梔子の花が咲き誇るとき
「起立、気をつけ、お願いします!」
「お願いします」
私は、学級委員の号令で礼をし、椅子に座った。
ふと、教室を見渡す。
後ろの方の席なので、クラスメイトたちのことがとてもよく見えた。
あっ、萌葉ちゃんがあくびしてる。
なんてことも、見えてしまう。
私の目が、空席をとらえた。
あそこは――神原の席だ。
グッ、と私は密かに拳を握る。
神原は、この教室からいなくなった。
私の、私たちの力で――。
―――
あの日は、よく晴れた金曜日だった。
土日を挟んで、次の月曜日。
私たちは、またいつものように学校へと登校した。
が、決定的に違うことが、一つだけあった。
――神原亜綺羅が、いなくなっている。
教室では、クラスメイトたちがザワザワとしていた。
神原が、いなくなったからだろうか。
「ねえねえ、神原さんいなくない?」
「遅刻かな?」
そんなひそひそ話が、あちらこちらから聞こえてきた。
ふう、と私は息をつく。
神原亜綺羅という脅威は、いなくなったのだ。
この教室から、そして、この学校から。
担任のお調子者の先生が、教室に入ってくる。
心なしか、いつもより真剣な表情をしているように見えた。
そして、先生は教卓の後ろに立ち、話し始めた。
「今日は、大事な発表がある」
また、ザワザワと教室内が騒がしくなった。
クラスメイトたちは、神原の空席と先生の顔を見比べていた。
先生は、全員を勿体ぶったように見まわす。
私の喉が、ゴクリと鳴った。
彼女の結末を、聞き逃さないようにしたい。
だから、私は先生の言葉にジッと耳を傾けた。
「神原亜綺羅のことなんだが、神原は――停学処分となった」
ざわめきが一層広がっていく。
が、私の頭の中は、逆に静けさに包まれた。
――停学処分。
彼女は、当分の間学校に来ないのだ。
いつまでになるかはわからないが、過度ないじめと見なされ、適切な処分だろう。
私が、神原をそこまで追いやれたんだ。
神原に見向きもされなかった私が、
優等生すぎた私が、
一人の人間を、ここまで。
私は、上を向いた。
つー
なぜか、一筋の水滴が頰を伝う。
目に溜まった涙の意味は、よくわからなかった。
私は、手の甲で頰をグッと急いで拭った。
―――
「神原、いなくなっちゃったね」
「私たちが追いやったんでしょ?」
「追いやったって、そんな言い方……」
萌葉ちゃんは、香奈ちゃんがそう返すと、少し嫌そうな顔をした。
そして、はあ、と息をつく。
「あたしたちは、クラスの子たちがもうあたしたちみたいな思いをしないように、正義のためにやったんでしょ? でも、やりすぎな気もする。……香奈が言うように、追いやったと感じる人もいるかもしれない……」
「萌葉ちゃん……」
萌葉ちゃんの顔は、苦しげに歪んでいた。
胸の奥が、チクリと疼いた。
萌葉ちゃんは、人一倍優しいから。
きっと、人一倍傷つきやすいんだ。
「でも、これで無駄な犠牲はなくなり、自分たちも被害を被らなくてよくなった」
「……そうなんだけどさぁ」
萌葉ちゃんは、ムッと唇を突き出した。
不機嫌そうだ。
「そうなんだけどさ、結局嬉しいのはあたしたちだけで、神原という一人の人間はいい気持ちになってないでしょ? ……それが、何だかモヤモヤする」
私たちは、全員が口をつぐんだ。
萌葉ちゃんの言うように、私たちは全員を幸せにすることはできなかった。
神原亜綺羅という一人の人間の経歴に傷をつけ、全員を守った気になっていただけ。
それだけ、なのかもしれない。
私は、私たちは、神原亜綺羅も幸せにすることができなかったのだ……。
これで、真のハッピーエンドとは言えるのか。
胸の奥に重い物がのしかかっているみたいに、ずっしりとしている。
「これじゃ、駄目だ……」
拳をギュッと握ると、少し伸びた爪が肌に突き刺さって、目が覚めた。
神原も救う道は、なかったのだろうか……。
「でも、そんなのいまさらだろ?」
うーん……。
私は、腕を組んで考え込む。
みんなも、黙って真剣に考えてくれているみたいだ。
私の頭の中に流れてくるのは、神原に報復するために奔走した日々。
萌葉ちゃんと香奈ちゃんの噂を流した日。
羽月ちゃんを仲間にした日。
被害者の会を見つけた日――。
「……あっ」
「うん?」
「どうしたの?」
私が小さな声を漏らすと、六つの瞳が私を捉えた。
そんなに見られると、少し照れる。
