ミヤコワスレの花が咲き誇るとき 後編
「生け花、やってみよ?」
明石部長は、私たちに向かって手を差し伸べた。
私と金鞠さんは、コクリと頷いた。
そうすると、部長は満足げにパンッと手を叩く。
「よし、じゃあやってみよ!」
部長は、私と金鞠さんをテーブルまで連れて行く。
先ほどまで、先輩たちがいたテーブルだ。
「まずは、この茎をバケツの中で切ってみて〜」
テーブルに置いてあった花ばさみとミヤコワスレを持ち、私は先輩がさっき使っていたバケツの中で茎をパチンと切った。
手に当たる冷たい水が、気持ちいい。
「よし、そしたら花瓶に生けてみよ〜!」
私は、水が張ってある花瓶の中にミヤコワスレを一輪、入れた。
が、これだけでは隙間がありすぎてさみしい感じだ。
先輩たちの作品には、たくさんの花が生けてあった。
例えば住吉先輩なら葉っぱやナズナ、筏先輩なら菜の花、香住副部長ならナズナやカスミソウ、明石部長ならナズナなどなど。
たぶん、それらを装飾としてどう生けるかが重要なんだと思う。
そう思っていると、明石部長が優しく声をかけてくれた。
「ここにある、他の花材も使ってみてね〜」
ここには、たくさんの花材がある。
鼻をくすぐる甘い香りに、実家のような安心感を感じてしまう。
実際、うちは花屋だからね。
私たちが各々好きな花を手に取っていると、明石部長が少し真剣な口調で私たちに語りかける。
「さっきも言ったけど、引き算って大事なんだよ。……なんて、素人がカッコつけたようなこと言っちゃった」
テヘッと照れたように笑った部長は、私の目にカッコよく映った。
素人、なんて部長は言うけれど、本当に素人の私から見てもすごい作品を作っている。
私の瞳に映る部長の笑顔は、素人じゃないように見えた。
私が首を傾げると、隣の金鞠さんも同じように首を傾げていた。
それを見た部長は、あはは……、と苦笑い。
「信じられないって顔だね〜。これでも、高校から始めたばかりなんだよ? さっきのは私の中では自信作なんだけど、それでも」
不意に、部長が自分の作品を見ながら、遠くを見るような表情になった。
「それでも、私より上手い人はたくさんいる。上手く生けられなくて、悩むときもある」
その言葉には、部長だけでなく他の先輩たちも哀しそうな顔をした。
先輩たちも十分上手いのに、それよりも上手い人たちがいるの……?
「生け花に関わらず、創作をするにはきっとこんな現実が付き纏ってくる。でもね!」
急に、部長の声が明るく、大きくなった。
そして明石部長は、ニッと笑って言い放った。
「そんな創作を続けた先には、絶対に成長が待ってる。だから、私たちはここまでやってきたの」
その言葉に、先輩たち全員が口元に笑みをたたえた。
「これが、私たちの現状だよ。こんな風になってもいいなら、入部しておいで〜!」
明石部長の顔は、晴れやかだった。
やっぱり、華道部ってカッコいい。
私も、こんな風になりたい。
部長は「こんな風になってもいいなら」と言うけれど、私は先輩たちみたいになれるのなら、大歓迎だ。
私は、先輩たちみたいになりたい。
一陣の風が、私の中を吹き抜けていく。
「私、絶対に華道部に入部します! 絶対に、先輩たちみたいになります!」
「私もです!」
私がそう言うと、金鞠さんも負けじと叫んだ。
先輩たちは、みんな笑った。
明石部長が、笑い混じりの声を出す。
「ふふふ、ありがと〜。そう言ってくれて、嬉しい。さ、生け花再開しよ!」
部長が私たちの背中をポンポンと軽く叩き、私たちはまた作業を再開した。
ひたすらパチンと茎を切り、花瓶に生けていく。
色々な花を生けていくと、住吉先輩の作品と似たようなものになった。
ここから、さらによくできないかな。
そう思って、レースフラワーという花も、ナズナと同じくらいの量を生けた。
レースフラワーとはとても小さな白い花で、たくさん集まるとその名の通りレースのようになる。
そうして、試行錯誤を重ねていき――。
私の、初めての作品が完成した。
すごい、本当にできちゃった……!
