第13話「城門のところで」
王都の城門が見えてきたのは、昼過ぎだった。
大きな門は、遠くからでもよく見える。旅から戻るたびに、あれを見るとほっとすると誰かが言っていた。アリアも今日初めて、その気持ちがわかった気がした。
けれど今日に限って、城門が近づくにつれて心臓の鼓動が激しくなっていく。
理由はわかっている。昨夜から、ずっと考えていたからだ。
額に触れた温もり。手首にブレスレットを巻いてくれた指。眠れないと言った低い声。星を教えるふりをして近づいてきた、あの距離。
全部、気のせいなんかじゃない。確かめないまま通り過ぎるなんて、今の私には無理だ。
(帰ったら、言おう)
朝、目が覚めたときに決めた。王都に着いたら、あの城門のところで伝えよう。これ以上先延ばしにしたら、二度と言えなくなる気がした。
隣を見ると、エイダンが馬上で記録を読み返していた。こんなに揺れる中でよく読めるものだ、と感心しながら、アリアはその横顔を見た。
昨夜のことを、この人はどう思っているんだろう。
ふと、エイダンが顔を上げた。
「どうした」
「……なんでもないです」
アリアは慌てて前を向いた。城門まで、あと少し。
門の前で、二人は馬を降りた。門番に書類を提示するエイダンの隣で、アリアは地図を取り出した。最後にもう一度だけ、心の中で念じてみる。
(今の私に、本当に必要なものはなんですか)
金色の線が浮かび上がった。
線はアリアの手元からまっすぐ伸びて、エイダンを指している。それだけではない。線の先が、彼の胸のあたりで「ぽつり」と光った。
アリアはしばらく、その光をじっと見つめた。
(……わかってます)
地図を、静かにしまった。
エイダンが手続きを終えて戻ってくる。
「行くぞ」
「あの」
アリアが呼び止めると、エイダンが足を止めた。
「なんだ」
城門をくぐる人々が、二人の脇を通り過ぎていく。馬車の音、人々の話し声、王都の喧騒が遠くに聞こえる。
アリアは深く、息を吸った。
「昨夜のことなんですけど」
「……ああ」
エイダンの声が、少し低くなった。
「あれは、その」
「謝らないでください」
アリアが先を越すと、エイダンは口を噤んだ。
「謝られたら、私、困るので」
エイダンがアリアを真っ直ぐに見た。何も言わない。けれどその瞳は、いつもよりずっと真剣だった。
アリアも逃げずに、彼を見上げた。顔が熱い。心臓がうるさい。でも、目は逸らさなかった。
「私、エイダンさんのことが好きです」
言った。
城門の前、行き交う人混みの中で、アリアははっきりと言い切った。
エイダンは動かなかった。表情も変わらない。けれどその瞳が、強くアリアを射抜いている。沈黙が長く感じられ、アリアは思わず視線を落としそうになった。
「旅の間から、ずっと気になってました。地図のせいで何度もあなたのところに連れていかれて……最初は迷惑だと思ってたのに、いつの間にかそれが当たり前になってて。王都に着いてからも、調査に連れていってもらえて嬉しかったし、昨夜も……その」
言葉が続かなくなり、俯きかけた。
その時、エイダンが一歩、踏み込んだ。
「アリア」
重みのある声だった。
「はい」
「……俺が先に、言うべきだったな」
アリアが顔を上げると、すぐ目の前に彼が立っていた。
「旅の間から、ずっと気になっていた。お前が地図に導かれて現れるたびに、迷惑だなんて一度も思ったことはない」
アリアは息を呑んだ。
「王都に戻ってからも、どうにかしてお前を連れ出す理由を探していた。『記録補助』なんて名目を思いついたときは、我ながら姑息だと思ったが」
「……姑息じゃないです」
「いや、姑息だ」
エイダンが微かに眉を寄せた。アリアは思わず吹き出しそうになった。こんな時まで生真面目なこの人が、たまらなく好きだと思った。
「追いかけていたのは、俺の方だ」
エイダンがそう言って、アリアの手を取った。革紐のブレスレットの上から、大きな手がゆっくりと重なる。
「だから、好きだと言うなら俺も同じだ」
アリアはしばらく、エイダンの顔を見つめた。耳が赤い。首まで赤くなっている。それでも、彼は真っ直ぐにアリアを見ていた。
「……エイダンさんって、言葉にするの苦手じゃなかったんですか?」
「苦手だ。……今だって、心臓がうるさい」
「ふふ、私もです」
二人は少しの間、黙ったまま手を繋いで立っていた。
アリアが繋いだ手を見下ろすと、エイダンの手首にも、自分とお揃いのブレスレットが見えた。
「地図に、お礼を言わないといけないですね」
アリアが言うと、エイダンが小さくため息をついた。
「地図に礼を言うのは、なんだか癪だな」
「どうしてですか?」
「あれがなくても、俺は自分でお前を見つけ出したはずだ」
アリアは今度こそ笑った。エイダンが「何がおかしい」と不満げに漏らす。
「嬉しくて」
「……そうか」
エイダンは照れくさそうに視線を逸らした。けれど、繋いだ手は決して離さなかった。
城門をくぐり、王都の石畳を並んで歩く。
アリアはポケットの中の地図を、そっと握りしめた。
(ねえ、最初からわかってたんでしょ?)
地図はもちろん答えない。けれど、手のひらの中で地図がじんわりと温かくなった。これまでで一番、優しい温かさだった。
「アリア」
「はい」
「……腹が減った」
アリアはまた笑った。
「行きましょう。今日は私が奢ってあげます」
「いや、俺が払う」
「じゃあ、割り勘でどうですか?」
「……いいだろう」
王都の喧騒の中、二人は肩を並べて歩いていく。
もう、地図に行くべき場所を教えてもらう必要はなかった。
一番大切な人は、もう、隣にいるから。
最後まで読んでいただきありがとうございました!




