藤の花が咲き誇るとき
「私は確かに、犯罪者なのかもしれない――」
私は背筋を伸ばし、今から語られるであろう香奈ちゃんの独白に耳をすませる。
香奈ちゃんは、堅く結ばれた口を開いた――。
―――
私が罪を犯したのは、今からちょうど一年前。
私が中学三年生のときのことだった。
「ちょっと、しっかりして!」
大声を出したのは、私だ。
教室にいる子たちは、「またやってる」と言いたげな顔でこちらを見ていた。
私は中学生のころ、かなりキツい性格だった。
あのころは、このようにクラスメイトをキツく叱ることもした。
私が叱った男子は、とても無気力な子だった。
私はそんなその子に、いつも厳しい言葉をかけていた。
全ては、その子がちゃんとした高校生になるため。
そう、思っていた。
――でも。
私の厳しい言葉は、その子にとってマイナスになってしまったのだった。
私はあの日も、いつものようにその子に厳しく当たっていた。
そこで、つい言ってしまったのだ。
「なんで、そんなにちゃんとしないの?」
と。
私がなんの気無しにかけたその言葉に、その男子は「ハ?」と目を剥いた。
「俺だって、ちゃんとやってるんだ! バカにするなっ……!」
無気力な彼からは想像できないくらいの、今まで見たこともない目。
ギラギラと輝く、野心の目だった。
私は、一瞬だけ怯んだ。
でもそのあとは、逆に私の一言でその男子がやる気を出した、とポジティブに捉え、気にも留めなくなっていた。
今思えば、それがいけなかったのかもしれない。
彼が補導されたと聞いたのは、その少しあとのことだった。
彼が犯した罪は、そのときのショックで頭から抜け落ちてしまった。
そのあと彼がどうなったかは、知らない。
知りたくもなかった。
だから、私は犯罪の黒幕だ――。
―――
香奈ちゃんは、ひきつった笑いを浮かべた。
私は、ホッと息をついた。
香奈ちゃんが犯罪をしたわけでは、なかったのだ……!
私の心は、それでいくらか楽になった。
でも、香奈ちゃんの表情は優れない。
「神原が私を犯罪者の黒幕だと言ったとき、その通りなのかもしれないと思った。私は、あの子を傷つけて、犯罪の道に行かせてしまったから」
香奈ちゃんは、ポツリと呟いた。
私は、香奈ちゃんの背中にそっと手を添えた。
「香奈ちゃんは、優しいね」
「……私が、優しい?」
「うん。とっても」
私が微笑んで背中をさすると、香奈ちゃんはキョトンと首を傾げる。
自覚がないのかもしれないけれど――。
「香奈ちゃんはその子をいい道に進ませようとしていたんだよね。……本当にすごい」
香奈ちゃんの背中が、少し震えた。
「どこが?」
低い声でうめくように言った香奈ちゃんの声は、自虐するような響きを含んでいた。
香奈ちゃんは、自暴自棄になったように顔をしかめた。
「人を駄目なやつにしたような私の、どこがすごいんだ……! 犯罪の黒幕の、どこが……」
香奈ちゃんの目から、小さな涙の粒が流れる。
声をかけ続けても、香奈ちゃんに届くかどうかわからない。
だって、香奈ちゃんは頑なに自分を悪人だと信じているから。
それでも私は、真剣な眼差しで香奈ちゃんを見つめ続けた。
「正しい道に進んで行ってほしい、と思っての行動だったんだよね。結果はどうあれ、香奈ちゃんは悪人じゃない」
私は、香奈ちゃんの手を握った。
香奈ちゃんの目が、大きく見開かれる。
「香奈ちゃんの言葉を受けて相手がどう行動するかは、相手の責任だよ……!」
私は、声を震わせて叫んだ。
「香奈は、その子のためを思って言ってたんでしょ? なら、香奈はむしろ善人!」
「香奈、よくやった」
萌葉ちゃんと羽月ちゃんも、私の言葉に続いた。
二人とも、穏やかな顔をしている。
誰も、香奈ちゃんが悪いとは思わない。
香奈ちゃんが悪いとすれば、言葉遣いだけだろう。
今ではあまりキツいと感じないので、きっとそれから直してきたのだと思う。
私は、香奈ちゃんはとても努力家だと思った。
人のために頑張れて、人の身を案じられる。
そんな香奈ちゃんが、私は大好きだ。
「だからね、香奈ちゃん、萌葉ちゃん。私たちで、神原さんに勝とう。神原さんは、こんなに苦しんでいる人たちを、また苦しめているのだから」
私は、精一杯前を向いた。
そして、二人に手を差し出す。
「私と、戦ってくれませんか……?」
二人はその手を、一瞬だけ躊躇したあとに取った。
二人の手の温もりが、私の両手に伝わってくる。
私は、二人の手を握りしめた。
絶対に、二人がどこかへ行かないように。
藤の花が咲く季節、私たちの絆は、また深まった。
二人の顔は、少しだけ輝いている……気がした。
―――
「香奈ちゃんは、優しいね」
私は、遥にかけられた言葉を思い出しながら、萌葉の少し後ろの席でぼうっとする。
私たちは、いまだに別々で帰っていた。
神原やクラスメイトの目が、まだ怖いからだ。
私は、犯罪者じゃない。
少しずつだけれど、そう思えるようになってきていた。
心に積もった雪が、少しずつ、少しずつ溶けてきている。
私は、犯罪者じゃない。
私の心に、じんわりと暖かいものが広がっていく。
私には、その感覚がとても、久しぶりのものに思えた。
――雪を溶かしてくれた彼女の復讐に、私も加担してあげようと思った。
―――
「誰しも、人を傷つけてしまうことはある。人を全く傷つけないことなんて、できるわけないの」
あたしは、電車の中で息をつく。
遥の必死な声が、頭の中で反響した。
遥は、あたしの恩人だ。
あたしが声をかけたらすぐに打ち解けて、あたしの友達になってくれたんだ。
さっきも、あたしの心を救ってくれた。
あたしは、実は限界だった。
あたしに向けられた、遠慮のない言葉。視線。
全てが、重くのしかかっていた。
全てが、あたしの心を殺していた。
遥は、あたしが仲間に入れてくれたと思っているかもしれないけど。
あたしにとっては、遥があたしを仲間に入れてくれたんだよ。
あたしはあの声、あの言葉を、一生忘れないだろう。
実は、遥には言っていないことだけど。
いじめっ子の取り巻きだった人の名は――神原亜綺羅。
まさに今、あたしたちの噂を流している張本人だ。
香奈も羽月も、気づいていたんじゃないかな。
けれど、あたしは言わなかった。
遥にだけは、気づいてほしくない。
あたしは最近、遥が怪物のように見える。
おかしいと言われるかもしれないけど、これはあたしの本心だ。
だって、最近の遥は報復のために燃える、危ない状態だから。
仕返しをしたいのはわかる。
でも、遥が知らない何かになってしまうのは、恐ろしかった。
あの、被害者の会の子たちみたいに。
あたしは、あのオープンチャットに参加したとき、とてもおぞましいと思った。
あそこは、悪意に溢れていた。
人の悪意は、嫌いだ。
だから遥には、ああなってほしくはない。
あたしが、遥が悪意の人間になるのを阻止するんだ……!
あたしは決意を新たにし、電車を降りた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
少し不穏な雰囲気で終わった話でしたが、いかがでしたでしょうか。
今後の報復にも、乞うご期待。
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