感動し、じっと作品を眺めてしまう。
できた、できたできた!
私にも、生け花ができた……!
隣の金鞠さんも終わったようで、安心したようにため息をついていた。
「二人とも、できたみたいだね〜。すごい!」
明石部長が駆け寄ってきて、頭を撫でてくれる。
高校生になって頭を撫でてもらうことは滅多にないので、少し照れくさい。
部長の手の重みが離れていったあと、先輩たちは私たちの作品を見た。
住吉先輩の気持ちが、わかった気がする。
自分の作品を見られるのが、こんなに恥ずかしいことだなんて……。
私の顔が勝手に熱くなっていくのをよそに、先輩たちは作品を見て口々にしゃべり始めた。
「浅井さん、ミヤコワスレを二輪生けているのがいいね〜。まとまってる感じがする」
「ねーっ。金鞠ちゃんのは、でっかく一輪でインパクトすごいね! 周りは葉っぱで埋めてるから、すっきりしてるし」
香住副部長が金鞠さんの作品を褒めて微笑むと、金鞠さんは笑顔に当てられたように頰をポーッと染めた。
「あっ、レースフラワーじゃん! かわいーっ。浅井さん、センスいいじゃん」
「ありがとうございます……!」
「……本当に、センスいいと思う。かわいい作品」
ずっと沈黙を決めこんでいた住吉先輩までそう言うので、私はすっかり照れてしまった。
そうして、私たちの作品のいいところをたくさん言ってくれた先輩たちは、アドバイスも話し始めた。
「ここはもう少し減らすといいかも〜」
「ナズナをここに生けるなら、ここにも生けると雰囲気よくなるんじゃね?」
先輩たちは、次々とアドバイスをしてくれた。
先輩たちのアドバイスは、的確でとてもためになる。
そのとおりに少し手直ししてみると、さらに洗練された作品の出来上がりだ。
……すごい。
これが、生け花なんだ!
「どう? 楽しかったかな」
部長が、少し首を傾げて言う。
その動作に合わせて、部長のふわふわの髪が小さく揺れた。
「はい、楽しかったです」
「はい、とっても」
私と金鞠さんは、それぞれ頷いた。
それを見て満足したように、先輩たちは微笑んだ。
―――
次の日。
私は、小さな白い紙に自分の名前を記入していた。
その紙には、大きく『入部届』と書かれている。
私は、正式に華道部に入部することを決めた。
なので、早くこれを書いて提出したい。
善は急げ、だ。
保護者のサインをまだもらっていないので、今はまだ出せない。
今日は、火曜日。
香奈ちゃんは今日、弓道部に行くのかな。
最近はあまり話さないし、一緒に帰ってもいない。
私の心が、ズキズキと小さく悲鳴を上げる。
二人への疑いは、まだ晴れていない。
いい加減、二人に聞きなよ。
この、いくじなし……!
