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ムスカリの花が咲き誇るとき

 次の日。

 私はいつものように教室に入ろうとした。

 今日は、昨日聞いた話が本当なのか、ということを確認したいな。

 萌葉ちゃんと香奈ちゃんに、直接。

 怖いけど、あの二人ならきっと笑って否定してくれるはず。

 ふう、と息を吐いて心を落ち着かせてから、そっと教室のドアを開ける。


 ガラガラガラ


 教室に足を踏み入れた瞬間、刺すような空気に思わず息を呑んだ。

 一瞬、ほんの一秒ほど私に向けられたみんなの視線は、鋭く光っていた。


 なに、これ……?


 足が床に釘付けになったように、動けない。

 それでも、立ちすくんでいても何も始まらないと思った私は、普段通りに授業の準備をした。

 このクラスに、一体何があったのだろう……?


 私は、席に座っている香奈ちゃんを見つけ、そっと近づいた。


「おはよう、香奈ちゃん。ねえ、一体なにがあったの……?」


 そう話しかけると、香奈ちゃんは深くため息をついてからこちらを向いた。

 その顔を見たとき、私は大きく目を見開いた。

 だって、香奈ちゃんの顔が、暗い淵を覗いているような顔だったから。

 香奈ちゃんは、乾いた唇を舐めてから、小さく張りのない声で話し始めた。


「私が、私たちが……」


 心臓の鼓動が、どんどん大きくなっていく。

 私は、なぜかその続きを香奈ちゃんに言って欲しくなかった。

 香奈ちゃんの体は、ふるふると小さく震えている。


 誰がこうさせたのかは知らないけれど。

 こんな姿の香奈ちゃん、もう見たくない……!


 気づけば、私はこう言っていた。


「ダメ! 言わなくていいよ。言わないで……」


 香奈ちゃんの手を取り、しっかりと目を合わせる。

 そんな想いのこもった視線を、香奈ちゃんはちゃんと受け取ってくれたみたいだ。

 弱々しくだけど、頷いてくれた。

 私は、ぐるりと教室を見まわした。

 クラスメイトたちが、こちらを見ている。

 私を、というよりは、香奈ちゃんを。

 私は、一つの嫌な予感がしていた。

 クラスメイトたちの視線は、疑うような、探るような視線だ。

 おそらくだけど、香奈ちゃんについてなにか悪い噂話を聞いたのだろう。

 私は、教室中を見渡す。

 すると、ある一人の女子と目が合った。

 その女子は、私のほうに歩いてくる。

 とっさに香奈ちゃんから手を離して、歩いてくる女子と香奈ちゃんの間に立つ。

 女子は私の手前で止まり、猫のような目を細めて首を傾げた。

 そう、昨日と同じように。

 その女子は、とぼけたような声で私に話しかけてきた。


「あれ? 浅井さん、なんで夜野に近づいてるの?」


「なんでって、友達だからだよ、神原さん」


 その女子とは、昨日香奈ちゃんと萌葉ちゃんについての嫌な話をしていた、神原さんだ。

 私も、声が震えないように精一杯力を入れながら言い返す。

 すると神原さんは、急に甲高く笑い始めた。


「そんなやつが友達なんて正気? いい? 浅井さん、夜野と夏海はね――」


 聞きたくない、そこから先は絶対に聞きたくない!

 絶対に嫌な話に決まってる……!

 私の直感がそう告げ、それに従って私は耳を塞ごうとした。

 そのとき。


「おはよーっ! って、あれ? みんな、どうしたの……?」


 間の抜けた元気な声が、どんどん尻すぼみになっていく。

 みんなが一斉にその声のした方向を見る。

 そこには、教室に入ってきたばかりの、萌葉ちゃんがいた。

 萌葉ちゃんを見た神原さんは、ニヤリと笑う。


「夏海も来たし、ちょうどいいじゃん!」


 神原さんの一声で、みんなの視線は神原さんに集まった。

 よく通るその声のおかげか、自然とざわめきは小さくなっていった。

 そうして、神原さんはまるで自分が舞台の主人公だとでも言いたげにくるりとターンしながら、言った。


「みんな! さっきも言ったけど、大事なことだから二回言うね」


 神原さんは、紅い唇の端を持ち上げ、大輪の薔薇のような笑みを浮かべた。

 そして、こう言ったのだ。




「実は、夏海はいじめっ子で、夜野は犯罪の黒幕なんだよ!」




 まるで舞台の一幕のように、神原さんは朗々と言い放つ。


 ドクンッ


 心臓が、嫌な音を立てた。


 ハァッ、ハァッ、ハァッ。


 息が荒い。


 ハッとして香奈ちゃんと萌葉ちゃんの方を見る。


 香奈ちゃんは、ギリギリと拳を握っていた。

 そんなに力を入れて、痛くないか心配になるくらいに。


 萌葉ちゃんは、驚くほど冷たい瞳をしていた。

 その場から、全く動けなくなっているようだ。

 まるで、体全体が凍ってしまったみたいに。


 友達としては、二人とも本当に心配だ。

 だけど、神原さんの話が本当だとしたら?

 この反応は、もしかしたら本当なのかもしれない。

 そんなの嫌だよ。

 ちゃんと、二人のことを信じていたい。

 笑顔で、二人はそんなことしないって、何の曇りもなく言いたいよ……!

 でも、私の心の雲はどんどん育っていく。

 どんどん、疑心暗鬼になっていく。

 私は、犯罪者の友達?

 頭の中で、昨日の神原さんと妙中さんの会話が思い起こされる。


「いじめの対象にするんだ」


「犯罪の手先にするかもしれないよ?」


 だから、二人はそんな人じゃない……!

 でも、そう言い切れる?

 二人と出会って間もない私は、二人のことをまだ何も知らない。


 黙りこくってしまった私たちの様子を見て満足したのか、神原さんは自分の席に戻っていった。


「みんな座って!」


 先日決まった学級委員が、変な空気になってしまった中でもみんなに声をかけている。

 私も、席に戻らないと。

 結局私は、二人と何も話せないまま席についた。


 ふと気になって、私は妙中さんの方を見た。

 妙中さんは、怖いくらいに無表情だった。

 その表情からは、なんの感情も読み取れなかった。


 ―――


 その日の帰り。

 私は、一人で歩いていた。


 一つ、よくわからないことがある。

 神原さんは、何がしたいのだろう?

 それに、妙中さんも何を思って冷たい顔をしていたのだろう?

 二人は、仲が良いのではなかったのだろうか。


 それに、結局二人と何も話せなかったな……。


 ため息を一つつくと、それに合わせたかのように、花壇に咲くムスカリも揺れた。

 ムスカリさん、あなたは私に同情してくれているんだね……。

 もう、花だけが友達だと思えてきた。


 あなたの言うような明るい未来なんて、来るのかな……。

 体に重い棘の鎖がついた気分で、私は帰路についた。

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