楽しみな場所✿
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楊兎「あー楽しみだなー」
剣技の素振りを終え、大きな体をドスンと椅子に腰かけ銀色の綺麗な髪を風に靡かせる。
楊兎将軍はこれでもかと大きな口を開け、静かに首を横に振る――。
完全に口を滑らせてしまったのだ。
この動揺を隠そうと、その大きな口に握り飯を頬張る。
これほど分かりやすい人が皇帝陛下の親友で大丈夫なのか、こちらが神経尖らせてしまう。露骨すぎる動揺にこちらも笑うしかなくなる。
温花「あたしが聞いて大丈夫だった?(笑)」
楊兎「あ……えっとな……」
この大将軍と下級妃のあたしが友人として並んでいること。
楽しいだけじゃ終われないことも、身構えるべきこともあるのではないかと思っていた。
少しカマを掛けると楊兎将軍は子どものよう大きな体を震わせ始め、縋るように手を力いっぱいに握る。
包帯の中にある肉刺が少し痛むけど、お腹の中から湧き上がる面白さと、楊兎将軍にとってもこの「墓場」が心休まる場所になってくれていた喜びのほうが痛みに勝る。
楊兎「温花……ごめん……聞かなかったことにしてくれるー?ね!なっ?!お願い!」
手を握る楊兎将軍に呆れ顔で睨む皇帝華辉様が黒と金の衣を靡かせこの屋敷に入る。楊兎将軍は兎が穴に隠れるように急いで飛び跳ね、あたしの体の後ろに隠れようと必死だ。
華辉「その必要はない、楊兎。今度の遠征は温花を連れて行くことにした」
楊兎「はっ?!……それは上級妃だけでなく、皇后様も黙っていないだろ?!」
華辉「温花のことは妃としてではなく、侍女として連行する。そうすれば周りも気を遣わなくていいだろう?(笑)」
今度の遠征――?
その遠征が楊兎将軍のお楽しみだったの?
皇帝華辉様は自信満々にあたしを侍女とし、遠征に同行させると告げる。
隣の山源様も楊兎将軍と同意見のようで、何度も頷いている。
楊兎「北へ行くことに温花は――」
華辉「北に行くことは毎年決まっているだろ?そこに温花が行くのは当たり前だろ?」
――そこに人の感情は無かった。
当たり前を当たり前にする。これが当たり前。
悪気なんてそこにないからこそ、こちらに決定権はない。
この国の皇帝が「当たり前に必要」としてくれることは、当たり前じゃない。
あたしはここに存在していい理由の1つを自ら壊す必要はない。
だから笑って受け入れる――。
これがあたしの生き方だから――。
温花「――侍女したことないですし、楽しみにしておきますね」
温花の顔はすっと遠くと見る――。
あ、今のは。自分の感情を無かったことにした。
楊兎「――侍女として温花は働けないだろう?妃してるんだぞ?」
華辉「好奇心旺盛の温花ならすぐ覚えるだろう。朕も、楊兎もいない後宮に置いてはいけないだろう?」
それはそうだ。正論だが――。
温花の気持ちはどこだ――?
華辉「それでは向かう」
皇帝華辉の言葉は宮中の大きな門を開き、轟轟と大きな車輪、隊列が前へと進み出す。皇帝一人の休息のためにどれだけのお金と、人間が使われているのだろう。これを準備する人達の苦労も考えるだけで息が苦しい。
楊兎将軍の言う「楽しみな場所」は夏の避暑地、北の地。
戦いに行くのではないこの毎年恒例の遠征は将軍にとってはこれ以上ない楽しみになる。きっと北の地の食を一番の楽しみに、剣の鍛錬にも力が入って、よだれを垂らしていた。
温花「よいしょ」
侍女の服は簡素化されていて動きやすさ重視の衣は身軽に感じた。
侍女は荷物車の片隅に座り込む。
中は豪華な荷物で溢れかえり、小さな隙間から景色、光を見て風を感じる。
「まさか、温花……?」
あたしの名前を知っている人。
あたしの名前を優しく低い声で呼んでくれる人。
耳が熱くなり、体の底から電撃が走る。
この薬の匂いの正体は荷物の1つだと思っていた。
目を凝らし、車がガタガタと揺れ、小さな隙間の光が照らす先は――。
温花「……ほ、红京?!」
红京「どうして温花様がここに……?」
温花「今回侍女として旅へ同行することになって……红京は仕事が忙しいと聞いたんだけど……」
红京「医学館はお年寄りが多いので。遠征の長い道のりに耐えられる人がいなくて、結局俺に。重大な任務すぎて正直困ってます」
温花「……本当に困ってる?(笑)」
红京は今回の旅の経緯を淡々と話し、少しでもスペースを広げようとしてくれたのか体を小さく丸める。本当に困っているような言葉の抑揚には感じない、ただとても冷静な姿にしか見えない。
あたしはそんな冷静にできるか、と――。
どちらかと言えば心は踊り、焦りからあれもこれも口から言葉溢れ平然を装う。
温花「――红京は日本のどこから?」
红京「東京。温花は?」
温花「福岡」
まさか荷物者に红京が居るなんて。
まさか红京も今回の遠征、一緒に居るなんて。
まさか红京と現代の話をするような二人の時間があるなんて。
红京は妃では無く、親しい友人のように話してくれる時には「様」を無くして名前だけを呼んでくれる。今は红京は気を抜いて話してくれている。それが、嬉しい。
この世は、この大陸はあたしたちが暮らしていた日本の現代とは景色が全然違う、红京はこの景色を見て嬉しそうだった。あまり笑わない红京が笑うと本当に嬉しいんだって、伝わってくる。
温花「红京も嬉しいことあるんだ……」
红京「まるで人が感情無いみたいに……夢を見ているような気分になる。こんな格好をして、馬車に揺られて、薬草かき集めて医者やってるなんて」
红京は優しく話してくれる。
耳がじーんとなって、脳みそが痺れるような感覚になる。
红京の雰囲気と声があたしにとって癒しだった。
ゴンッ。たまにこーやって馬車が大きく揺れる。
整備されていない道に石が転がっていることがあるようだ。
温花「いったー」
その揺れで頭を打つ。
红京「こんなお転婆な侍女がいては主人が大変だな(笑)いや主人がお転婆でも陈莉が大変そうだけど(笑)」
温花「红京……っ!」
红京「半分本気で半分冗談。後宮にはきっといい刺激になってる。妃が侍女になって旅に同行するなんて初めてだろうし。ここまでして旅行に行きたかったなんて」
温花「红京、これは陛下が考えたんです」
その言葉を聞いて红京は目を細めた。
あれ、今の言わないほうがよかったやつかも――。
红京「……そこまでして旅に同行させたいなんて、温花は何をしたの……?(笑)」
温花「何も……」
红京「お妃様だと知って、医者見習いの俺が同じ馬車には乗れないので、降りますね」
温花「――」
待って――!
またここにいてと言えない――。
あんなに楽しかった時間をもう終わらせなきゃいけないなんて。
自分が後宮に入ること望んでいたのに、一番近くにいたい人を遠ざけてしまうことに悔やんでしまう。
红京は馬車から風に連れされるように飛び降りた――。
あたしは小さく丸まって時間が過ぎるのを待つしかできない弱虫だ。




