芍薬の花が咲き誇るとき
神原に負けた翌日。
私が教室に入ると、たくさんの視線が私に集まった。
クラスメイトたちの、好奇の目。
私は、スクールバッグを持つ手にギュッと力を入れた。
私は、できるだけ平静を装って教室に入った。
バッグを肩から下ろす直前、神原の方をチラリと見る。
神原は、邪悪に笑ってこちらを見ていた。
神原が、私について何か言ったのだろう。
何を言われたかは知らないが、おそらく「浅井遥は、夏海萌葉と夜野香奈の共犯者である」といったようなことだろう。
萌葉ちゃん、香奈ちゃんがこれから犯そうとしている悪事に、仲の良い私が関わっている、という嘘のストーリーが、神原によって仕立て上げられていく。
本当に、趣味の悪い物語だ。
私は、神原のことなんて全く気にしていないように振る舞い、椅子に座った。
そうだ。
私は、あなたのことなんて気にしていない。
これは、私のための暗示でもある。
私たちの報復は、まだ始まったばかりなのだ。
焦りは禁物。
そう思いながら、必要な荷物をバッグから取り出した。
「遥、遅かったじゃん」
「おっはよー! 来てくれたんだ」
「おはよう、遥」
私の机に、先に登校してきていた香奈ちゃん、萌葉ちゃん、羽月ちゃんが集まってくる。
三人とも、少し心配が滲んだ表情をしている。
今まで教室で会話をしていなかったので、少し懐かしい。
ただ、少し前とは違うのは、羽月ちゃんがいることだ。
私たちと仲良くなってからも、羽月ちゃんには神原の側にいてもらっていた。
だから、教室でみんなが見ている中でこうしているのは、初めてだ。
クラスメイトは、さらに混乱したようだった。
あっという間にざわめきが広がり、首を傾げている。
おそらくは、「羽月ちゃんは神原と仲が良かったのに、なぜ」などと言っているのだろう。
神原によって伝えられた嘘のストーリーを信じたクラスメイトには、この光景はどのように映るだろうか。
羽月ちゃんは神原を裏切り、私たちの悪事に加担するようになった、と見えているのだろうか。
神原の嘘のストーリーにも、まだ半信半疑な者も多いだろう。
きっと、混乱しているはずだ。
でも、私にはクラスメイトたちがどう感じるかなど、どうでもよかった。
「遥もついにこっち側か〜」
「あはは、そうだね」
クラスメイトの探るような視線に少し堪えていた私は、萌葉ちゃんの軽口にとても助けられた。
やはり、萌葉ちゃんには場を明るくする力がある。
私では、こうはいかないだろう。
「それを言ったら、羽月もそう。ようこそ、こちら側へ」
「アタシは悪口言われないだけマシっていうか……。遥たちの方が、大変だろ」
羽月ちゃんは、神原の方をチラリと見やった。
それにつられて、私たちも神原の方を見た。
――!
瞬間、ゾクッとした感覚が体を駆け巡り、私は神原から目を逸らした。
神原が、こちらを睨んでいた。
私を、ではない。
羽月ちゃんを、だ。
直接向けられた視線ではないとはいえ、私は恐れをなした。
あんな神原の表情、初めて見た……。
私たちは、思わず黙った。
神原は、気に食わない人をいつも余裕の表情で追い詰める、そんな人だと思っていた。
羽月ちゃんが私たちに奪われたことを、相当根に持っているのだろうか。
だとしたら、羽月ちゃんは神原のお気に入りだったのかな。
従順でなんでも肯定してくれる、神原にとってのマリオネットだったから。
そんな理由でお気に入りなんて、やっぱりどこか歪んでいる。
それは、許されることではない。
一人の人生が、神原と一緒にいることで狂わされそうになったのだ。
私は、羽月ちゃんを操り人形にした神原を、許さない。
神原を、二度と笑えなくしてやる。
あのチャラチャラとした笑いを思い浮かべながら、私はもう一度そう誓った。
全ては、友達のために。
そして、自分のために。
―――
昨日の夜、萌葉ちゃん、香奈ちゃん、羽月ちゃんに提案した策を、もう一度思い出す。
それをするためには、知識が必要だ。
だから私は、放課後の今、図書館に来ていた。
百花高校の近くにある、百花図書館。
百花町唯一の図書館である。
私は、スタスタと自動ドアを抜けた。
気が急いてしまい、どんどん歩くスピードが速くなる。
二つ目の自動ドアを抜ける。
私が覚えるべき知識の番号は、すでに記憶しておいていた。
三百二十番代。
そこに、私の求めている答えがあるはず……!
少し歩くと、三百二十と書かれた本棚が見えてくる。
私は、棚と棚の間に体を滑り込ませた。
背表紙をよく観察する。
私が求めていそうなタイトルを、必死に探した。
青い表紙の本に目が行く。
――これだ。
私はその本の他に数冊、本を手に取った。
貸し出しを済ませて、図書館を出る。
私は数冊の本に望みをかけて、家路を急いだ。
―――
私が図書館で借りた本を読んでいると、バイブレーションと共にスマートフォンの画面が明るくなった。
スマートフォンを手に取り、その通知をタップして開く。
トークアプリが開かれ、香奈ちゃん、萌葉ちゃん、羽月ちゃんとのトーク画面が表示される。
ハツキ『あきらのことについて話す』
ハツキ『明日の放課後、いつもの時間に教室で』
目に入ってきた三行の言葉。
私は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
神原のこと。
今まで側で見てきた羽月ちゃんでないと、見えない世界。
私は改めて、羽月ちゃんを仲間にして良かったと思った。
そこで、はたと気づく。
私は、羽月ちゃんを都合のいい駒のように見てしまっている?
仲間にいて都合がいいから、という理由で誘ったのも、事実だ。
けれど、今ではかけがえのない友達の一人になっている。
駒のように見るのは、それこそ神原と同じではないか。
私は、腐った性根の彼女のようにだけはなりたくない。
私の人生における反面教師は、二つ。
一つ、私の中身を見ずに、「いい子」「優等生」と言う大人。
二つ、神原のような人。
その二つにだけはなりたくないが、今の私はどうだ。
その嫌な二つに、近づいていっているのではないか?
私は、頰を思いっきり両手で挟むように叩いた。
パチン!
心地の良い痛みが広がり、私は自分を戒めた。
しっかりしろ、私。
嫌な大人にだけは、なるな――!
窓際の花瓶に生けてある一輪挿しの芍薬を見ると、月明かりに照らされて、赤く美しく、艶やかに光った。
月も、私たちの報復を応援してくれているかのようだった。
確か、赤い芍薬の花言葉は、誠実だ。
私もあの芍薬のように、誠実に生きていきたいと思った。
私は、神原のようにはならない。
絶対に、なりたくない。
神原を花で喩えると、黒い薔薇。
私は、赤い芍薬のようになりたい――!
憎悪に染まった神原にも届くような、誠実の光になってやる――。
トーク画面にチャットスタンプを送り、了解の意を示す。
明日の放課後、いつもの時間に教室で明かされる神原のこと。
期待と緊張を抱き、私はまた、唾を飲み込んだ。




