第6話 勇者様、笑顔で血を隠さないでください
祖母の貼り紙には、こうある。
> 一、レオ様が赤い染みをつけて笑っている時は、先に怒らないこと。
> タオル。湯。包帯。
> 血でなければ、そのあと強めに怒る。
美桜は最後の一文を見て、眉を寄せた。
「血でなければ、って何ですか」
玄関の黒い箱が、手ぬぐいの下でかたりと鳴る。
『過去に何かあったのだろう』
「そうですね。何があったんでしょうね」
台所では、魔女見習いのリリカが卵焼きの練習をしていた。
「ミオ様! 卵が丸くなりませんわ!」
「丸くするんじゃなくて、巻いてください」
「難しすぎますわ!!」
縁側では、子グリフォンのモップが昼寝中。尻尾だけが勝手に動いて、廊下のほこりを集めている。
わりと平和だった。
だから美桜は油断していた。
裏口が三回鳴るまでは。
こん。こん。こん。
美桜は貼り紙を見た。赤い染みの項目が、なぜか目に入る。
「……まさか」
戸を開ける。
レオが立っていた。
笑っていた。
そして、胸元から腰にかけて、べったり赤かった。
美桜は戸を静かに閉めた。
「一回、見なかったことにします」
外から、戸を叩く音がした。
「見て! 見た方がいいやつ!」
「見たくない方の赤に見えました」
「違う! たぶん違う!」
「たぶんを玄関に入れたくありません」
「ミオ、寒い!」
「赤い人を入れる宿の気持ちにもなってください」
美桜は深く息を吸い、もう一度戸を開けた。
レオは相変わらず笑っている。手には赤い実の枝。背中には蔓。髪には小さな花。胸元は赤い。
「勇者様」
「はい」
「真っ赤ですけど?」
「うん。真っ赤だね」
「どこか、怪我をされたんですか?」
「いや。怪我は少しだけ。あとは、野菜汁」
美桜はタオルを投げた。
「座ってください」
「怒ってる?」
「確認中です」
美桜は雑巾を一枚、レオの胸元に押し当てた。赤い汁が、じわりと布に広がる。
「……匂いは、甘いですね」
「でしょ?」
「安心する前に腹が立ってきました」
「なんで?」
「血じゃないのに、血みたいな顔で帰ってきたからです」
レオは少し考えたあと、赤い実の枝を持ち上げた。
「お土産」
「その状態で言う言葉ではありません」
「ジャムにできるかなって」
リリカはレオの胸元を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「トマトマンドラゴラの汁ですわ!」
美桜は手を止めた。
「トマト?」
「叫びながら逃げる野菜ですわ。実を潰すと、見た目が血そっくりになりますの」
「勇者様」
「はい」
「野菜と戦っていたんですか」
「助けを求められたんだよ」
「誰に」
「畑に」
「畑は喋りません」
「向こうの畑はたまに喋る」
リリカがうなずく。
「そうですわ。喋りますわね」
美桜は頭を押さえた。
箱が玄関で低く笑う。
『勇者、野菜に敗北』
「敗北してない」
「勝ったんですか」
「引き分けかな」
モップが起きて、レオの赤い服をくんくん嗅いだ。そして、ぺろりと舐めた。
くるる!
嬉しそうに鳴いた。
「ダメですよ」
美桜はモップを抱き上げる。モップは口の周りを赤くして満足げだった。
さらに最悪なことに、玄関の箱が言った。
『我にも一口』
「あなたは口がありません」
『開ければあるかもしれぬ』
「絶対に開けません」
リリカは小瓶を取り出した。
「念のため、血と汁を判別する薬を使いますわ」
「安全ですか」
「安全ですわ。ただし、血に触れると青く、野菜汁に触れると踊ります」
「何が踊るんですか」
「薬が」
リリカは赤い染みに一滴落とした。
薬は、ぴょん、と跳ねた。続いて、ぴょんぴょん踊り始めた。
「野菜汁ですわ!」
美桜は深く息を吐いた。
レオがほっと笑う。
「よかった」
「よくありません」
「血じゃなかったよ?」
「野菜汁で人を心配させた分、怒られます」
「貼り紙通りだね」
「祖母の予想範囲にいることを反省してください」
ところが、リリカがレオの袖をめくって「あら」と言った。
「こっちは本物の傷ですわ」
美桜の手が止まる。
レオが目をそらした。
「それは野菜じゃないかな」
「野菜は腕を切りません」
「トマトマンドラゴラは切るかも」
「勇者様」
美桜は低い声で言った。
「笑わなくていいので、腕を出してください」
レオは観念して腕を出した。傷は浅い。けれど放っておくと服に血がつく程度には切れている。
美桜は湯と包帯を持ってきた。
「最初から言ってください」
「赤いのが多すぎて、どれが血か分からなくなって」
「自分の体です」
「畑も赤かったし」
「畑のせいにしないでください」
リリカが薬瓶を選び始める。
「傷薬がありますわ。ただし、早く治りますが、塗った場所に小さな花が咲きます」
「使いません」
「こちらは安全です。ただ少しだけ語尾が鳥に」
「絶対に使いません」
レオが少し残念そうに言った。
「花はちょっと見たい」
「見ません」
美桜は普通の消毒液を使った。
レオが肩を跳ねさせる。
「痛い」
「でしょうね」
モップがレオの膝に前足を置き、心配そうに鳴いた。ただし口の周りはまだ赤い。
「モップ、君だけが癒しだよ」
モップは嬉しそうにレオの顔を見上げながら、くるると鳴いた。
レオは少しだけ笑った。
「怒ってる?」
「怒っています」
「心配した?」
「床が赤くなったので」
「そっか」
「あと、少しだけ」
レオの笑顔が止まった。
美桜は視線をそらし、貼り紙の下に一行書き足した。
> 一、勇者様が赤い場合、血・汁・野菜の順に確認すること。
リリカが真剣にうなずく。
「大事な決まりですわ」
モップが廊下でぴょんと跳ねた。どうやら野菜汁で少し元気になっている。
レオがそれを見て言った。
「モップ、踊ってる?」
「レオさん」
「はい」
「お土産の効果は確認してから持ち込んでください」
「次からそうする」
「次がある前提で言わないでください」
「でも、ジャムができたら食べる?」
美桜は赤い実の包みを見た。
少しだけ、祖母の苺ジャムを思い出す。
「……毒がなくて、叫ばなくて、踊らなければ」
「条件多いなあ」
「やかん屋のきまりです」
その日の宿帳には、新しくこう書かれた。
トマトマンドラゴラの実。用途、未定。保管場所、箱の隣は禁止。
玄関の箱が、低くつぶやいた。
『我は野菜以下か』
「静かにしていれば、呪具です」
箱は、少しだけ誇らしげに黙った。




