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ユリの花が咲き誇るとき

「おっはよー!」


 元気な萌葉ちゃんの挨拶が、扉の方から聞こえてくる。

 声のする方を見ると、萌葉ちゃんが小走りでこちらに駆け寄ってくるところだった。


「おはよう、萌葉ちゃん」


「おはよう」


「……おはよ」


 私は、香奈ちゃんと羽月ちゃんと話していたところだった。

 羽月ちゃんは夜遅くまでゲームをしていたらしく、目の下にうっすらとクマができていた。

 口元を抑えてあくびを噛み殺していて、本当に眠そうだ。


「羽月ちゃん、夜更かしはしない方がいいよ? 次の日も学校があるならなおさら」


「……大切な試合だったんだ……。そう言う遥は、何時に寝てるんだよ」


「私? 私は、十時半とか」


「えー、遥、早くない?」


 三人が、驚いたように目を見張る。

 そんなに驚くことだろうか。

 これくらいが普通だと思うのだけど。


「いい子かよ……」


 羽月ちゃんは、フッと息をつく。


「あたしは昨日、十一時半くらいまで起きてたかなー。香奈は?」


「私は、十一時。羽月が一番遅いよ」


 羽月ちゃんは、ばつが悪そうに頭を掻きむしった。

 小さな犬の尻尾のように結われた綺麗な髪が、一束はらりと落ちた。


「あっ、髪の毛乱れちゃってるよ。直してあげようか」


「別に、髪くらいいいだろ……」


 羽月ちゃんは、抵抗するようにそっぽを向いた。

 でも、私は容赦なく羽月ちゃんの後ろに立った。


「なっ!」


 背後に立たれたことを察した羽月ちゃんは、観念したように私の椅子に座る。

 萌葉ちゃんからくしを借り、羽月ちゃんの黒いヘアゴムをそっとほどいた。

 さらさらとしたストレートの髪に、くしはするすると入っていく。

 綺麗に梳いたら、次は一つにまとめるのだが……。

 それだけでは少し物足りない気がして、私は少しアレンジを加えていく。


「……何か、変なことをしていないだろうな」


「うーん? してないよー?」


「……本当だな?」


 羽月ちゃんはとても疑り深い。

 そして、鋭い。

 私がアレンジをしていることに、気がついたのかもしれない。

 だが、羽月ちゃんはおとなしく髪を結われていた。


「はい、できたよ」


 萌葉ちゃんにくしを返す。

 萌葉ちゃんは、ポケットから取り出した手鏡を羽月ちゃんに渡した。

 白いユリの花が描かれた、かわいいものだった。

 羽月ちゃんは、渋々といった様子で手鏡を受け取り、自分の姿を見た。


「……? 意外と、普通? 何か、違和感を感じたんだが……」


 羽月ちゃんは首を捻るが、私たちはプククと笑う。

 そんな私たちを見た羽月ちゃんは、さらに首を傾げた。

 私は、羽月ちゃんの頭を後ろから撮影した。


 カシャ


 小さなシャッター音が、スマートフォンから流れる。

 私は、今撮った写真を羽月ちゃんに見せた。


 少し、笑いながら。


 羽月ちゃんは、その写真を見て……。


「……は?」


 羽月ちゃんの顔が、みるみる赤く染まっていく。


 私たちは、いたずらが成功した子どものように声を上げて笑い、ハイタッチした。


 私が羽月ちゃんに施したアレンジは、三つ編み。


 と言っても、髪を全て編むわけではない。

 右側と左側にそれぞれ小さな三つ編みを作り、それも合わせて一つに結ぶだけ。


 実は、萌葉ちゃんから小さめのヘアゴムも借りていたのだ。

 萌葉ちゃんは、おしゃれな物をたくさん持っている。


 羽月ちゃんの髪をアレンジできて、私は大満足だ。


 ふふんとニヤけていると、羽月ちゃんにポカポカと軽く殴られた。


「よくもやってくれたな……?」


「わっ、ごめん、ごめん!」


 そんなことをしているうちに、先生がやってきた。


「やばっ、もう座らないと! じゃ!」


 萌葉ちゃんがそう言って走っていったのを皮切りに、羽月ちゃんと香奈ちゃんも席に戻っていった。


 一人になった席で、私はふぅと息を吐いた。


 こんなに穏やかに過ごせているのも、神原がいなくなったおかげだ。

 ……でも、胸のモヤモヤはおさまらない。


 私は、教室を見まわした。

 そこで、ある人と目が合う。


 ららさんだ。


 ららさんは、私の隣の席。


 彼女は、私にそっと囁いた。


「昨日のこと、ちゃんとわかったよ。私も反省してる。私ね、だんだんと目的がわからなくなってたんだ。それと……」


 ららさんは、ニッと葉を見せて笑った。


「神原に勝ってくれて、ありがとう」


 私は、目を見開いてららさんを見る。

 ららさんは、少し照れたように微笑んでいた。


「アザミさんって、浅井さんなんでしょ? 復讐がどうの、とか言っていたから、浅井さんがやったのかな、と思ったんだけど……」


 「勘違いだったらごめん」と、彼女は付け足した。

 私がアザミで、神原を停学まで追いやったことを、ららさんは知っていた……。

 私は、ふとある可能性を考えて、ららさんに小声で言った。


「それは合ってるけど……。それ、友達には?」


「言ってない。憶測だもん。憶測で私の英雄をこれ以上傷つけたら、嫌だから」


