第4話 ここからが大事
冬休み。まだ正月気分の抜けない頃、嶺は受験の下見のため、再び東京へ向かった。
「ここが三号棟だよ。受験当日は、このルートで来ると迷わないよ」
琳香の案内は丁寧で、どこか嬉しそうだった。
前回の東京訪問とは違い、二人の距離は自然と縮まっているように感じられた。
「これで準備万端ね」と琳香が笑う。
「……はい、今度はこの前みたいに失敗したくないので」
嶺がそう漏らすと、琳香は首をかしげた。
「この前?」
「あ、いえ……なんでもないです」
慌ててごまかす嶺。
あの雨の日の失敗は、黒歴史として永遠に葬り去りたい。
***
学内のカフェ。
温かいカフェラテを前に、嶺はぽつりと語り始めた。
「……中学の頃、クラスでいじめがあって。
止めようとしたら、逆に僕がハブられて」
琳香は驚いたように目を見開く。
「いじめって完全にはなくせないけど……軽くはできると思うんです。
自分と同じような子どもたちの力になりたい。
だから教育学部を目指してて」
その真剣な眼差しに、琳香は静かに頷いた。
「……嶺くん、すごいね。そんなふうに考えてたんだ」
嶺は照れ隠しのように話題を変える。
「琳香さんは、どんな先生を目指してるんですか?」
「私は……単に子どもが好きなだけ。
だから児童心理学でトップのここを目指して頑張ったけん」
「けん?」
嶺が聞き返すと、琳香はハッとしたように背筋を伸ばした。
「けん……けんがく! ほら、私も試験前に早起きして見学に来たってこと!」
「早起きって……琳香さん、東京生まれじゃ」
「そ、そうよ! 興奮して寝られなかったって意味!」
その慌てぶりに、嶺は驚く。
(……もしかして、地雷踏んだ?)
その瞬間だった。
入り口付近が、急に騒がしくなる。
振り返ると、ラグビー部の部員らしきグループの一人がこちらを見ている。
琳香と目が合うなり駆け寄ってきた。
「やっぱ、琳香だよね、久しぶりやなぁ……あれ、彼氏?」
「ち、違うけん!」
琳香の顔がみるみる赤くなる。
「九州のときは勉強ばっかしとったのに、
東京来たらこんなに綺麗かなって……見違えたと」
それだけ言ったところで、男に仲間から声がかかる。
男子学生は「おう」と返事してグループに戻っていった。
嶺の胸がざわつく。
琳香は、唇を噛みしめていた。
***
「……私が九州出身って、バレたよね」
小さな声だった。
だが、その震えは嶺の胸に深く刺さった。
「東京じゃ……ない?」
嶺は、一瞬、息が止まる。
琳香は、一拍置いてから、一気にしゃべり出した。
「東京生まれも、東京育ちも……全部嘘。
ヴィーガンなのも、ただのファッション」
「今の私は偽物。
君の理想の女性じゃない。
どう? ガッカリしたでしょう」
嶺は言葉を失う。
琳香は、苦笑いとも泣き笑いともつかない表情で、
とぎれとぎれに話し出す。
「……私、ただの見栄っ張りなの。
田舎者だって思われるのが怖くて……ずっと無理してた」
そして、最後は何か吹っ切れたように言った。
「あ〜あ……嶺くんといると、なんでだろ。
いつもは完璧に演じられるのに、つい本音が出ちゃう」
言い終わると、琳香が、ほんの一瞬、嶺を見つめる。
「……ごめん。今日は帰る」
そのまま、琳香は嶺の前から去っていった。
追いかける言葉は、ひとつも出てこなかった。
***
頭の中が追い付かない。
嶺は、東京での出来事を灯莉に話した。
「『進みて禦ぐべからざるは、その虚を衝けばなり』。
――兄ちゃんは、琳香さんが一番“守りたかったところ”に、触れちまったんだな」
「俺は、そんなつもりじゃ……」
灯莉は煎餅を齧る手を止め、短く告げた。
「兄ちゃん、琳香さんが、思ってた人と違って嫌になったべか」
「……わからない」
「そんでもまだ好きなら、ここからが大事だべ」
嶺は、胸の奥が締め付けられるのを感じた。
(ここからが大事……か)
答えはまだ出ない。
ただ、胸の奥で何かが静かに揺れていた。