私は、頭を少し掻きながら答えた。
「被害者の会のオープンチャット、もう一度見てみよう?」
「オプチャ? それが何か……」
「いや、遥にも何か考えがあるんだろう。ここは、従ってみよう」
私がスカートのポケットからスマートフォンを取り出すと、三人もそれに続いた。
トークアプリを開き、オープンチャットのアイコンをタップする。
すると、ずらりと過去の会話が表示された。
ララ『あいついなくなって清々する』
あかさた『それな!』
メラメラ『嵐が去った感じ?』
サカたん『クラスが安全になったよね』
話題は相変わらず、神原のことだった。
このオープンチャットのリーダーであることからもわかるが、おそらくララさんがこのグループのメンバーだろう。
正体は、クラスではわりとおとなしめのグループの子たちと踏んでいる。
ララさんは、ららさん。
あかさたさんは、赤井さん。
メラメラさんは、メイさん。
サカたんさんは、坂田さん。
この四人は常に一緒に行動しているグループで、目立つところはなく、おとなしい印象だ。
それが、水面下ではこのように神原の悪口を言い合っているとは。
私の予想では、ららさんに三人が付き従っているような、取り巻きのような感じだろうと思っている。
赤井さん、メイさん、坂田さんは、いつもららさんに合わせてばかりだ。
私は、メッセージを送信した。
アザミ『神原さんにこれ以上悪口を言うのは、やめてほしい』
少しすると、新しいメッセージが続々と表示された。
その内容に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
ララ『なんで?』
メラメラ『悪いやつに悪口を言うのの、どこが悪いの?』
サカたん『アザミさんもしかして神原のこと嫌ってないの?』
あかさた『そうだったらアザミさんも敵だ』
「っはあ? 何これ、今度は遥が叩かれ始めたんだけど!」
「SNSなんて、こんなものだよ……」
スマートフォンの画面に向かって威嚇する萌葉ちゃんの肩に、羽月ちゃんがそっと手を置いた。
香奈ちゃんも、眉根を寄せている。
私も、正直こんなことは言われたくない。
でも、こうなることは予測していた。
アザミ『そうじゃない』
アザミ『神原さんのことは、今でも嫌いだ』
二つのメッセージを送信すると、
メラメラ『だったらなんで?』
サカたん『一緒に悪口言おwww』
というように、またすぐにメッセージが送られてきた。
私は、それを無視して続きを書く。
アザミ『でも、ここにいない人の悪口をいつまでも言うなんて、全く自分のためにならない』
アザミ『そんなことをしている暇があったら、自分のためになることをした方がいいと思う』
アザミ『報復はもう終わったの。だから、これからは自分のことを考えよう?』
三件のメッセージを立て続けに送信すると、今度は返信が来なかった。
「これで、改心したかな?」
「どうだか。こんなの、忠告に過ぎないだろう」
私たちがスマートフォンの画面を覗き込んでいると、一件のメッセージが届いた。
ララ『確かにそうだね。これからは注意する。こんなの、私のためにならないもんね』
サカたん『え、らら?』
メラメラ『そうだね、アザミさんの言う通り』
あかさた『わかったよ』
「……!」
「えっ、マジか、承諾してくれた……?」
私の隣で、萌葉ちゃんが絶句している。
私は、はあ〜、と安堵の息をついた。
「……でも、このサカたんって人はまだOKしてくれていない」
「本当だ。……アタシは、坂田のことは何を考えているかわからないやつだと思ってる」
確かに、教室でも本音は見えないというか……。
よくわからない、という表現が適切だ。
この件にも、どう思っているのか……。
他の子たちは、ららさんが書き込みをしていた直後に、OKしていた。
ららさんがリーダーだから、他のみんなもららさんの意思に従っているのだろう。
でも、坂田さんは違う。
なんだか、少し胸騒ぎがしてきた。
「まあでも、なんとかなるっしょ。あのグループのリーダーの、ららの指示に従ってくれればいいけど」
私たちは、スマートフォンをしまって教室を出る。
嫌な予感が、少しだけ胸の奥で燻っていた。
廊下に置かれている梔子が、良い香りを運んでくる。
私の心は、少しだけ落ち着いた。
だが、少しの不安が、こびりついてとれなかった。




