。
「できました」
アリアが手を離そうとしたら、エイダンの指がアリアの手首をそっと掴んだ。
「……エイダンさん?」
エイダンはアリアの手首を見ていた。アリアはまだブレスレットをつけていない。
「貸せ」
エイダンが手を伸ばして、アリアの手から残りのブレスレットを取った。それをアリアの手首にゆっくりと巻いていく。大きな手が、アリアの手首に革紐を結んでいく。
アリアは息をするのを忘れそうになった。
「……上手いですね」
「結び方ならわかる」
エイダンはそれだけ言って、丁寧に結んだ。できあがったブレスレットを確認するように、一度指でなぞった。
それだけだったのに、アリアの心臓がうるさかった。
王都まであと半日というところで、日が傾き始めた。
街道沿いに川が流れていて、夕日が水面をきらきらと照らしている。風が出てきて、アリアは思わず首をすくめた。
「寒いか」
エイダンが言った。
「少し」
「もうすぐ宿場町がある。そこで一泊する」
「はい」
しばらく並んで馬を進めた。川沿いの道は木が多く、夕日が木漏れ日になって落ちてくる。きれいだと思いながら、アリアはぼんやりと馬上で揺られていた。
そのとき、馬がつまずいた。
大したことはなかったので、馬はすぐに体勢を立て直した。でもアリアが一瞬バランスを崩して、前のめりになった。
「っ……」
エイダンの手が、素早くアリアの腕を掴んだ。
「大丈夫か」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
アリアが体勢を整えると、エイダンはすぐに手を離した。でもそのまま、馬をアリアの隣に寄せて並走した。
「……エイダンさん、近くないですか」
「落ちたら困る」
「もう大丈夫ですよ」
「念のためだ」
有無を言わさない口調にアリアは何も言えなくなった。
並んで馬を進めながら、アリアはこっそり地図を取り出した。
(今、私に必要な場所はどこですか)
金色の線が現れた。その先はまっすぐ、エイダンの方向だった。
「…………もうわかってます」
小声で言って、地図をしまった。
宿場町に着いたのは、すっかり日が落ちた頃だった。
今夜は部屋が二つ取れた。アリアは少しほっとして、少しだけ残念だと思って、その自分に驚いた。
夕食を終えて部屋の前まで来ると、エイダンが立ち止まった。
「今日の記録、まとめておいてくれるか。明日王都に着いたら報告書に使う」
「わかりました。今夜やっておきます」
アリアが部屋の扉を開けようとしたとき、エイダンが「アリア」と言った。
「はい」
振り返ると、エイダンが一歩近づいていた。
何かを言おうとして、でも言わなかった。かわりに、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
アリアが動く間もなかった。
エイダンの手がアリアの頭にそっと触れて、前髪をわずかに持ち上げた。そして、額に唇が触れた。
ほんの一瞬だった。
「……っ」
アリアは固まった。
エイダンが手を離して、一歩下がった。いつもと変わらない顔をしているが、耳が赤い。首まで赤い。
「……今日、よく頑張った」
それだけ言って、エイダンは自分の部屋に入っていき扉が静かに閉まった。
アリアは廊下に一人残されて、しばらく動けなかった。
額に触れた温もりがまだ残っている。
「…………」
アリアはゆっくりと自分の部屋に入って、扉を閉めてベッドに倒れ込んだ。
地図をポケットから取り出し暗い部屋の中で眺めると、金色の模様がほんのりと光っている。
「見てましたよね、絶対」
地図は答えない。
「笑わないでください」
地図はやっぱり答えない。
アリアは天井を見上げて、息を吐いた。
明日、王都に帰ったらこの気持ちをどうしたらいいか、さすがに地図に聞くわけにはいかなかった。