また、自己嫌悪に陥る。
ああ、私って、全然ダメだな。
―――
翌日の放課後、私は華道部顧問の先生に入部届を出すため、職員室に来ていた。
職員室なんて滅多に来ないので、少し緊張する。
扉の前で深呼吸をしていると、
「あれ、遥」
という落ち着いた声が聞こえてきた。
声のした方を振り向くと、そこには見慣れた人物がいた。
「香奈ちゃん……!」
そう、香奈ちゃんだったのだ。
でも、最近は避けるように話しかけてくれなかったのに、なんで突然話しかけてくれたのだろう。
私が不思議そうな顔をしているのを見て、香奈ちゃんは語りだした。
「最近、話しかけられなくてごめん。私と話してたら、遥まで変なこと言われるんじゃないかと思って」
「そっ、そんな! 私は、香奈ちゃんが話しかけてくれない方が嫌だよ」
私は、思わず少し大きめの声を出してしまった。
反射的に、口を押さえる。
……でも、この気持ちは嘘じゃない。
私は、香奈ちゃんをそっと見つめた。
すると、香奈ちゃんは、驚いたように目を見開いた。
「……そう? 本当に、ごめん」
よかった、香奈ちゃんと話せて。
私の心には、そんな温かい気持ちが広がっていった。
心が上げていた悲鳴が、少しだけ小さくなった気がする。
「で、遥はなんでここにいるの?」
唐突に、香奈ちゃんがそう尋ねてきた。
い、今、めちゃくちゃ沁みてたところだったのに〜!
雰囲気をぶち壊す香奈ちゃんの言葉。
でも、それでこそ香奈ちゃんだよ。
やっぱり、いつもの香奈ちゃんだ……!
そのことに、嬉しさを感じた。
「私は、入部届を出そうと思って。香奈ちゃんは?」
「私も入部届。あっ、先に行っていいよ」
香奈ちゃんの言葉に甘えて、私が先に職員室に入る。
コンコンコン
三回ノックをし、ガラガラと扉を開けてから、大きめの声を出した。
「失礼します! 佐和先生はいらっしゃいますか?」
華道部顧問の先生は、佐和先生というらしい。
担当教科は理科で、三年生の担任だそうだ。
ドキドキしながら少し待つと、一人の先生が顔を上げた。
「はーい。こちらへどうぞ」
私は、手を挙げてこちらを見ている先生の方へ歩いて行く。
なんとなく、ふわふわとした雰囲気の男の先生だ。
髪の毛もふわふわの天然(?)パーマだし。
「あの、入部届を提出しに来たのですが……」
「華道部に入部するのかな?」
「は、はい」
「じゃあ、僕に入部届、ちょうだい」
にっこりと微笑む先生に向かって、入部届を差し出す。
ペラペラの紙だけれど、この紙には私の想いが乗っている。
先生は優しく入部届を受け取り、ふわふわの口調でこう言った。
「入部してくれてありがとう。これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
私は、折り目正しく頭を下げてから、職員室をあとにした。
外で少し待っていると、香奈ちゃんが出てきた。
「待っててくれたんだ。ありがとう」
「いえいえ。何部に入るのか、聞きたくて」
「私は、弓道部。遥は?」
「華道部。っていうか、弓道部カッコいいね!」
「華道部こそ、カッコいいでしょ」
お互いの部活を褒め合い、ついつい口元が綻ぶ。
私は、香奈ちゃんに確認したいことが一つだけあった。
「ねえ、香奈ちゃん。体験入部で、何かひどいことをされたり、しなかった? 大丈夫、だった……?」
私は香奈ちゃんの手を取り、その瞳を覗き込んだ。
香奈ちゃんはハッと目を見開き、私を見つめ返す。
そして、首を横に振った。
「何も、されてない。本当だよ。弓道部は、カッコいい人ばかりだった」
「よかった……!」
私が香奈ちゃんの手を握ったまま大きなため息をつくと、香奈ちゃんはびっくりしたようにオロオロとしだした。
「はっ、遥! そんなに心配してくれてたの……?」
「当たり前でしょ!」
私たちは、数日ぶりに笑い合うことができた。
それでも、その日は一緒に帰ることはしなかった。
あのとき二人で笑い合えたのは、周りに人がいなかったから。
チクリと、棘が刺さったような痛みが走る。
私を少しずつ蝕んでいく、棘。
ガタンゴトンと揺れる車窓を見ながら、私はまたため息をつく。
一人で乗る電車は、寂しかった。