「……!」


 ――英雄。


 その一言が、私の中でずっしりと重みを持った。


 優等生、いい子ではない。


 英雄なんて言われたのは、初めてだった。


 心臓がうるさい。


 ……でも、嫌じゃない。


 もしかしたら、ららさんがおとなしく引き下がったのも、それがあるからなのかもしれない。


 ……ありがとう。

 私が口を開きかけると、


「じゃあ、始めるぞー」


 先生の声に打ち消されてしまった。


 私たちは、体を前に向けた。

 そっとららさんの方を見ると、ららさんは「ありがとう」と言うように微笑んでいた。



 こんな温かい感情が、いつまでも続きますように。



 私は、密かにそう願った。


 ―――


 キーンコーンカーンコーン……


「起立、気をつけ、ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 折り目正しく礼をして、私はゆっくりと席に着く。


 教室を見ると、お手洗いだろうか、坂田さんが教室を出るところだった。


 坂田さんにくっつくように、メイさんと赤井さんも一緒に教室を出た。


 隣のららさんを見ると、教科書をしまっているところだった。

 ららさんのふわりとした髪が、動作に合わせて揺れた。


「あのっ」


 私は、ららさんに話しかけた。

 ららさんは、首を傾げながらこちらを見た。


 私は、ゴクリと唾を飲み込んでから、口を開いた。


「少し、お話ししませんか?」


 なぜか敬語になってしまったのが、少しかっこ悪かった。


 ららさんは、コクリと小さく頷く。


 私はホッと息を吐いて、語り始める。


「坂田さんの、ことなんだけど」


「ルンの? ……ルンが、どうかしたの?」


 ルンというのは、坂田さんのあだ名だろうか。

 坂田さんの下の名前にはかすりもしていない気がするので、おそらくは彼女の行動から付けられたものだろう。


 私は、坂田さんたちが帰ってくる前に、と思い、少し早口で続きを話した。


「坂田さんって、まだ神原に腹を立てているのかな」


「……」


 ららさんは、少しだけうつむく。

 迷っているのか、口を開いては閉じ、開いては閉じていた。


 私も、少し揺らいだ。

 話させるべきだろうか、やめるべきだろうか……。


 が、ららさんは覚悟が決まったように、強くこちらを見て口を開いた。


「これから話すことは、ルンが人に知られたくないと思っていることだと思う。だから、浅井さんも誰にも話さないで」


 私は、コクリと小さく、だが力強く頷いた。

 それを見たららさんは、少し安心したように表情を和らげる。

 それも束の間、きちんと背筋を伸ばして語り始めた。


「ルンは、過去に神原にいじめられたことがあるの。あれは酷かった。物を隠されたり、落書きされたり」


「酷い……」


 私は、口を手で覆った。

 あまりに酷いいじめだ。


 ららさんは、うんと頷いた。


「そう思ってくれて、助かる。ルンは中学のころから成績優秀で、おおかたそれが気に食わなかったんでしょ。でも、標的が変わってから、神原はルンに見向きもしなくなった。変な話だよね、ずっと嫌がらせをしてきたのに、急に離れていくんだから」


 ららさんは、辛そうだった。


 きっと、そのときのことを思い返しているのだろう。


 でも、ららさんは話すことをやめなかった。


「ルンも困惑してた。なんで急に、って。時間が経って、ルンはいじめのことを冷静に考えられるようになっていって。そこで、ルンは思ったみたい。――神原を許さない、復讐してやる、ってね」


 許さない。

 ……それはそうだろう。


 でも、そこで復讐を選ぶことは、なかなかできることではないはずだ。

 復讐は辛く、厳しい茨の道だから。


 それを、私は痛いほど知っている。


 復讐のことを思い出すと、心に棘が刺さって抜けなくなってしまう。


 ……痛い。


 そんな道を、坂田さんは選んだのだ。


 ――結果的に、私たちが復讐を終わらせることになるのだけれど。


「あのオープンチャットを作ったのも、復讐が目的だった。ルンにお願いされて、私が作ってあげたの」


「……そう、だったんだ」


 それで、あのオープンチャットで「復讐をしたいか」と訊ねたとき、満場一致で「したいに決まってる」と答えていたのか。


 扉を見ると、坂田さんたちが帰ってくるところだった。

 私は、ららさんにこう言った。


「坂田さんたちにも、私のことを言ってほしい」


 ららさんは、目を見開いた。

 私は、構わずに言う。


「『私が神原に報復した』って」


 私は、机から教科書を取り出す。


 ――もう、止まれない。


 ずっと胸騒ぎがしていた胸の奥は、いつの間にか静かになっていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次回、最終話です。

遥の物語、ぜひ最後まで見届けてください。


評価やブクマもしてくださるととても嬉しいです。

最後までよろしくお願いします!

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