第4話 子グリフォンはペットなんですか?
祖母の貼り紙には、こうある。
> 一、客室で卵を温めないこと。
> 孵った場合は、親を確認すること。
> 親が分からない場合は、勇者レオを疑うこと。
美桜はその一文を見て、筆ペンを持ったまま固まった。
「……おばあ様は、経験済みなんだ」
今朝の《やかん屋》は、少しだけ平和だった。
レオは出ていった。ノッポも帰った。黒い箱は玄関で手ぬぐいをかぶせられている。
宿には雨上がりの杉の匂いが入り、廊下には薄い光が落ちていた。
美桜は雑巾を絞り、裏口の上がり框の板を磨く。
昨日の泥は落ちた。箱は黙っている。台所のやかんは静かに湯気を立てている。
今日は何も来ないかもしれない。
そう思った瞬間、裏口が鳴った。
こん。
美桜は雑巾を握る手に力を込めた。
こん。
「早い」
こん。
「本当に早い」
三回目。
美桜は立ち上がり、貼り紙を見ずに台所の奥の裏口に向かった。
戸の向こうから、聞き慣れた声がする。
「ミオ、怒らないで聞いてほしいんだけど」
「開ける前から怒らせるのをやめてください」
戸を開ける。
そこには、レオがいた。
今日は泥だらけではない。葉っぱも少ない。血も見えない。
ただし、ふわふわした生き物を抱えていた。
鷲の頭。猫みたいな胴体。背中には小さな翼。前足には鋭い爪。丸い金色の目が、美桜を見上げている。
おとぎ話に出てくるような子供のグリフォンだった。
美桜は戸を半分閉めた。
「お帰りください」
「まだ何も言ってない」
「言う前に分かりました」
「拾ってない」
「その言葉を使った時点で、だいたい拾っています」
「違う。目が合った」
「悪化しました」
子グリフォンが、くるる、と鳴いた。
レオは少し嬉しそうに笑う。
「ほら、かわいいでしょ」
「かわいいかどうかと、宿に入れていいかは別です」
「一晩だけ」
「うちは宿です。魔物保育所ではありません」
「魔物じゃないよ。たぶん聖獣」
「うちは魔物でも聖獣でもお断りです」
美桜はレオの足元を見た。
靴は、今日は比較的まともだった。ただし、子グリフォンの足が泥だらけだった。
「その子の足」
「あ」
レオが腕の中を見る。
子グリフォンは、つぶらな目で美桜を見た。
次の瞬間、レオの腕から飛び出した。
「あっ」
ぼすん。
子グリフォンは美桜の前掛けに顔から突っ込み、そのまま廊下に着地した。
泥の足跡が、四つ。五つ。六つ。
美桜は静かに雑巾を握った。
「勇者様」
「はい」
「靴を脱いで泥を落とすことはやかん屋のルールです」
「俺も?」
「二人ともです」
レオと子グリフォンは、裏口の板の上に並んで座らされた。
レオは素直に片足を上げる。子グリフォンも、それを見て器用に片前足を上げた。
美桜は一瞬だけ止まった。
「……賢い」
「でしょ?」
「褒めたのはこの子です」
「俺も足上げてるよ」
「大人なので当然です」
子グリフォンの足を拭くと、くすぐったいのか小さく鳴いた。翼がぱたぱた震え、美桜の頬に柔らかい羽が当たる。
思ったより温かい。
美桜は慌てて顔をそむけた。
「……客室には入れません」
「じゃあどこなら?」
「納屋です」
「昔、卵を持ってきた時に、千代さんに言われた」
「前科があるんですね」
レオは目をそらした。
その時、玄関の箱が手ぬぐいの下で鳴った。
『その獣は空腹である』
美桜は箱を見た。
「あなた、そういうことも分かるんですか」
『我は封じられし古の――』
「便利な箱様ですね」
『便利ではない』
子グリフォンは、箱の方へとことこ歩いた。
美桜が止める前に、手ぬぐいの端をくわえる。
『やめろ』
くい。
『やめよ』
くいくい。
『我は古の呪具ぞ!』
子グリフォンは楽しそうに手ぬぐいを引っ張った。
レオが笑いをこらえている。
美桜はグリフォンから手ぬぐいを取り返し、箱に手ぬぐいを掛け直し、子グリフォンを抱え上げた。
「噛んではいけません」
くるる。
「返事だけはいいですね」
「美桜に似たんじゃない?」
「どこがですか」
「怒ってるのに世話するところ」
美桜は子グリフォンをレオに押し返した。
「納屋です」
「はい」
納屋は母屋の横にある。古い農具と、使わなくなった座布団と、祖母がなぜか捨てない壺が置いてある。
美桜が戸を開けると、子グリフォンは中を見回し、すぐに鼻を鳴らした。
気に入らないらしい。
「わがままを言わない」
くるる。
「布団は出しません」
くるるる。
「出しません」
美桜は古い毛布を一枚持ってきた。
レオがにやにやしている。
「出してる」
「床に直はだめなので」
「優しいね」
「宿の備品を傷つけられたくないだけです」
子グリフォンは毛布に乗ると、すぐ丸まった。尻尾が、ほうきみたいに床を掃く。
ほこりが少し取れた。
美桜はそれを見て、思わずつぶやく。
「……モップ」
レオが顔を上げた。
「名前?」
「違います」
子グリフォンが、ぱっと顔を上げた。
くるる!
「違います」
くるるる!
尻尾がぶんぶん動き、納屋の床が少しきれいになった。
レオが笑う。
「気に入ったみたい」
「勝手に決めないでください」
「モップ」
くるる!
子グリフォンはレオを無視して、美桜の前掛けの裾に顔を押しつけた。
美桜は深く息を吸った。
「……納屋にいる間だけです」
「やったね、モップ」
「レオさん」
「はい」
「宿泊料は二人分です」
「えっ」
「正確には一人と一匹です」
「拾ってないのに」
「目が合った料金です」
レオは財布を探り、異世界の銀貨を三枚出した。
美桜は受け取って、帳場の青い壺に入れる。祖母の貼り紙には、銀貨はそこへ入れろとある。
その日の昼過ぎ。
納屋に置いたはずのモップは、いつの間にか縁側にいた。
縁側で日向ぼっこをしていた、近所の常連客のおばあさんの膝に乗り、尻尾で畳を掃いている。
「あらまあ、この子、湯たんぽみたいにあったかいねえ」
「すみません、すぐ納屋に戻します」
美桜が抱き上げようとすると、おばあさんはモップを撫でた。
「可愛いじゃないか。腰にちょうどいいよ」
美桜は言葉を失った。
常連は強い。
モップは得意げに、くるる、と鳴いた。
その夜、やかん屋の宿帳には新しい名前が増えた。
レオ・グランツ。箱。ノッポ。モップ。
美桜は筆ペンを置き、玄関の貼り紙に一行書き足した。
> 一、子グリフォンは原則ペット不可。
> ただし、布団を温め、廊下を掃く場合は要相談。
背後でレオが言った。
「美桜、やっぱり優しいね」
「違います」
美桜は振り返らずに答えた。
「働くなら、宿代を少しまけるだけです」
納屋の方から、モップが誇らしげに鳴いた。




